第14話 興趣。
結局その夜、静と枢の二人が会うことはなかった。
静はきれいさっぱり約束していたことを忘れてしまっていたし、枢としても救急の患者の対応をしなくてはいけなくなったからだった。
当然、枢はすぐに静にその日の約束はまた今度という連絡を入れたが、もちろんと言うべきか、静にその旨が伝わることはなかった。
「シズ、ご飯ちゃんと食べてるの?」
「うーん、ここ3日くらいなに食べたのか覚えてないから多分食べてなかったかも」
二人はガス式のロースターに、肉を乗せられるだけ乗せ、向かい合わせに座ってそれぞれのペースで食事をしていた。
自分から誘っておいて断ったとあって、枢はその埋め合わせとして、一週間後の今日、静を焼肉に誘っていた。
枢は、静からの返事がなかったことを特に気にしてはいなかった。当たり前なことだと、いつものことだと、納得していた。
そう理解していた上で、今日静を誘っていた。
「それで、この前の要件だけど、…聞いてる?」
「…」
枢は、人間がこれほどまでに集中して食事をとれるものかと、半分関心してしまった。
「まあ、いいや。どうせ聞くことになる内容だし」
「…」
人が二人、向かい合わせで焼肉を食べているというシチュエーションにおいて、会話が成り立っていないことを、この二人は全く気にしない。
「ギャラリーにあったシズの絵、この前売れたよ」
「…どれ?」
「海の絵」
「ふーん」
枢は、静の受け答え方を、「らしいな」と思った。
「…」
「でね、スペースが」
「今描いてるのにする」
静が枢の言葉を遮って答える。
「今書いてるって、いつ完成するの?」
「明日には持ってく」
「了解。もしかして3日食べてなかったってそれで?」
「うん、そう。すいません、特上タン塩二人前追加で」
静は、すでに枢の三倍の量の肉を食べている。
「3日かぁ、あんたにしてはかなり早いよね」
枢は、自分のスタイルである、一枚ずつ肉を焼くという一点集中型で食べ進める。
そんな二人のスタイルによって、奇跡的に一つのロースターで焼肉が成立していた。
「シンプルだから、あとは彩色だけ」
「シンプルって、どんな絵よ?」
「月」
「え?」
枢は、静が月の絵を完成させられなくなってしまったことの一因に、自分の発言が関係していることを知っていた。
作品に対しての感想の乏しさということもあったが、
高校生の時、月が好きで沢山描いていると静が言ったのを聞いて、なんて似合わないものを書こうとしてるんだと茶化したことがあった。
今思えば自分はなんてことを言ってしまったんだと、あの時の自分を引っ叩いてやりたいと枢はその時のことをずっと後悔していた。
枢の発言に静は激怒し、クラスメート全員が手を付けられないほど大暴れし、教室のあらゆる物を壊した。
それは、自分が好きだと言ったものが自分に似合っていないと言われたことに対して怒ったという、なんだかどうも少しズレたところに反応したことによる発露だった。
静が暴れ疲れ、静になったことで、クラスメート全員が台風一過のスッキリと晴れた景色を思い浮かべていたが、そこからは、静による、月がどれだけ素晴らしく、美しいものなのかという、クドく、脳にへばりつく
昼休みに起きた『月の逆襲』と後に語り継がれていくそれは、午後からの全ての授業にすり替わって、大々的な静による授業となった。
当然教師による妨害が行われたが、それらを言い伏せるほどの月の知識と
枢は、頬を紅潮させ、陶酔し、満面の笑みを浮かべている静の顔を、今でも思い出せと言われれば、その顔を寸分違わず思い出し、どんな顔だったのか描けと言われれば、あの時あの場所にいた誰よりも鮮明に描き起こせる自信がある。
「どうして…、その、急に、月の絵、を書こうと思ったの?」
枢は、あの伝説的な惨事をこの焼肉屋で起こさせる訳にはいかないと慎重に言葉を選びながら聞く。
「どうしてって…。そうだ! すーちん、『よゆう色』って色知ってる? あ、すいません、上ミノ二人前追加で」
枢の多大な緊張などお構いなしに、静は唯我独尊ともいえるマイペースを無意識に貫く。
「はーあ、馬鹿らしい。で? 何だって? よゆう色? あたしは知らないけど。その色がどうしたのよ?」
「月の絵がその色で完成するの。探したけどどこにも売ってなくて。私まだいけるけど、すーちんなにか頼む?」
「あたしはもう十分。どうやって知ったのよ?」
「この前すーちんに呼ばれて病院行ったとき」
「ふーん。でも絵に詳しそうな人いたかな?」
「病院のひとじゃないよ、多分患者さん」
「患者さん…ねぇ」
枢は、静の「患者さん」という発言に妙な違和感があった。
「らしくないな」と思った。
「イデムは? 行ってみた?」
「行った。羽生さんにも聞いてみた。会話出来るチャンスだったし。うーん、腹六分目くらいだし、ここからは慎重に選ばないと」
静は、もう済んだことだと言わんばかりに、メニューと格闘する。
「確かにあの店長ナイスミドルな感じでハンサムってやつだけど、あたしらの倍はいってるよね、歳。あ、ついでに桃のシャーベット頼んで。ここの名物なの。前に来た時頼みそびれちゃって」
「はいよー。わかってないなすーちんは、羽生さんがどれだけ魅力的な人か」
静は、以前見た羽生の流した涙を思い浮かべながら言う。
「あ! そうそう!」
「なに!? びっくりした」
突然、店中に響き渡るほどのパンという、枢の手を合わせた音に静の顔が爆ぜる。
「今の話で思い出した、この前の救急で運ばれてきた患者さんなんだけどさ」
煌々な雰囲気を枢が醸し出す。
「姉貴が連れてきたの!」
「しーちゃんが?」
「そう。んで、その男の患者さん、多分姉貴のコレだとあたしはふんでるの」
枢は、今どきの女子がすることではない、手の甲を相手に向け、小指だけを立てる仕草をした。
「あのしーちゃんがねぇ。すーちんも初めてじゃない? しーちゃんの彼氏に会うなんて」
「うん。でね、その人、歳が姉貴より7つも上なの。あたし、絶対姉貴の好きになる人は年下だって決めつけてたから、驚いたよ」
「そっかそっか、しーちゃんには年上の魅力が分かるんだね。大っ人ぁ」
「シズの場合は極端なの。あ!」
枢はまた手を合わせ店内に音を響かせた。
「姉貴に聞いたんだけど、その姉貴の彼氏、シズと同じところで倒れて運ばれてきたのよ。いるんだね、あんた以外にあそこで倒れて運ばれて来るひと」
「ふーん――あの場所で…ねぇ」
静は、自分以外にあの景色の良さを知っている
どこにでもありそうな海の景色。
あの海の青と緑と茶色。そこに赤色な自分を馴染ませていく、そして、ほんの少量の白をまぜる。
自分が成功したことのないその色を、もしかしたらその人は完成させているんじゃないのか。
静は何故かそんなふうに感じた。
「色っていうなら、その患者さんの服の色も変わってわね、なんて色だったっけなぁ、あの色。どっかで見たことあるんだけど……。そうだ! 新選組! 新選組の隊服の色よ!」
しかし、すでに、その音は静の耳には届いていなかった。
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