第13話
「花学談義となるとテンションがすっかり分からなくなってしまいましたので」
「昔からではないのですか」
「ここのところ、一気に傾倒するようになったかと存じます。昔から、本はよく読んでいました」
「賢いですよね」
「最初は暇潰しだったと思いますよ。読書はベッドの中でもできることでしたから」
「ベッドの住人だったのですね」
横になっている紫乃に目を向ける。紫乃がこうやって横になって生活してきたことは事もなく想像できた。
「そのために、読書は紫乃様の趣味となりました。あれこれと読み漁っているうちに、花学の本に辿り着いたのは近頃のことです。本はリクエストすればご当主様がご用意してくださいます」
俺の給料でさえ、紫乃に関わるのならば出し惜しみをしないのだ。紫乃本人のお願いなど、造作もなく叶えてしまうだろう。
本ともなれば、一般家庭でも我が儘として通りがいいもののように思う。実質、紫乃はその読書で花学について思考を深めているのだから、学習の意味も強いだろう。まぁ、若当主はその効果がなくとも、無条件に与えただろうが。
「そうしていれば、趣味趣向が筒抜けるものですから、秋里さんにお話が向かったのかもしれませんね」
「どこまでも紫乃のためだったのですね」
そんなことは分かりきっていて、責める気も更々ない。むしろ、好待遇が手に入っているのだから、理由なんてものはこだわることではなかった。
「ご不満がございますか」
「ありませんよ。不足は感じますが」
「不足?」
結月さんの仕草は緩やかだ。その緩慢さで傾げられる首はお淑やかさを抱かせる。それはメイドとして常に控えている。そうした物腰からの印象だろうか。
「再三になりますが、看病としてのスキルは当てになりません。薬師として業務に就くのは初めてのことですし、患者と呼ばれるものと触れ合うのも初めてです。虚弱な紫乃をフォローするには不足があるでしょう」
「それは、私も一緒だと申し上げたはずです」
話がループしている。結月さんが指摘してくることで、繰り返しがいや増していた。
「それでも、経験値が違いますよ。まったく経験のないものにとって虚弱な子というのは慣れぬものです。こういうことになってしまったのも、俺のせいでしょう」
そうやって、紫乃を見下ろした。
エーデルワイスが効いているのか。顔色も上向いたように見える。この限界を見誤ったのは俺だ。
手伝いくらいなら、という油断があった。結月さんも許可を出したから、と能天気に考えていただろう。結月さんは、作業の負担を例外なく判断できるわけではないのだ。俺が見通さなければならない間合いだった。
他の誰が誰のせいでないと言おうとも、俺には責任の一端があるはずだ。将樹様の苦言は、そう的外れでもない。安全を確保できなかったことは、俺の失点だ。
結月さんの指先が、紫乃の顔にかかった髪の毛を払うように動いた。紫乃はすぅすぅと寝息を立てている。
「十分な回復ができていると思われます」
「回復すればいいというものではないでしょう」
「回復に力を貸すことが秋里さんのお仕事でしょうから、十分に責を果たしています」
フォローというよりは事実であるだろう。俺もそこまで卑屈になるつもりはない。
だが、感情論としては、簡素に割り切れるものではなかった。紫乃に苦しい思いをさせたくはない。それくらいの思い入れは生まれている。
でなければ、手伝わせようという気すら起こらない。俺は元来、人にペースを乱されるのは嫌いだ。自分一人でこつこつと物事をこなすのが自分に合っている。
それが分かっているから、庭師や薬師などの個人能力に一任される職に就いた。もちろん、すべてが個人で完結しないことは分かっている。
それでも、作業は個人の裁量に任されるものだ。そこに他人の手が入る。通常ならば嫌悪するくらいだ。それを容受するくらいには、紫乃に気持ちを割いている。だからこそ、痛める胸もあった。
「紫乃がどんなことに弱くて、どんなことで消耗して、どれくらい体調が持つのか。そういうことを教えてもらえますか」
反省するだけなら、いくらでもできる。
だが、紫乃はこの先も俺の元にやってくるだろう。花壇は季節ごとに姿を変えたりするものだ。そのたびに、興奮させて倒れさせるわけにはいかない。
結月さんは目を丸くしつつも、背筋を伸ばした。即応してくれる切れ者はありがたい。そして、それから紫乃が目覚めるまで、俺は結月さんに今までのことや紫乃の虚弱さを根掘り葉掘り聞き出した。
倒れた日以降、紫乃は顔を出していない。
やはり、発熱は負担だったのだろう。体力がないために、回復に時間がかかるらしい。想像することはできたが、思った以上にかかるようだった。
