第20話

 そして、実際に口火を切った途端、紫乃は鈍い顔になる。


「一週間ですか?」


 傾げられる首につられて、毛先が跳ねてへたりと落ちた。意図したことではないだろうが、へたれた心が表へ出ているような気がして苦笑が零れる。


「採集にはそれくらい時間がかかるものなんだよ。移動時間もあるし、探す時間もあるし、採集に気を遣うことだって多いしな。紫乃だって、花の扱いは分かってきただろう?」


 俺が花壇の世話をしているのを見ている。送った薔薇も手間暇をかけて育てているようだ。花の育成が大変なことは分かっているだろうし、採集にも同じくらい神経を使うことを想像できるだろう。

 紫乃が唇をへの字に曲げた。理解できるからこそ、我が儘を言うことを堪えるほどには、賢さがある。だが、心情の納得は別問題なのだろう。ゆえに、難しい顔をして黙り込んでいた。


「……」


 無言が這う離れの空気は重い。いつもが賑やかであるがゆえに、その差は如実だった。

 結月さんは、こうした会話に介入してくることはない。紫乃の自立を促しているのか。俺のやり方を観察しているのか。自分の立ち位置を弁えているのか。どちらにしても、この解決は俺がしなくてはならないことだけは確かだった。

 膝をついて、紫乃と視線を合わせる。互いに椅子に座っていたが、完全に視線を合わせようとすると、座高の問題でこうした姿勢になるしかない。

 紫乃は眼前の俺を真っ直ぐに見つめてくる。話を聞く体勢ではあるが、果たしてちゃんと通じるのか。その問題は炯々と輝いていた。

 どうしたものか。


「ご当主様からお願いされた仕事だから、今回ばかりはどうしようもないよ」


 能動的に動いた結果だ。しかし、現在では確とした仕事として振られている。個人での採集ではないから、紫乃を連れていくわけにはいかない。

 仮に趣味であっても、紫乃を連れていくのは難しいだろう。許可が下りないだろうし、下りたとしてもその辺りの公園で花の観察するのがせいぜいだ。それ以上のものは望めず、採集と呼ぶにはおままごとに等しい。


「……どうしてもお許しは出ないでしょうか」

「無理だ」


 しょぼんと俯く。

 これを相手にするのが大変だと思わないのは、保護者としての感情が芽生えているからだろうか。可能なら叶えてやりたいという保護者感覚は、俺にも装備されるようになっていた。

 だが、だからこそ、ここは毅然とした態度で押さえなければならないところだ。膝の上で行儀良く握り込まれている両手を、前から握って繋ぐ。

 こうしたスキンシップができるようになっているのは、紫乃が自分に慣れてくれているという確証があるからだ。紫乃はその触れ合いに、俺が何かを伝えようとしているのを感じているのか。目線を上げて、こちらを見てきた。やはり、聞く体勢だけはあるのだ。


「今回の採集は、花を探し出せるか分からないんだ。どれくらい動かなきゃならないのか、予測ができない。紫乃の体力を考えたら、とてもじゃないが連れて行けない。分かるな?」


 頷いてはくれる。だが、分かっているのか。ただの相槌なのか。その差は見た目では分からない。でも、この首肯が全肯定だとは思っていなかった。


「倒れてしまったら、困るだろう?」

「……分かってますよ。わたしが倒れたら、道中の邪魔にしかなりません」

「その代わり、行く場所の詳細を教えるから、何かお土産を採ってくるよ」

「お花?」

「ああ。薬草でもいいし、道中の町の名物がよければ、それを買ってこよう」

「蓮司は、甘やかすのが上手ですね」


 これは一週間放ってしまう交換条件でしかない。甘やかしている自覚はなかった。

 しかし、紫乃は困った大人を見るような目をしている。甘やかされて育っているがゆえに、気がついていることがあるような顔だ。俺はどうしようもなくなって、眉を顰めてしまった。


「そんなにたくさんお土産はいりませんから、目的のものを入手してきてください」


 俺は、採集しに行くものが紫乃のためのものだとは説明していない。俺がしていないものだから、誰も説明していないのだろう。

 わざわざ言う必要はない。採集は必ずしも安全な道のりではないのだ。誰それのためなんて、累を及ばすような理由を張本人にぶつけるわけにはいかない。


「そうか?」

「蓮司が無事に帰ってくることが第一です」


 行く理由を告げているものがいないのだから、採集の危険性を仔細に伝えているものはいないだろう。

 しかし、紫乃は決して馬鹿ではない。一途になると盲目的になる傾向はあるが、考えなしではなかった。花学を学んでいるものとして、想像力を働かせれば、辿り着けない思想ではない。紫乃はそこにあっけなく辿り着いてしまったようだった。


「もちろんだよ。ちゃんと帰ってくる。将樹様が護衛についてくださるから、心配はいらないよ」

「お兄様ですか? 大丈夫ですか?」

「それはどういう意味だよ」


 俺とお兄様との衝撃的な出会いを知っているのは結月さんだけだ。

 紫乃が何を尺度に不安を訴えかけてきているのか分からない。苦手意識を持っていることを察せられるほどに、俺はあけすけだっただろうか。その苦味を理解しているかのように、紫乃は苦い顔になった。


「お兄様に癖があるのは分かっていますよ? わたしのことを知っている人には、わたしのことをいっぱいお話します。蓮司がわたしの相手をしてくれていることはお兄様も知っていますから、たくさんお話されるでしょう。道中、大変だと思います」


 その大変な話の本分は分かっているのだろうか。恐らく、シスコン全開で紫乃の自慢をしてくるだろう。そして、あれこれとクレームをつけてくることも予想できる。紫乃が言うよりも、大変さは深刻だ。


「大丈夫ですか?」


 再度確認されると、渋くならざるを得なかった。大丈夫であるしかない。しかないが、苦労が想像できるというのは気疲れに繋がる。苦々しさは拭えなかった。


「護衛はどうしても必要だからね。きちんと実力のある騎士様がついて来てくれるのならば、それに越したことはないよ」

「お兄様の腕は確かだとは思いますが……」


 もしかすると、紫乃は俺の想像以上に兄のややこしさを知っているのかもしれない。こうも念を押されると、更に鼻白んでしまいそうになる。

 しかし、俺にはがたがた言う権利など微塵もない。これは業務の一環なのだ。


「紫乃が言うのなら、安心できるよ」

「なら、いいのですけど」

「心配してくれてありがとう。無事に帰ってくるよ」

「ならば、よいです。楽しんできてください」

「留守を任せるよ」

「結月がいますから」


 だから、大丈夫ということか。具体例は何も出てこない。しかし、その説得力は強かった。

 結月さんがいれば、何の問題はない。結月さんだって完璧超人ってわけではないだろう。けれども、俺たちに……少なくとも俺にしてみれば、自分より長く百合園家に仕えている頼りになる先輩だ。

 そして、紫乃だって自身の管理を任せられる相手だろう。安心感は半端じゃなかった。

 そうして、紫乃が納得してくれれば、俺が出発までにする仕事は終わったようなものだ。後はこつこつと採集に向けて用意を行う。

 その間に花学談義を多めに交わすことも仕事になったけれど、それは充実したものだった。ただし、多めというのは普段比べて、というだけに過ぎない。時間にすれば、二時間ほどしか延びていないだろう。しかし、それでも充足感は深く、一週間の留守を前に紫乃も納得したようだ。

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