第25話

 一度状況を整理しようとした。そこで、将樹様の手のひらが紫乃の頭へと伸びてくる。自分の身体に触れられるのと距離感は一緒だ。

 ぎょっとして、将樹様に向き直る。紫乃に触れる表情は、ひどく穏やかだった。不寛容な面ばかりを晒してくる。牽制であるのだから、意図と効果は間違っていない。

 だが、こうして接している姿を見れば、紫乃のことを想っていることは伝わった。決して、七面倒なだけの存在ではないのだ。


「……連れて行くには不安が多過ぎる。かといって、二日をかけて屋敷まで送り届けて再びここまで移動することも難しい。結月に迎えに来てもらうという手もあるが、連絡してきてもらうとなると明日一日はどちらにしても捨てるしかないだろう」

「後に響きますね。採集が難しくなると思われます」

「だとすると、このまま連れていくほうがいいのかも、と考える」


 俺も紫乃にほだされているが、将樹様は相当に贔屓だ。そんな二人が揃って提言するその案は、果たして合理的なのか。自信が持てない。

 ただ、一週間という期間は絶対にずらせないものだ。その中で、一日、下手すると二日をドブに捨てるのは厳しい。

 もちろん、この採集ですべてが上手くいくと試算しているわけではなかった。長期の覚悟もある。だが、だからと言って、無条件に延々と続けられるかは分からない。

 それに、長期で予定を立てていても、本業や護衛の兼ね合いがどのタイミングで取れるのか。長期は約束されても、定期的な採集が約束されるかは分からない。先行きが不透明だ。

 その中の貴重な一陣。初手で失敗をしたくないと思うのは、何もおかしくないだろう。

 それに、この一回で成果が得られれば、見通しが立たない長期への杞憂を消すことも可能だ。

 これもまた、一度の採集で済むとは限らないが。だが、一度も採集できないで撤退するのと、採集したうえでもう一度採集に挑むのでは意味合いが違う。難易度も心持ちも違う。ご破算にするには躊躇があった。

 ただし、この視点もまた、感情的になっている節は否めない。


「難しいか?」


 黙っていたところで、将樹様からの追い打ちに遭う。将樹様だって、手放しで許諾されるとは思っていないようだ。実際問題、難しいことは難しい。


「……紫乃次第だと思います」

「それはどういう意味で? 意思を優先しようという話か?」

「絶対に無理をしないことを強いる必要があるでしょう。いつも以上に自由はないと感じるほどかもしれません。山岳地帯に入るときは、私が背負うしかありませんね」

「……何故、貴様が?」


 冷静な判断力を持ちながら獰猛な気配を滲ませるのは勘弁して欲しい。明確に目論んだ態度には、精神性を削られる。

 一欠片も信頼していなければ、状況を許しもされないだろうから、そうではないと信じたい。だが、さすがにこうも続くとへこたれる。それでも、この面倒くささの起因は分かっているからまだマシで、責める気にはなからなかった。


「将樹様の手を塞ぐわけにはいきませんから、運ぶなら私が担うより他にないでしょう」

「……まぁ、そうだな。合理的だ。紫乃も慣れているし、その点でも不安はない。だが、本当に可能かどうかが重要だ」

「正直に言えば、不安過ぎますね」

「戻るか」

「……町についてから、紫乃も巻き込んで話し合いましょう」


 問題から目を逸らしているだけだ。後回しにしたって、いいことはない。

 最速は今すぐ戻ることだ。だが、今すぐ戻るとなると、移動時間は深夜に及ぶ。その間、紫乃が持つとは思えない。

 それに、深夜に馬車で移動するなんて自殺行為だ。日が暮れるまでに目的地についていない場合、移動は避ける。将樹様もそのような強硬手段を許さないだろう。自分たちだけならば強硬したかもしれないが、紫乃がいるのだ。優先は紫乃の安全と健康で、それを考えれば今日はもうこのまま町へ移動してしまうしか道がない。

 だからこそ、後回しの選択肢を採った。将樹様は「そうだな」と短く頷いて、窓の外への見張りへと戻る。

 そうなれば、俺たちの間に雑談が盛り上がる術もない。今となっては、紫乃が眠っている。議題も棚上げにしているものだから、話すことは何もない。

 俺は紫乃への負担を少しでも軽減できるように抱え直しながら、やっぱり窓の外を眺めて過ごした。



 宿の部屋はひとつしか取っていない。正確には行者と俺たちで二部屋だが、行者のほうは馬車組合を通した形だ。俺たちは若当主が話をつけてくれていた。

 ツインの部屋で、ベッドは二つ。そこに三人だ。色々と考えることはあるが、差し当たっては紫乃をベッドへと横たわらせた。布団をかけることにも慣れている。姫抱っこでベッドへ運んだのは、何度もない。ただ、その数回でも慣れるものだ。紫乃は取扱注意の生物なので、細心の注意を払うようにしている。

