第22話
「……そこまで強く主張するとは思ってなかった。秋里さんは柔和だって聞いてたんで」
「柔和?」
どこからの情報なのか。そこまで柔らかい態度を貫いていたとも思わない。邪険にはしていなかったが、だからと言って柔和と言われる自覚はなかった。
男に柔い印象というのは、どうすれば抱くことになるのか。どちらかと言えば、硬度があるほうが揺らがない男としての株が上がるような気がする。柔和でも悪い気はしないが、心当たりもない。
「結月が言っていた。紫乃に対する態度がとてもいいと」
「……紫乃様を乱暴に扱うなんてことは到底できかねますから」
「立場が違えばやっていたと?」
「立場ではありませんよ。紫乃様の虚弱さを理解すれば、どんなことに気を配らなければならないのかまで見えてきます。それを除外して接することはできません」
「そこまで気を遣うのは大変だろう」
将樹様からその視点がもたらされるのは奇妙な気がした。
誰だって思いつくことだ。だが、将樹様はたとえ他の誰かが持つ視点だとしても、紫乃に対して面倒だというような心証を許すと思えなかった。あるのは理解していても、口にすることはないだろうと。
それを聞かれてしまい、目を瞬いてしまう。将樹様はそれをどう受け取ったのか。苦い顔になる。
「俺にはそれを苦に思う気持ちは欠片とて理解できないし、したいという気持ちもない。だが、世間一般にあの子ほどの虚弱であれば、行動制限に際する注意事項が多過ぎて大変だろうということを考える頭はあるつもりだ」
「面倒だと思ったことはあります」
それが失言であることは、口にした瞬間に分かった。
自分が言うのは許容できるが、他人がその視点に納得するのは許しがたいらしい。睨みつけられる角度に身震いしながら、続きのために口を開く。言い回しを失敗したと思ったところで、止まっているわけにはいかない。
「でも、それは理解できれば、これといった負担にはなりませんよ。少女が倒れるのを見たくないと思うのは自然な気持ちでしょう」
「……今はもう手間ではないと言うことか」
「そうでなければ、紫乃様が私の離れを訪ねてくることを許容しませんよ。一度、倒れさせてしまいましたしね……その後も付き合うのであれば、面倒くさがっていたらできません」
「秋里さんは妹がいたりするのか」
「いえ、いません。一人っ子ですし、後輩がいた試しもありませんよ」
「それで、面倒はない、と」
「何かおかしなことがありますか?」
それほど風変わりなことだろうか。もちろん、人によっては面倒くさがって放り出すことはあるかもしれない。だが、そんなことは毛ほども考えたことがなかった。ほだされているから、といえばそれまでだろう。
将樹様は口を噤んでしまった。どうすればいいものか。二度目の失言は避けたい。黙って待ち構えていると、将樹様が真っ直ぐにこちらを貫いてくる。その鋭さは、今までよりもずっと鋭角でびりびりと肌が粟立った。
何が過ちだったのか。その内容を吟味する余裕はなく、頭の中には警戒音が大音量で鳴り響く。
「紫乃に惚れているわけじゃないだろうな?」
抑え込んだような低音が、地響きのように空気を揺らした。誤解にどばりと汗が噴き出す。
「そんなわけありませんよ」
「じゃあ、どうして面倒事だと思っていたにもかかわらず、今のように世話を焼けているんだ」
それは、それほど執着されなければならない点か。そう思わざるを得ないが、相手は将樹様だ。紫乃のためならば、俺を追及するくらいはやるだろう。
「……、過ごしていれば、関心を抱くのは不思議ではないと思いますが」
「可愛い妹に対する関心とはどういう意味だ」
逃げられそうにない。紫乃が心配するのも分かる気がした。何より面倒なのは、将樹様は本気だってことだ。
確かに、紫乃は良い子だし、可愛い子だろう。可愛がることに胸が温まることはあるし、それを情というのなら否定はできない。だが、それは友愛だとか庇護欲だとか、それこそ妹のようなものだ。
だが、それを口にすれば、将樹様の逆鱗に触れかねない。自分の妹を他人が妹扱いするのを許してくれるとは、到底思えなかった。
ゆえに黙ってしまった俺に、将樹様の重圧は深まる。まったくもって、逃げ道がない。やはり、紫乃の心配は妥当過ぎた。あれほど念を押すのを、もう少し真面目に受け止めるべきだったかもしれない。
何にせよ、大丈夫にするより他にないのでどうしようもないのだが。
「……妹のように、思っています」
「妹??」
ことりと小首を傾げるのが、逆に怖い。さらりと揺れた前髪の軟性が、将樹様の硬質な重さを際立たせる。瞳孔が開ききっていて、背筋が凍った。
「あくまでもそういう年下の少女に対する感情でしかないという話です。邪な感情がないと表明するにちょうどいい言葉の手持ちがありませんでしたので」
「なるほど。紫乃のことを憎からず思っていることは分かった」
憎からず、という言い方は、どうにも恋愛感情にも流用されるような気がして居心地が悪い。
何が分かったのか。いまいち納得ができなかった。恋愛認定は免れただろうが、一時凌ぎでしかない気がしてならない。
俺と紫乃に一体何歳の年の差があるのか分かっているのか。……たったの四歳差だが。それでも、紫乃は少女だ。十四歳なのだから、恋愛対象にするのは難しい。
でも、年の離れた兄にしてみれば、年下の人間は同じ枠に入っているのかもしれない。俺はまだ十八歳だ。社会人になったとはいえ、十代。将樹様にしてみれば同じようなものだろう。
それは仕方のないことだが、こちらとしては明確に違いがある。それをどれだけ明示しても、将樹様に届くような気がしない。
