第15話
「疲れないように勉強することも十分に必要なことだろ? 管理ができないなら、花を育てることはできない。ひいては、花学に触れていくのは難しくなる。きちんとペースを管理して、調子を崩さないようにしなければならないぞ」
「……頑張らないといけません」
「そうだな。がむしゃらだけでいいわけじゃない」
言い切ると、紫乃は嬉しそうにする。今度ばかりは、その心境を汲み取ることはできなかった。
俺は紫乃に対して課題を渡している。自分の手綱が信用できなければ、紫乃に協力してもらうしかない。本人の意識が低いことは気になる。それを口にしているだけに過ぎなかった。
そうにもかかわらず、紫乃は嬉しそうに姿勢を正す。下がっていた肩が元の位置に戻った。
「きちんと頑張ります」
「よろしい。じゃあ、今日はもうここでおしまいだな」
紫乃はあっという間に寂しそうな顔になる。あんぐりと口を開いていた。頑張ろうと気合いを入れたところで終了を告げられるとは思わなかったのだろう。
「今日はたくさん話しただろう? ちゃんと休まないといけないな」
結月さんから今までの虚弱っぷりの説明を受けた。終了の合図を切り出せるくらいには、情報を精査している。紫乃は口を閉じはしたが、ぷぅと頬を膨らませた。まったくもって分かりやすい。
「……結月もそう思うの?」
しばし睨み合っていた紫乃は、ゆったりと結月さんを振り返って呟いた。どう聞いても、悪足掻きだ。
「ええ。秋里さんの見極めに問題はありませんよ。そろそろ、戻るべきです」
「分かった」
結月さんには反駁の余地がないらしい。頷いた首が落ちたままだ。毎度、終わりがくるたびにこうしてしょげかえられるのだから、大袈裟だろう。だが、そのせいでほだされているのは否めなかった。
「それじゃあ、今度はもう少し花学らしいことをしよう」
「本当!?」
手のひらの上で転がしているかのように感応がよい。実際は、こちらのほうが翻弄されているのだが。
びょんとバネ仕掛けの人形のように飛び上がった紫乃が、こちらへ視線を戻してキラキラ見上げてくる。挙げ句、片手を両手で握り込まれた。本当は両手を握り締めたかったのかもしれないが、大きさがかなり違う。俺の右手だけをぎゅっと握り締めていた。
「ああ。あまり派手なことはできないが、少しくらいなら構わないよ」
「嬉しいです。わたし、花学を本当に使ったことありません」
「なら、初体験を楽しむためにも興奮し過ぎないように」
握り込んできている手をぽんぽんと叩いて宥める。
紫乃はどうにか勢いを殺して、ふーっと長く息を吐き出した。たったそれだけで、興奮の操作ができるとは思えない。それでも、そう心がけようという志があるだけ成長が見えた。
「蓮司が急に厳しくなりました。でも、ちゃんと大人しくしておきますから、次は花学やってくださいね。ね?」
二度目のお願いは、小首を傾げて覗き込んでくる。
おねだりとも取れる態度には、苦笑してしまった。あまりにも堂に入っているものだから、若当主にも同じ技を繰り出しているに違いない。もしかすると、兄のほうかもしれないが。
「ぬか喜びさせるつもりはないぞ」
「約束です」
紫乃は手を離して、ぐいっと小指を差し出してくる。勢いが良すぎて首が後ろに逃げそうになったくらいだ。
指切りげんまんなんて、したことがあっただろうか。記憶を探っても、そんな微笑ましいやり取りをした記憶などない。この歳になって、こんなにも意気揚々と求められるとは思いもしなかった。
しかし、やらないと失意を示すだろう。駄々を捏ねるほど子どもではないかもしれないが、話を反故にするつもりはない。
俺は小指を差し出して絡めた。紫乃の指は細くて折れそうだ。すぐに離したくなったが、紫乃はきっちり歌いきる。指切った、と離されたときには、ふっと気が抜けた。
いくら指切りをしても、口約束は口約束だろう。それでも、紫乃は信じているようだ。そうして、上機嫌で結月さんと手を繋いで部屋へと帰っていった。
花学用に準備したのはハイビスカスだ。
炎属性に分類される花は、花びらを燃やして火として使う。コンロ替わりの利用も可能だ。常用しているものでもあるし、不安もない。初歩には、ちょうどいいものだろう。
そう考えて準備をしたハイビスカスの鉢植えは、赤々と花を咲かせていた。
火力として使うとなれば、年中供給されなければならない。もちろん、他にも炎属性の花はあるので、必ずしもハイビスカスで持たせる必要はない。だが、やはり定期的な供給はいる。そのために育成されたハイビスカスは良質なものを手に入れられた。
お金が品質に直結する。学生時代のバイト代で購入していたものと比べると、数段艶のある花が咲いていた。見ているだけで楽しい。
紫乃もきっと、目に入れただけでテンションをぶち上げるだろう。その元気さが容易に想像できて、一人で忍び笑いを零してしまった。
思い出し笑いをするようになるとは思いもしない。未来をどれだけ思い描いてみても、自分がそんな生活を送るとは想像できなかった。
まさか、という思いが強い。紫乃に生活が脅かされている。他の誰かだったなら、俺は拒絶していたかもしれない。それほど、花学に身を投じて生きていくつもりだったのだ。
