第24話 追憶。(後編)

「何もしてなかったよ、俺は」

余裕はそう答えるしかなかった。

嘘や誤魔化しの材料すらないほどの生活だったからだ。


「……なら、どうして」

そこまで言って啓介は言葉を詰まらせる。


「どうしてだろうな、俺にもわかんねえよ。チームをやめたばっかの時は毎日のように戻りたかった。でも、そうしなかった。正志さんにも迷惑かけたし、これからって時にドライバーに抜けられたチームの悲惨さは嫌ってくらい知ってるし」

今度は余裕が言葉を詰まらせた。


「親父は迷惑なんて思ってません。それに、ドライバーならすぐにアキ兄がチームに入ってくれたから」

「……島さんは、どうだったんだ?」

「腕がですか? それとも、人間性がですか?」

慣れていないニヤケ顔を啓介が作る。


「腕が、だよ。余計なことを聞くな」

「すいません」

ニヤけた啓介の表情が、苦笑いに変わる。


「で、速かったのか?」

「速かったです」

「俺よりも、か?」

「正直」

「……そうか」

なにかが揺れる。

その久しぶりにの感覚に、表情の筋肉が弛緩される。

余裕は、自分が啓介と会話している間、僅かに緊張していたのに気づいた。


「あ、でも、僕は余裕さんのほうが速かったと思ってますから」

「なんだ、その、あまりに下手で逆に笑顔にさせられるっていう、あべこべなフォローは?」

「いやいや、これだけはほんとですから。なんていうか、僕みたいな素人が口を出すのは違うと思うけど、タイプって言えばいいんですかね? 余裕さんと、アキ兄は、反対っていっていいほどタイプが違いましたから」


「アキ兄か……」

「え?」

「いや、仲よかったんだろうなと思ってな」

「はは、そういうところも、全然違います」

「くく、そうかそうか」


そこからは、この十年という時間を取り戻すように二人はどうでもいいような話を喋った。

最後まで朽木家の話を出すことを余裕はしなかった。

そのおかげか、それとも、そのせいか、啓介の大学進学のこと、母親が亡くなったこと、正志の病気のこと、島から聞いた、余裕がいの一番に聞きたかったことを、余裕はするのをやめた。


「それじゃ、行くわ」

「はい……」

寂しさが込み上げてきた。

懐かしさは浄化された。

後悔は……変わらず心臓の奥のほうで燻ったままだった。


余裕と啓介は、『また』とは言わなかった。


再会は二人にとって必要なものではなくなった。


「余裕さん!」

「なんだよ?」

余裕は振り返らず言う。


「親父には会っていかないんですか?」

「今日は遅いし、やめとくわ、それじゃあな」

「……はい」

啓介の言わんとしていることを、余裕は十分理解していた。


帰り道、余裕の運転は普段よりラフで丁寧なドライビングになっていた。

それは、レースを終えたサーキットからの帰り道と全く同じだった。

懐が深く、余裕に満ち溢れ、まるでこの世の全てを手中に治めたような、全知全能の神にでもなったかのような感覚。それだった。



「さてっと」

翌朝、余裕は休日の予定を決めていた。

それは、予定というよりは、目的といったほうが正しかった。

いつも入れているツナギの右胸ポケットから徐ろに携帯を取り出すと、どこかに電話をかけ始める。


ツーツーという呼び出し音。3回目のツーの後、カチャっと音が鳴る。

「飛鳥不動産ですか?」電話のセオリーを無視して余裕が電話相手よりも先に喋りだす。

『え? あ、はい。そうですが』

電話に出たのは女の声だった。


「島さん、島阿樹緒さんはいらっしゃいますか?」

『はい、今変わります』

電話越しに島を呼ぶ声が聞こえる。


『変わりました、島です』

「新木です」

『余裕さんでしたか、どうでした? 昨日は啓介くんに会うこと出来ました?』

「ええ、会えました。ありがとうございます、お手数かけました」

『いえいえ。それで? 今日はどういった御用件で?』


第一段階だ。

余裕は心の中で言う。


「ぶしつけですけど、休みっていつですか?」

『休み、ですか』

「ええ」

『火、水曜日が店の定休なんで、私の休みも同じです』

「そうですか」

余裕は島の休みにはなんとなく目星が付いていた。

不動産屋の一般的な定休は前もって知っていた。

水曜日。なんでも、契約がに流れないように、という昔からの習わしがあるらしい。


「もうひとついいですか?」

『え? あ、はい』

「車って今なにに乗ってますか?」

『……車種は、ということですか?』

島は、余裕の質問の意図をなんとなく掴む。


「ええ、以前と変わらずですか?」

『……』

島の乗っていた車種については啓介から聞いていた。

余裕と違う車種。そのことで正志に門前払いをくらってしまったこと。島の助手席に渋々乗って正志の考えが変わったこと。F22Cというエンジンに同じ匂いを感じたということ。


「白のAP2――ですか? 今でも」

『……なるほど。そういうことでしたら、次の水曜空けておきます』

「話が早くて助かります」

『それと、俺と連絡をとるんでしたら、携帯のほうへお願いします。番号は』

「はい、はい。わかりました。じゃあ、水曜日に」

『楽しみにしてます』

そう言って、島は電話を切った。


「第一段階完了っと」

余裕は携帯をツナギの胸ポケットにしまった。

「問題は、次だ」


第二段階。

それは、あまりにも障害が多すぎた。

成功率に余裕自身の気持ちが大きく作用するものだった。


余裕は倉庫のシャッターを上げる。

足早に駆け寄る。


ドアを開ける。

運転席に乗り込むと、シートレールを動かしいつもの場所に座席を合わせる。

キーシリンダーに鍵を差し込み、カチカチと2回回す。

インストルメントパネルの文字盤が光る。

イグニッションをゆっくり回すと、一瞬の間のあと、ウキュキュと独特な高音を立てセルモーターが回りだす。

また一瞬の間があって、エンジンに火が入る。


「ごめんな、俺じゃここまでしかしてやれないから」

そう言うと余裕は、ギヤを一速に入れ、丁寧にクラッチを繋ぎながらアクセルをゆっくり踏んでいく。

やっつけな整備しかしていない余裕の愛車『FD3S』はそれなりの動きでノロノロと動きだす。

旗から見たら、Theスポーツカーの雰囲気は十分に出ていた。

しかし、当の本人である余裕には、久しぶりに運転する喜びを遥かに超えて、怒りとストレスが多大に降り掛かってきていた。


吹かないエンジン。

「全然こない」


制動距離が明らかに伸びたブレーキ。

「こわ。フルブレーキなんてコレじゃ賭けだ」


異音だらけのボディ。

「限界走行に耐えれるだろうか」


ヘタリきったサスペンション。

「極端な挙動に対応できるかな」


そして……。

「なんにしても、俺自身のサビついた感性が一番の不安要素だよなぁ」


マイナスな要素が多すぎた。

「くくく、ああ、久しぶりだな、この感じ」


イラだち、ストレス、多すぎる不安要素。

「はははっはー、楽しい! やっぱりいいよお前は!!」


余裕は無理な加速をさせる。

ババっと急激なペダル操作をしドンツキを起こさせる。

ステアリングを急激に左右に回し引っかかりを誤魔化す。

ギシギシ鳴る音を歌声でかき消す。


「声出なくなってるな。たまには全開で歌わないとダメかな」


余裕は、今の自分がどうなのかということを知っている。


それは、あの時には無かったモノだった。

それが、ただ1つのプラスだということ。

唯一な武器だということ。

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