あの後、紫乃が別の不調に陥った可能性も拭えない。俺の元に、紫乃の連絡が届けられることはなかった。
俺の仕事に、紫乃とのやり取りが明確に組み込まれているわけではない。給料に影響はあるが、それ自体が仕事ではなかった。庭を整えて、薬を作っておく。それが俺の仕事で、それ以上はない。
なので、淡々と仕事をこなし、一週間が経った。そのころになって、ようやく結月さんが離れへやってくる。紫乃の不在に結月さんがやってくることは、初めてのことだった。
驚く俺の前に、花学基礎の本が差し出される。
「いいのですか?」
「動くことは禁止されていますが、ベッドの上で作業する分には問題ないほどに回復しています。まとめ終わっていますし、聞きたいことのメモも終わっているようですのでお返し致します」
「他のものをお返ししましょうか?」
「よろしいのでしょうか?」
「興奮させてしまわないタイミングを結月さんにお任せします。少々お待ちください」
紫乃とは違い、結月さんは離れの中にまで突撃してきたりはしない。本のやり取りをするだけなら、足を踏み入れてくることもなかった。それを味気ないと取ることもできるだろう。だが、俺にとっては心地の良い距離感だった。
研究所の本棚から、花学基礎発展という本を取り出して、結月さんの元へと戻る。結月さんは慇懃に、扉の前で待機していた。この行儀の良さを、紫乃にも見習って欲しいものだ。
かといって、今更他人行儀になられても、それはそれで気持ち悪そうだけれど。
「お待たせしました。基礎と本の雰囲気は一緒なので読みやすいと思いますけど、分からないことがあったらまたいつでもどうぞとお伝えください」
「ありがとう存じます。きっとお喜びになるでしょう」
そう言いながらも、結月さんの表情は苦さが走っていた。
それはそうだろう。喜ぶ、なんて言葉では到底収まらない。興奮のせいで発熱がぶり返すことすらありえる。その大喜び以上のテンションが想像できるからこその表情だろう。
それを察したこちらまで、苦笑いが零れた。交わしたアイコンタクトは、紫乃の不釣り合いなハツラツさに対する不安を分かち合うものだっただろう。
そんな紫乃が復活してきたのは、その本のやり取りから更に一週間後のことだ。最初に倒れてから二週間。たったと取るのか、大層と取るのか。どっちにも取れるだろうが、紫乃の突撃訪問に慣れてしまったがゆえの物足りなさはあった。
そんなことを感じているときにやってきた紫乃の姿には、待ちわびていたような心地にさせられる。それは、紫乃へ感情を割いていたというよりは、紫乃の体調が引っかかっていたというほうが正しい。
「蓮司!」
と飛び込んできた小さな身体が元気いっぱいであったことには、雑念なく安堵した。
銀色の髪がつやつやと輝いて、表情もつやつやしている。赤い瞳も爛々と輝いていて、その深紅の薔薇は見ていて飽きないものだ。元気でも元気とは言えないのだろうが、元気で何よりだった。
「もう元気になったのか? あまりはしゃがない」
天にも昇るようなはしゃぎっぷりに、肩に手を置きながら声をかける。結月さんは変わらずに後ろに控えていた。
紫乃は抑え込まれていることに不満を抱きつつも、瞳の熱量は目減りしていない。ギラギラとした瞳で、胸に抱いていた花学基礎発展の本を掲げてきた。
「分かった分かった」
何を求められているのかだなんて、聞くまでもない。仕草は無論、貪欲な顔つきで見上げてくるのだ。これを察することができないのは、よほど無感情でなければ不可能だろう。初対面であったとしても、おおよその人間が察するはずだ。
俺が了承したことで、そのきらめはより一層に輝度を増した。この眩さはどこまで広がるのだろうか。
「ほら、こっちに座れ」
紫乃の椅子は、いくつかカスタマイズを施した。クッションを複数つけるようにしたし、ブランケットも用意している。
紫乃はその変化にぱちくりと目を瞬いた。俺の心境の変遷に疑問があるのかもしれない。だが、一から十まで説明する気はなかった。
さくっと席につかせて、俺も隣に腰を下ろす。結月さんは少し離れたところに座っているのが通例だ。この状態になるのに、わざわざ会話はいらない。たとえ二週間ぶりだとしても、確認を取る気はなかった。
紫乃は疑問が拭えないようだったが、とことんスルーし尽くす。心配も配慮もしているが、過度に言葉を重ねるつもりはなかった。
「ほら、どこが知りたいんだ」
そう促してやれば、紫乃の気は簡単に引ける。
きらっと光った瞳が、すぐに本を開いた。気を逸らすのに手間がかからないのは僥倖だ。俺はその話題に乗っかって、紫乃の疑問に答えるいつもの雑談に興じた。
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