第16話
「すごいです。たった一枚で、これだけの火力があるんですね! 手順を踏むのも知っていたけど、こうして見るととても面白いです。他のものは見られませんか? ダメですか?」
テンション崩壊を予想していたつもりだ。にもかかわらず、紫乃はその上をいくかのように舌を回す。早口になっていて、どこで息継ぎをしているのかが怪しい。
「落ち着け」
踏み台の上で前傾姿勢になってくる紫乃を落ち着けるように、肩に手を当てて押し込める。日頃からそうして押し込めているものだから、紫乃自身もそれが自分の度が過ぎている符号だと分かっているらしい。あからさまに大きな息を吐いて気持ちを静めていた。
「今日はひとまずハイビスカスだけだ……エーデルワイスなら、予備があるが」
「エーデルワイス?」
基礎の本では扱っていなかったか、と思考を巡らせる。基礎では主に花学エネルギーのはじまりについてが書かれていたはずだ。歴史やこれから先についてのことばかりで、花の種類と属性、その効果が事細かに書かれているわけではない。
効果については、それを取りまとめた図鑑が売りに出されている。基礎や発展の教則本にエーデルワイスが載っているかどうだったかは不明だ。
付箋をつけて熟読している紫乃が見落としているとは思えないので、疑問を抱いたということは書いていなかったのだろう。
俺はタオルを取り出して
「手を出して」
と声をかけた。
紫乃はこれといった引っかかりもなく。両手を差し出してくる。手のひらを上にして首を傾げてくる姿は無防備だ。
少しは警戒心を抱かせるように教育したほうがいいかもしれない。世間との付き合い方を教える時期が来ているだろう。
とはいえ、今は花学のことが優先だ。手のひらにタオルを渡す。そして、保管庫用に既に液につけてあるエーデルハウスの花びらを取って、紫乃が持つタオルの上に花びらを置いた。
「これがエーデルワイスだ。冷えてくるのが分かるだろ?」
エーデルワイスの花びら一枚は、小さい。そのわりに、長く冷気が持つのだ。コスパがよく、花学に触れる人間は運用しているものが多い。紫乃は手先に視線を下ろして、じわじわと目を丸くしていった。
「とっても気持ちいいです」
「よく冷えるだろ?」
「あ」
尋ねると、紫乃ははっとしてこちらを見上げてくる。何か思い至ることでもあったのか。書籍の表記でも思い出したのか。首を傾げて尋ねると、紫乃はぐんと結月さんへと顔を向けた。
「結月」
ぱりっと明朗な音は、主らしいものだ。結月は「はい」と返事して、離れを後にする。二人の主従を感じさせる行動には、どことなく慣れない。
しかし、結月さんはごく自然に動く。離れの外に置いていたのだろう。大きな鉢を抱えて、再び研究室となっている寝室へと戻ってきた。
逆側から抱えるように手伝うと
「ありがとう存じます。置かせていただけますか?」
と結月さんに求められて、俺はそれに従って共同で床へと下ろした。
しかし、一体何を持って運ばれてきた鉢なのか。俺はそれを眺め回してしまった。まだ花がついていない。葉だけの鉢は、それでも何の花かなんて一目瞭然だ。
珍しい。取り寄せるにも大変なはずだ。さすが百合園家、ということだろうか。
そう思いながら見下ろしていたら、いつの間にか紫乃が隣にやってきていた。タオルはテーブルの上に置いてきたらしい。身軽な姿で近寄ってきた紫乃はこちらを見上げてくる。
結月さんはその代わりとばかりに、再び離れた位置へと控え直した。見据えてくる紫乃の顔は真率で、見下ろし続けているのも居心地が悪いほどだ。あちらもそれを感じたのか。
呼ぶようにきゅっと袖を引かれて、俺は膝をついて視線を合わせた。
「中断してごめんなさい」
「思い出したことがあるんだろう? どうした?」
紫乃は確かにテンションが壊れてしまうことがあるが、非常識な行動を取ったりはしない。筋道が立っているものだ。理由があることくらいは分かる。
「熱を出したときに、エーデルワイスを使ってくれたのでしょう?」
そういえば、倒れたことは終わったままになっていた。もちろん、すぐにお礼はされている。だから、終わったことだ。
しかし、紫乃は寝込んでいたので結月からの言伝だった。そのためか。紫乃の中では終わってなかったらしい。
エーデルワイスを持ち出したことで、鉢植えのことを思い出したのだろう。それまで、ここまでの大きな鉢を持ってきていたことをすぽんと抜かすほど花学に夢中になっていたことは微笑ましい。
