第25話 回復。

全治3ヶ月。

現実が常に頭にはりついたまま。

意識に支障をきたす。

当然使えない。


「うん、関係ないね!」

自宅に戻った静は、左手に鉛筆を持っていた。


「新鮮! 斬新! 問題なし!」

独り言全開で、スケッチブックに自分の右手をデッサンしていた。


「こうやって描いてると、不思議。自分の手じゃないみたい」

肌色で華奢な腕は、白色だけのシマシマ模様で何倍にも膨れ上がっていた。


利き腕を骨折し、初めて左手で描いてみたギプスは、細かく歪んだ輪郭線でもって描かれ、規則的に丁寧に巻かれた包帯は、スケッチブックの中ではあべこべに交差していた。


「うん。上出来!」

けれど静は、その出来に満足していた。


静は右腕を頭上に掲げる。

昨日までと違う右腕の重み。

白い右腕を少しだけ振る。


「じょ、上で、で、出来……うっ、うっ、なん、で?」

全て流したと思っていた。

溢れさせきったと思っていた。

思わず静は、掲げた右腕を上を向いたままの顔面に思いっきり押し当てる。

白色に見えていたのものが、急激に黒色へと変化する。


「……痛い」

見た目柔らかそうな白い右腕は、想像よりも重く、硬かった。


それでも静は力を強める。


「なんで……どうして……これって傷を治すもんじゃなかったの」


『いい? 無理に動かそうとすれば痛いし、治るのも遅くなるの! ギプスをしたから治るんじゃなくて、これは、治す手伝いをするためのものだからね』

別れ際、静が右腕をいつもどおり思いきり振りながら帰ろうとして、「いたっ」と言ったのを見て、急いで駆け寄ってきた枢の言ったこと思い出す。


「そうだった」

静は顔面から右腕を剥がす。

黒色の世界は白く戻る。


途端に、瞳よりも低い、あらゆるところに涙が流れ、そして、床全面に養生されたビニールの上に落ちていった。


「本当だ」

そう言って静がまた、顔面に白い右腕を強く押し当てる。


「音がしない――」

黒色の世界では、先程まで鳴っていたポタポタという音がしないことに気づく。




「――うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああん」

泣き声だけが部屋に響いた。


『治すのは静自身だからね!』

最後に枢はそう言ってまっすぐ静を観た。


泣いた。

泣いた、泣いた。

泣いた、泣いた、泣いた。


涙は流れ落ちなかった。


溢れていた涙は、全てギプスが吸ってくれていた。


「わあああああああん、わあああああああん」


静はさらに泣いた――。






「ぐっ、ぐすっ、うっうっ……、はぁ、はぁ、ふーーーーー、首、疲れた…」

静はゆっくり顔面を下に向ける。

同時に右腕も剥がす。


もう、涙は流れていかなくなっていた。


白かった包帯は、大量の水分を吸って薄青色に変化していた。


「よゆう色」


静は窓へとゆっくり歩きだす。


「今日も観えるかな?」


そう願いを込めながら、恐る恐る、窓を開ける。


「あっ……ん?」


その夜は曇っていた。


「すごい、十字に光ってる」


薄い雲の膜を纏った月は、晴天の時の何倍もの光を視認させていた。


「好き」

静は月に言う。


薄雲が東風に流される。

次第に、月は視認できていた光を失う。


「よゆう色だ」

満天に広がった薄青色の光。


「よゆう、好き」


その夜の月は、スーパームーンだった。


さらに、ひと月に二度目の満月。

ブルームーン。


スーパーブルームーンだった。

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