……多分、年齢差は関係ないだろう。この人は、俺が紫乃に働き続ける限り、疑いの目を消すことはしない。そんな確証を得たくはなかったが、得ざるを得なかった。
「ひとまず、それはいい」
この「それはいい」は、決して許されているわけではない。「ひとまず」のほうが肝要なポイントで、棚上げされたに過ぎないだろう。確証とはそういうものだ。
「秋里さんが紫乃のことに注意を払っていることはありがたいので構わない。採集の件も、紫乃のことを考えてのことだと聞いているし、下手な手出しをするつもりもない。それ以外に気をつけることはあるか?」
脱線した話を強引に引きずり戻された。将樹様には逸らしたつもりもないのだろう。紫乃の話が混ざってくるのは、将樹様にとっては通常運転だ。
「今思いつくことはありませんが、採集後には進行スピードが変わる可能性があります。もちろん、一週間の予定を見て引き際を考えていますが、採集してからは花第一の動きになりますのでご了承いただければ幸いです」
「無論だ。それは紫乃の体調に直結するものだろう?」
主軸はそこか、と思う。だが、これほどブレない軸は頼もしい。花学に理解のないものが俺の発言で納得するよりも、紫乃を中心に納得してくれるほうが、よっぽど信頼できる。
「必ず、とはお約束できかねますが、万全を尽くしたいと思っています」
「それは仕方のないことだと納得している。これまでも、紫乃の体調が劇的に改善したことはない。万能薬がないことはよく分かっているつもりだ。だから、可能性があるだけでも十分に直結しているし、その道ならば妥協をするつもりはない」
「護衛として同行してもらえるだけも、非常に助かります」
「紫乃のためだ」
端的に繰り返される。本当に宇宙の果てまでシスコンだ。だが、分かりやすくはある。
「ありがとう存じます」
士気が高いのは、それに越したことはない。頭を下げてお礼を告げると、将樹様は少しだけ表情を緩めてくれた。お礼に対しての返事であったのだろう。
将樹様は息を吐き出し、こちらへ手を差し出してきた。許されているとは思えなかった。そのために、手のひらをまじまじと見つめてしまう。将樹様は、まさしく苦虫を噛み潰したような顔になった。
「紫乃のために動く同志として違いはないだろう」
「……よろしくお願い致します」
一ミリどころか一ナノメートル以下であったとしてもブレがない。握手に答えると
「こちらこそ」
と冷静な声が答えた。
思想は紫乃に染まりきっているし、行動の理由も同じだ。
だが、この挨拶はとてもまともな交流だったし、将樹様も本気なものだっただろう。そうして挨拶は終わり、将樹様は席を立った。
それを黙って見送るわけにもいかず、立ち上がって離れの扉を開く。こうしたものは、紫乃によって培われたものだ。紫乃の場合は体力のなさに対する対応であるため、将樹様にする尊重とはまた少し違う気もするが。
そうして、外まで将樹様を見送る。客人を部屋まで送り届けるのが癖になっているものだから、外まで出るくらいでは苦でもない。
将樹様の後ろ姿を見送っていると、将樹様は立ち止まって花壇を見渡していた。紫乃が手伝ったことでも聞いたのだろうか。自然にそう思ったのは、将樹様が俺の仕事ぶりに興味を抱くとは思わなかったからだ。
そうしていたかと思うと、将樹様はこちらを振り返ってくる。
「紫乃が手伝ったのだろう?」
「はい。素晴らしいお手伝いでした」
「……紫乃も随分、動けるようになった」
ぽつんと零された音は、夜の帳によく響いた。
「あれでも元気になった。もっとよくなるというのだから、俺は全力を尽くす。紫乃にはもっと色々なことを体験して欲しいと思っている」
「……はい」
シスコンだ。それはどんなに言っても揺らがない。だが、それが大真面目であることもまた真実だ。
俺はしかと顎を引く。紫乃に色々な体験をして欲しいのは、俺とて同じだった。
将樹様と丸きり同じだとは言えない。実の兄と立ち並ぶなんて図々しいことは思えなかった。それは、シスコンと並び立つほどほだされてはいないと思いたいだけかもしれないが。
何にせよ、握手を求めてきた将樹様の心情が次第に手に取るように分かった。紫乃のために。紫乃が元気になっていくのを願うからこそ。
「では、失礼する」
将樹様はそれだけ告げると、すたすたと花壇の隙間を抜けて屋敷へと戻っていった。
今日はこちらへ戻ってきているのだろう。明日の出発時に一波乱ありそうな気がしたが、感情が固まったことは間違いない。
元より、紫乃のためであった。だが、率先して将樹様が訪ねてきたことで、気持ちは一層に煽られる。
シスコンの一言で収めてはならないほど、さまざまなことがあったのだろう。俺がやってきて少し。たったそれだけでも、紫乃は倒れているのだ。それでも、元気になれているという。ということは、昔は今よりもずっと倒れていたし、不調なときが多かったということだ。
兄としては過保護で心配性になるようなことが多くあったのだろう。その実感が、去って行く後ろ姿を見ながら、今になって募っていく。
もしかすると、繋いだ手のひらに載せられた感情は、俺が思うよりもずっと悲痛で重いものなのかもしれない。手のひらをぎゅっと握り締めてから、開いて天へと掲げた。
月夜の晩だ。星に飾られた夜空が涼しい風を運んできて、吐息が零れる。
紫乃に色々な体験をさせてやりたい。そう考えていると、気がつくことわんさとある。例えば、こうして外で満天を見上げることすらもできなかったのではないか、と。
やはり、将樹様との握手は軽くない。元々あって、煽られた感情を、飲み下して臍を固める。ぱんと頬を挟んで気合いを入れ直した。
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