「ありがとう存じます」
「ああ」
頷くことに留めたのは、話がどこに向かうのかピンときていなかったからだ。俺はただ、花弁を置いただけに過ぎない。しかし、紫乃は畳みかけるように続けてきた。
「薬も使ってくれたのでしょう? ありがとう存じます」
「……薬師だからな」
薬師として薬を作ってきていた。それが紫乃に使われているということも理解していたはずだ。
しかし、こうして直に感謝を受けると、胸がいっぱいになる。そうか、と実感が湧いた。俺は紫乃を助けているのか。実感がなかったわけじゃない。そのつもりでいた。だが、今になって実感が心に滲んで、万感が迫ってくる。
どうにか切り返した俺に、紫乃はにこりと笑った。
「だからね、お花を取り寄せてもらいました」
「それで、蘭か?」
「やっぱり、葉だけでも分かるんですね! 蘭ってお取り寄せに時間がかかるんですね。すぐに注文したのですけど、今になってしまいました」
「珍しいものだからな。本当にもらっていいのか?」
確認したところで、肯定が戻ってくるのは分かっていたように思う。しかし、こうして患者本人に感謝されるということに、心がついていっていなかった。
紫乃はやっぱり破顔で頷いてくれる。
「ありがとう」
「蓮司がしてくれたことへのお礼ですから。助かりました」
「そもそも、こちらが興奮させ過ぎたことが原因だからな」
「……興奮しちゃったのはわたしですよ」
「手綱を握れていないのは俺だったからな」
「操縦するつもりですか」
「それくらいの過干渉になる必要があるというのはよく分かった」
恐らく、俺と同じような経緯で、みな過保護になっているのだろう。それは分かっていたが、ならざるを得ないことも体得した。
「お兄様みたいです」
「ぐっ」
さすがにあそこまでになっているとは思いたくない。親戚でもあればまだしも、俺は血が繋っているわけでも何でもないのだ。付き合いだって短い。その短期間であそこまで悪化しているとは思いたくなかった。
「将樹様ほどではないだろ」
ダメージを飲み込みながら反論すると、紫乃は困ったように笑った。
「そうですね。お兄様はとっても過保護だから」
将樹様の過保護が異常であるのは、紫乃は理解できているらしい。お互いに苦笑いを交わし合う。結月さんのほうからも、そうした気配を感じた。
「大変そうだな」
「ちょっとしたことでも、すぐに手を貸そうとしてくれるので、困っています」
紫乃の自立心は育っているようだ。箱入りであることは事実だが、守られることだけを知っているわけではない。賢いのだろう。花学の会話をする中でも、その片鱗は随所に見受けられた。
世間慣れしていないことは気になるが、心根としては心配することはないのか。それとも、十四歳であればこんなものだったか。
自分のときのことなど覚えていなかった。何より、そんなことを客観視できるほど、過去を俯瞰できる能力が俺にはない。覚えていたとしても、何の参考にもならなかっただろう。
「……妹離れしてくれるといいな」
それ以上にしか言いようがなく、遠い目になった。
将樹様との邂逅は数十分にも満たない。会話をしたとも言い難い。それでも、その願いを掲げたいほど、強烈な印象が残っている。
「はい」
紫乃の相槌にはどこか呆れたようなものがある。心境はいかばかりか。
「よし。それじゃ、後片付けをするか。蘭、ありがとうな」
再度、感謝を伝えながら立ち上がる。蘭の鉢植えは、寝室には豪華だ。場違いな気もするので、後で移動させるかもしれない。
感謝すれば、紫乃は将樹様のことは棚に上げたのか。笑顔を見せてくれた。
「どういたしまして。後片付けは何か気をつけなければなりませんか?」
「おいで」
テーブルへと戻った。エーデルワイスも出しっぱなしだし、ハイビスカスの燃えかすも残っている。後片付けに特殊性はない。気をつけて動くこと以外に、注意事項はなかった。
そして、紫乃はそうした動きに対しての心配はいらない。テンションに任せた発言はあるが、行動力は伴わないのだ。虚弱さの問題だろう。その手堅さは、花学に携わるにおいてとてもいいものだ。
紫乃は俺の言葉に従って、後片付けをこなした。準備ではこちらが手を出した防火シートなども紫乃に任せる。思えば、事前準備に意識を向け過ぎて、過保護になっていたかもしれない。用意から任せてしまえばよかった。
これでは、将樹様のようだと言われるのも仕方がない。承服は致しかねるが。
