第14話
紫乃との会話は、面白い。
大方は、俺が知識をひけらかすことになる。教示しているかどうかは、怪しいところだ。俺は教鞭を執ったことなどないし、教えることに向いていない。聞かれたことに答えているだけだ。それが教えとして機能しているとは言い難い。
しかし、紫乃はそれを気にすることはないようだ。答えが聞けるだけでいいらしい。紫乃はふんふんと何度も相槌を打って、俺が放出している言葉を嬉しそうに浴びていた。
そして、理解したことを口にして再確認してくる。その際に、紫乃は面白い着想を口にすることがあった。
花学としての花の使い方を薬草に応用できないのか。それは、よくある思想ではある。研究材料にしている人もいるだろう。それを小難しさなどを排除した、無邪気な様子で口にした。
面白いことを考えついた、というような素振りもない。ごくごく自然に、そういうことはできないのか? と疑問を口にしただけのような言い方だ。
その無垢さが玲瓏で、気持ちを改められる。俺も花学に出会ったときは、色々な物事に応用できるのではないかと胸を弾ませたものだ。今、目の前で会話できることが嬉しいとばかりに零す紫乃のように。もっとずっと、無邪気に花学と向き合っていただろう。
今が擦れたとは思わない。今だって、あれこれと考えているから、研究にも手を伸ばしている。だから、初心を忘れているわけではない。
だが、紫乃のその新鮮味は、触れたばかりだからこそのものであるだろう。それに当てられることは、俺にもいい影響をもたらした。真新しい気持ちを充填し続けられるというのは、よい環境だ。
当初こそ、そして今だって、すべてを容認できているかと言われれば肯定は難しい。繊細過ぎる紫乃の体調に対して、わずかなりとも煩わしさを覚えることもある。
ただ、それと同時に紫乃と会話することが刺激になっていた。紫乃は花学について話せる相手が初めてで、わくわくしてたまらないらしい。しかし、俺だって花学について語り合うものなどいなかったのだ。
紫乃との会話は発想力の足しにもなるし、息抜きとしてもちょうどいい。これは紫乃の体力不足によって、日がな一日中まとわりつかれるわけではないからだろう。
これがいい塩梅だというのは、いくらか具合が悪い。紫乃の虚弱を認めているようなものだ。そんなつもりはないとどれだけ言ったところで、都合が良く聞こえるだろう。それでも、ちょうどいいことに変わりはなかった。
そのサイクルに気を許して、俺は長広舌を振るう。どうしたって自分の好き勝手に喋ってしまっていた。そうして吐き出す気持ちよさに酔っていたとも言えるかもしれない。
それでも、紫乃は気にした様子はなかった。俺たちの会話の相性はいいのだろう。花学という共通項があるからこそだ。それがなければ、これほどに打ち解けることはなかった。
実際、同じ期間同じように時間を共有している結月さんと近付いている気はしない。それは、結月さんが控えているだけということもあるだろう。紫乃がストッパーを外して興奮しない限りは、俺たちの会話に割ってくることはなかった。
「蓮司は花学に詳しい」
「庭師だからな」
資格を取るためには、紫乃の読んでいる基礎発展にある内容くらいは頭に入っていないと話にならない。
だからこそ、紫乃が知っている限りであれば詳しいと胸を張ることができる。そうでなければ、詳しいと言明するのは難しかった。
俺はまだペーペーだ。経験だって、足りていないだろう。研究については在学中にも手を出していたので、やり方は積み重ねていた。その点では、いくらか経験値はある。だからって、胸を張れるのは紫乃相手だからだ。俺はそこまで自惚れていない。
「庭師と花学者はまた少し違うでしょ? それなのに、しっかり学んでいますよね」
「庭師にとって花学の基礎は重要だからな」
「花壇の扱いに花学が必要なのですか?」
その関連付けは当たり前のように行われている。今更、分離して考えるものがいることが新鮮だ。触れ合ったばかりの紫乃だからこそ、だろう。学生となれば、庭師に必要というセットアップになってしまっている。
「花について勉強しようと思えば、今は花学とは切っても切り離せないからな。花学は正式には、花のエネルギーを利用することにあるけど、そのためには育成もしなくちゃならない。そうなると、庭師としての花を育てる技術が関わってくる。だから、その二つは密接に関わっていて、ほとんど同一になっているかもしれない。庭師でありながら花学に疎いままでいると、一段二段劣ると言われている」
「蓮司は優秀なのですね」
どこを基準にした評価なのか。苦笑が零れ落ちてしまうのもやむを得ないだろう。詳しいことを肯定することはできるが、それが優秀に繋がるとなれば話が違った。
「違うのですか?」
「俺はまだまだだよ」
「蓮司でもまだまだなのですか……」
紫乃はそれが悲しいこととばかりに呟く。何か幻滅でもさせただろうか。
紫乃の世界は、俺が思うよりもずっと狭い。箱入り娘だとは予想していたし、虚弱であることも考えていた。それでも、ここまでの紫乃の調子。結月さんから伝えられた体力のなさを鑑みれば、型破りな箱入りになっているはずだ。