それが、蓋を開けてみれば、あっさり紫乃にほだされている。以前からその節はあったが、結月さんに虚弱っぷりを聞いてから加速度的に増したような気がした。
とはいえ、悪い気はしていない。約束を楽しみにしているのは、俺も一緒だ。
そして、その待ちわびた日は、前回よりも早くやってきた。約束を果たして三日後。やってきた紫乃は、笑顔を咲かせている。やってきただけでもその状態だ。研究室として使っている寝室へ足を踏み入れると、その表情はますます輝いた。
結月さんがにわかに表情を顰める。あからさまではないが、その表情の差を見分けられるくらいには、様子が読めるようになっていた。
これには意外な気持ちがしたが、これは紫乃の様子を検知できるようになったからだろう。このままでは興奮が悪いように作用すると気がついているから、結月さんが苦い気持ちになっているのも分かるというわけだ。
「綺麗なハイビスカスです」
「いいものを手に入れられたからな」
「ハイビスカスってことは火を扱うんですか? 大丈夫ですか??」
火気の扱いに危機感が備わっていることは好ましい。
ハイビスカスは品種によって、火力に差がある。危険を危惧するのも当然だった。紫乃にそれだけの知識が身についていることに、他人事ながら嬉しくなる。
「今日使うハイビスカスは火力が低いものだから、問題ない。きちんと防火シートも用意してあるから、すぐに被せてしまえば消化もできるよ。消化器も準備している」
「万端ですね」
「手抜かりはしないと言っただろ。君はどうだ?」
「問題ありませんよ。この通り、きちんと元気にやって来られましたもん」
「……興奮し過ぎないように」
言ったところで、テンションの上げ下げによる体調の変化を調節することはできないだろう。それでも、注意しておかなければ不安だった。
紫乃は不満げに片眉を持ち上げたが、そんな顔をされたって言わないわけにはいかない。
「じゃあ、早速やろう。こっちにおいで、紫乃」
踏み台も用意しておいた。自分がそういうところに気が回るようになるとは意外性しかない。紫乃は鞠のような笑顔でそこに乗り上げる。テーブルの上に胸元が出るように立てた紫乃は、それだけでも楽しそうだ。
「それじゃあ」
言いながら、テーブルの上に防火シートを設置し、その上に燃やすための紙を置く。そばへハイビスカスの鉢も移動させた。
紫乃はそれをまんじりともせず見つめている。
「花びらを一枚取って、こっちの液体につけてから揉んですぐに手を離すように。シートの上の用紙に置けばいい。いいか?」
「……大丈夫なのですか?」
割ってきたのは結月さんだ。
いつもよりも控えている位置が近かった。紫乃よりも花学に疎い。心配なのだろう。紫乃の安全を保つのも結月さんの任務でもあるはずだ。それを抜いたって、心を寄せている。
将樹様と比べるのは非道だろうが、三分の一くらいは同じようなものだと思っていた。
「問題ありませんよ。すぐに手を離すことだけは確実に守ること……防護手袋をしてくれ」
テーブルの上に出しておいた手袋を紫乃に手渡した。
紫乃は頷いて、手の安全を高める。その様子を見て、結月さんも納得したのか。俺に向かって頷いてくれた。控える距離がいつもに戻ったことで、任されたことを察する。しゃんと背が伸びた。
「これで準備は問題ありませんか?」
手袋を嵌めた紫乃が、今か今かと心待ちにして顔でこちらを見上げてくる。苦笑いを噛み殺すことはできなかったが、深く頷いて了承した。
紫乃は瞳をハイビスカスと同じようにきらめかせながら、しかし、神妙な顔でテーブルと向き合う。テンションは上がっているが、気を引き締めることはできているらしい。それが分かっているのなら、これ以上忠告することはなかった。
呼吸を整えて、姿勢を正す。そうして、ハイビスカスの花弁へ手を伸ばした。一片をほろりと取った紫乃は、バットに注いでおいた液体に浸す。
液体は栄養液と薬草を混ぜたものだ。花が花のままエネルギー源になってしまうと、そのまま野原が火の海になる。手順を踏んだうえでのエネルギー化が発見されたからこそ、新技術として流布し始めているところなのだ。
そうして、液体につけた花弁を取り出す。ぬらりとしたそれを指で潰して、紫乃は言いつけ通りにすぐに手放した。ぼっと炎が燃え上がって、しばらく火をたたえ続ける。紙が燃え上がり消し炭となってから、防火シートに到達して静かに消え去っていた。
花弁ひとつで起こる花学反応は一瞬の出来事だ。
みるみるうちに終わった一連を見終えた紫乃は、テーブルを凝視したまま動かない。何を感じているのだろうか。あっけないことに落胆しているのか。それとも、何か不備でもあったのか。
様子を窺っていると、紫乃は悠々とこちらを振り仰いでくる。その緩やかな動きは、いつもよりもずっとのろいように見えた。それは、紫乃の感情を推し量ることができないからだろう。柄にもなく、緊張していたらしい。
そうしてこちらを見た紫乃の表情は、千両の笑みだった。輝かせる色彩は黄色く華やいだ向日葵のようだ。いつだって、笑顔で楽しんでいる。その際限や比較などは、軽率にできるものではない。
だが、今が今までで一番いい笑顔をしていた。
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