「今日はこれでおしまいだな」
「お話はしてくださならないのですか?」
踏み台に乗ったままの紫乃が近距離でこちらを見てくる。今までだって、視線を合わせてきたが、自分が屈んでいないだけで妙な心地がした。
「今日はもうダメだ。はしゃいだだろう」
「まだ、二度です」
「二度もあれば十分にはしゃいでいるだろうが。それに、頻度よりも度合いによる」
「……蓮司の読みはまだ当てにならないと思います」
ついっと視線を逸らしながら漏らす愚痴は、分が悪いと分かっているからか。本当に取り合うつもりがないからか。どちらにしても、不貞腐れているようにしか見えないし、駄々を捏ねている。
庇護すべきだと思っているが、甘やかせばいいとも思っていない。それは若当主や将樹様が存分になさっているだろう。
俺は薬師として、体調を真摯に考えるだけのことだ。そこに、無理をさせない。世話を焼く、という工程が含まれているに過ぎなかった。
「そうか。あまり我が儘を言うなら、強制送還したっていいんだぞ」
言いながら、紫乃の脇に手を突っ込んで身体を抱き上げる。細いことなどとうに知っていたが、ひどく軽い。骨と内臓以外何もないのではないか。
土や鉢植えなどを移動させるための筋力がついていることを度外視したって、軽々と抱き上げられてしまった。あまりにも軽いものだから、予想以上に勢いがついて、身体が密着する。柔らかいのは子どもだからか。女の子だからか。
紫乃は目を真ん丸にしていた。
「このまま部屋まで連行だ」
「これ、甘やかしてますよ!」
紫乃は恥ずかしげな表情でじたばたと暴れようとする。それを押さえつけるのに力はいらない。
「秋里さん、それは……」
さすがに乱暴だと感じたのか。結月さんが近付いてきた。くっついたり離れたり、大変な人だな、というのは他人事だろう。今日、それを繰り返させているのは俺だ。
「蘭が届いたときもはしゃいだのではありませんか? 俺にサプライズをしかけようと企んでいたのなら、そのわくわくもあるでしょう。そのうえ、ここで二回も興奮しています。看過できるものではないのでは?」
紫乃のエンジンは突然切れる。
HPが一ずつ減っていくというよりは、一気に二・三十ずつ削れていくのだ。しかも、どこかで興奮した後遺症がデバフとして体力を削り続けている。なので、思ったより元気そうだと思っていた瞬間に、がりっとゼロまで到達して倒れることになる。だから、今がけろっとしているから大丈夫という判断はできない。
どちらかといえば、それまで何をやったのか。そちらのほうが重要で、その中身如何で身の振り方を考えなければならない。
結月さんも俺の主張に一理を得たのだろう。紫乃の体調へ対する訂正はなかった。
「ですが、そのように運んでいただかなくても、私が連れていけますので」
「もし、俺が紫乃の部屋に行くのに問題があるのであれば、遠慮しましょう」
「将樹様の発言はあくまでも兄としての干渉でしょうから、そのような理由はありませんよ。以前、紫乃様が願った際の報告において、ご当主様にも緊急事態には了承を得ています」
「だったら、いいでしょう。運びます」
「しかし」
「こちらのほうが楽でしょう。な? 紫乃」
俺に捕らわれて会話を聞いているだけになっていた紫乃に目を向けると、苦虫を噛み潰したような顔になる。
「蓮司はやっぱりお兄様のようになってしまいました」
「将樹様ほどではないよ。でも、今日はもう、いっぱい感情が動いたはずだ。違うか?」
「……それはそうですけど」
言いながら、紫乃が胸元に懐いてきた。抵抗することを諦めたらしい。まぁ、体格ができあがった男に抱きかかえられてしまった虚弱な少女では、反抗のしようもないだろうが。
「淑女をお送りするのはおかしなことではないでしょう?」
「……仕方がないですね」
力押しに過ぎない。何をそこまでムキになっているのかと少し思った。けれど、実際問題、紫乃がギリギリであることには違いない。結月さんだって否定しなかったのだから、俺の見極めは見当違いではないのだろう。
紫乃が頷いたのを皮切りにして、三人で紫乃の部屋へと移動する。初めての道のりに新鮮な気持ちが浮かびこそすれ、それがどれだけほだされているのかは気がついていなかった。
毒されている人間とは、概ねその事実に気がつかないらしい。
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