将樹様の様子からしても、過保護に包まれているだろう。若当主が許していたとしても、あの兄が何かとくっついていそうだ。
必要であることなのかもしれない。紫乃のことを考えれば、過保護になるのも頷ける。しかし、そうして手厚い保護を受けているがゆえに、紫乃の世界は狭くなっていた。悪いことではない。というよりも、やむを得ないことだ。
そして、その狭い世界の中に突如現れた自分が、紫乃にとって特殊な立ち位置になっていることは分かっていた。だが、それにしたって、こんなにも贔屓されているとは思わない。
しょぼんとした紫乃は、静々とこちらを見上げてきた。
「だったら、わたしはもっともっとまだまだですよね? どうすればいいですか?」
俺の評価に対するものではなく、自分の知識量への消沈だったらしい。ますます苦笑が零れてしまったが、そっちのほうがよっぽど納得できた。
自分の付加価値が妙に高まっていなかったことには、いっそ安堵したほどだ。身に余る評価をしてもらっては、プレッシャーを感じる。
それならば、自身のことに懸命になってもらったほうが気が楽だった。それに、そこまで貪欲でいてくれるのは前途が明るい。
学園を卒業したからというわけではないが、後輩が育つことを考えようになっていた。
「花学は学園で学ぶものだから、紫乃の年齢ならまだまだでも遅くはない」
「こうやって本があるのですから、早い人はもっと早く手を出しているものではないですか?」
「それは花学に精通する家系に育ったような子じゃないか」
注目されている分野ではある。だが、まだまだ世に広まっているとは言い難い。今まさに広がろうという過渡期だ。
これから先の子どもたちは、紫乃の言う通りに幼いころから触れる機会が増えていくだろう。しかし、紫乃たちの年代であれば、今からでまったく遅くはない。俺たちは学園に入ってからのことだったのだ。
それを思えば、早いうちから学んでくる後輩たちに負けてはいられないな、と後身に馳せていた思いが自身を省みる思考に切り替わった。
「じゃあ、わたしは追いつくことができますか?」
「追いつくも何も突っ走ってると思うが」
「わたしは走れませんよ」
何でもないふうに切り返される。これは言い回しの話であって、実際の話ではない。しかし、ここですぱんと断言できてしまう紫乃の虚弱さは切実だ。苦々しい気持ちになる。
「知識では先陣を切れているから素晴らしいことだな」
「本当?」
俺としては、重大なつもりはなかった。多少は励まそうという気はあったかもしれない。だが、それで紫乃の感情を揺さぶれるとは思っていなかった。言ってしまえば、言葉遊びの延長でしかない。
しかし、紫乃は目を丸くして、こちらをまじまじと見てくる。それは確かめるような。どこか縋るような。そんな表情で、目を眇めてしまった。手ぬるいことはできない、と咄嗟に掴んだのは、得策だっただろう。
「もちろん」
即答は嘘くさいかとも思った。けれど、間など作るつもりはない。掴んだものを信じて頷いた俺に、紫乃は眉を下げて笑った。
いつもの晴れ渡るような笑顔とは違う。万感篭もったような笑みが、心臓を掴んだ。手が出たのは無意識だった。頭を撫でると、紫乃はますます笑み崩れる。
「嬉しいです。わたし、頑張ります」
「頑張り過ぎることはないからな」
警告しておかなければ、どこまでも猪突猛進していくのが目に見えていた。空々しいし、万に一つも手綱になるとは思えない。
案の定、紫乃は見る間に不機嫌そうになった。頑張るつもりだったところに差し出口を挟まれて、つまらない。何とも読みやすい子だ。
俺がこの短期間に紫乃に慣れたのは、この分かりやすさもあるだろう。根が真っ直ぐな子だった。お嬢様だから、というよりも生活が狭いからこその朴直さなのかもしれない。それとも、子どもというのはあまねくそうであるのだろうか。
「そんなに焦ってもいいことはない。紫乃はこの先もずっと花学について勉強するつもりがあるんだろう? あんまり根を詰め過ぎると、疲れちゃうぞ」
撫でながら諭せば、紫乃はがっくりと肩を落とす。だが、それは納得がゆえのテンションだったらしい。ほうと息を吐き出した紫乃は、小さく頷いた。
「疲れちゃうのは困ります。倒れちゃうから」
疲労の蓄積量のタンクが他人と違うのは、自明だろう。口にされるまでもない。寂しそうに言う紫乃の髪を梳くように撫でて手を離す。
「だから、倒れないように着実に勉強していこうな」
「うん」
「結月さんにも様子を見てもらうから、手を抜くことは許さないからな」
手厳しく言うと、紫乃は少し不思議そうになった。
どうやら、体力がないこと。疲弊して使い物にならなくなってしまうこと。だからセーブされるのだと諦めていたらしい。頑張らないように言いながら、手を抜くなというのは矛盾が生じている。
それにぱちぱちと長い睫毛を瞬かせていた。
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