 その手つきを将樹様に検分されていた。いや、恐らくは一挙手一投足を監視されているだろう。紫乃に対する異様な警戒心に対しては、もはや太鼓判を押してもいいくらいだ。


「睡眠薬はどれくらいの効果があるものなんだ」


 紫乃はよく眠っていた。三時間以上が経っている。睡眠とすればおかしくはないが、昼寝にしては十分長い。将樹様が疑問を呈してもおかしくはなかった。


「もうそろそろ起きると思います。夕飯の買い出しに行ってきましょうか」

「食堂がある。お願いすれば、部屋に運んでもらえるはずだ」

「では、適当に見繕ってきます」

「紫乃が食べられるものを優先するように」

「了承致しました」


 好物などを詳しくは知らない。アレルギーはないとは聞いている。量は食べられないが、好き嫌いはそうない。健康的になるべきだ、とバランス良く摂取する習慣はついているようだった。味の濃いものと食べづらい食品を避ける。それくらいだろうか。

 考えながら、食堂へ行ってパンや野菜や肉を中心に注文を行った。紫乃は肉ばかりというわけにはいかないが、将樹様には必要だろう。もう少し、将樹様に食事について詰めればよかった。

 何しろ、俺は将樹様のことをからきし知らない。踏み込むべきなのだろう。だが、如何せん相手が大変だ。

 紫乃を除いた状態で会話ができるなら、取り付く島もあるのかもしれない。道中の会話にも変化があった可能性もある。しかし、それはもう過去の幻想だ。紫乃という存在がある以上、俺たちは紫乃を抜きにして会話することはできない。

 道中を含め、どうしたって紫乃を中心とした態度になる。そうある以上、将樹様との話を深めるのは難しい。元々、コミュ力がない部分が、将樹様には存分に発揮されていた。花学に関係しない人との距離感は、今の将樹様と同じようなものだったのだ。

 知人関係としてズレているわけではない。むしろ、紫乃のほうがよっぽどズレている。当初から、こうもほだされているのが異常だった。

 今までだったら、他人の食事事情など知らないままだったはずだ。いくらその人の健康に反映されているからといっても、それを気にかけなければならないほどそばに寄ろうという気にもならなかっただろう。

 やはり、紫乃の存在は特殊だ。

 どうしてそうなったのか。いくら考えてみても、紫乃が圧倒的な実直さで突っ込んできてくれたという結果しか出てこない。

 自分の周囲には、こうしたものがいなかった。だから、同世代であっても、同じようにされれば仲良くなったのか。やはり、年下の少女というのが強烈な持ち味だったのか。それは分からないままだ。

 採集にさえ足を踏み入れられてもなお、拒絶する気にはならないのだから、思った以上にほだされていることにしみじみする。元々しみじみしていたのだから、もはやぐしゃぐしゃに濡れて溺れきっていた。困りものだ、と心底思えないことにも苦笑が浮かぶ。

 注文を終えて部屋へ戻ると、将樹様は紫乃のベッドの隣に腰を下ろしてじっとしていた。微動だにしていない。室内はビックリするほどひっそりとしている。

 俺も離れたところに腰を下ろして、静かに様子を見守った。今、眠っているのは睡眠薬の効果というよりも体力のなさによる単純な睡眠であるかもしれない。心配せずとも、じきに目覚めるだろう。

 それでも他のことをしていようという気持ちにならないのは、将樹様がそばに控えているからだ。それでなくとも、放っておこうとは思わないが。

 そうして、三十分以上が経ったころ。ちょうどご飯が運ばれてきたころに、紫乃は目を覚ました。目覚めた紫乃は、ゆったりと上半身を持ち上げて起き上がり、ぱしぱしと目を瞬いている。不思議そうに周囲を見渡す姿は、寝ぼけているのだろう。


「紫乃? 大丈夫か?」


 将樹様がかける声の響きは、底抜けに優しく甘ったるい。恋人にするような、というのはあまりにもゲスというものだろう。しかし、そう感じてしまうくらいには、将樹様の態度は柔らかかった。

 紫乃はのろのろと顎を引く。将樹様は、その態度に納得いかなかったらしい。こちらを一瞥した。口にはしなかったが、睡眠薬が残っているのでは? という疑問だろう。

 もしくは、薬師を医師に近いものだと誤認しているのかもしれない。

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