第三章
第12話
将樹様を落ち着けるには、かなりの気力を消費した。
大声でがなり立てることもなければ、暴れるようなこともなかったのは、紫乃がいたからだろう。俺だけであれば、文句などでは済まなかったはずだ。
結月さんがいてくれたことも助かった。女性に盾になってもらうというのは情けないことこの上ないが、四の五の言ってはいられない剣幕だった。
かつて、シスコンに出会ったことはある。しかし、妹を可愛いと思っている程度でしかなかった。将樹様はその範疇をとっくのとうに飛び越えている。虚弱だという分かりやすい不安要素があると言っても、過保護で過干渉。いくら言葉を足しても足りないほどの威勢であることは間違いない。
そもそも、将樹様はどうしてここに飛び込んできたのか。俺のことを耳にしていたとしても、紫乃がいるとは分からないだろうに。紫乃がいる場所が分かっていたかのように飛び込んできた。何をもって判断したのか分からな過ぎて怖い。
しかも、訪ねてくる勢いがのっぴきならなかった。正直、やべぇシスコンだという印象しかない。俺は将樹様が並べ立てる紫乃への強い感情にぶたれ続けた。
「いいか。お前は花学で紫乃の気を引いたみたいだが、使用人のくせにこのような連れ込みをしていいわけじゃないからな。紫乃のために、なんて大義名分を振りかざせば許されると思わないことだ」
「将樹様、大義名分は必要ですし、紫乃様の体調が第一ですから」
「当たり前だろう! だが、紫乃の体調を第一に考えれば、こんな環境が整っていない部屋に留めるよりもさっさと自室へ戻るほうが確実だろう。環境変化だけでも、紫乃にはストレスなんだから」
「秋里さんの離れは、紫乃様も慣れていますから」
「どれだけ慣れている場所だったとしても、そこで休めるか。心身を預けられるかは、まったくの別問題だろう。これが外であるなら、俺だって五億歩は譲る。だが、敷地内のことだ」
それは本当に譲歩しているのか。疑問は拭えないが、とにかく今の状態が気に食わない。その感覚だけは、真っ正直に届いてきた。そして、それだけが届いていれば、発言の役目は達成できている。
俺はサンドバッグになっていることしかできなかった。これで手加減されているとは思いたくない。いや、手加減されているのだろう。
いざとなれば、この男は腕力に踏み切ることもできるだろうし、大声を張り上げることもできるはずだ。それをしていないのだから、手加減以外の何ものでもない。
そうして口撃をまき散らした将樹様は、しばらくするとふぅと一息を吐いた。ただ、それだけで解放されるとは思えない。威勢のいい将樹様が、この程度で勘弁するわけがない。俺の嫌な予感というのは、こういうときばかり当たる。
そして、案の定将樹様は鋭利な視線で俺を貫いた。
言葉なくしても、これだけ責められるものか。威圧感はさすが騎士というべきなのか。それとも、シスコン拗らせ兄貴だと言うべきなのか。どちらにしても、標的にされていることに変わりはない。俺の立場が脅かされていた。
将樹様は俺の眼前へと寄ってくると、人差し指を立てて俺の目の前に突き立てる。胸ぐらを掴まれなかったのは救いだろう。暴力に訴えかけられれば、俺に勝ち目はない。それでなくとも、勝ち目はどこにも見当たらないが。
「紫乃が相手をしてくれるからと言って調子に乗らないことだ」
通常であれば、強がりや嫌味として相手にもしない。それが正解だろう。だが、看過するには迫力があり過ぎた。
俺はそれなりにでかいほうだ。それを上から見下ろしてくる騎士の男。腰には剣を差しているのだ。素人に剣を抜きやしないと分かっていても、圧迫感を増強する。
将樹様はそうして俺を脅すと、さっと身を離した。ここまで、突撃してからそれほどの時間は経っていない。紫乃だって眠ったままだ。たったそれだけで、将樹様の気が済んだとは思えない。
しかし、将樹様は身を翻して扉へと向かう。
「次はないと思え」
捨て台詞とも取れる台詞だ。
だが、猛然としている態度が、段違いの気迫になっている。そして、将樹様は本当にそれを置き台詞として、離れから出て行った。
嵐のように場を撹乱して去って行く姿を、俺は呆然と見送ることしかできない。引き止めたところで弁明でそうにもないものだから、見送るのが正答だろうけれど。けれど、いかんともしがたい後味の悪さが残った。
どうしてここまで言われなければ、という反駁が生まれるまでではない。そこに辿り着くよりも手前、シスコンだなという感想に支配されていた。
完全に立ち去り、外側から聞こえる足音が消えていく。そのころになって、ようやくどっと気抜けした。
「申し訳ありません」
決して、結月さんのせいではない。
これで将樹様が俺と同じく使用人で、結月さんの管理下にあるのなら話は別だ。だが、将樹様は主の一人であるし、結月さんの謝罪は不要だろう。俺は首を左右に振って、息を吐き出した。
「結月さんのせいではないでしょう。紫乃を大切にしてらっしゃるお兄様なのですね」
他に言いようもない。軽挙にシスコンであることを口にすることも避けるべきだろう。結月さんは厳密な表現にこだわらないだろうが、主をシスコンと断じることは問題があるはずだ。
しかも、勢いに面食らった分、いくらか鬱屈した意図も含まれている。そうとなれば、より一層表現に気を遣った。
「……少しばかり、過剰でありますので、あまり真剣に取り合わずとも問題ありません」
結月さんから見ても、将樹様のシスコンは行き過ぎているらしい。俺が男だから当たりが強いのかもしれないという気持ちもあったが、そうではなかったようだ。
「将樹様はどうしてここに来たのでしょうか」
「一度、秋里さんとお話をしたいと息巻いていると言ってらっしゃったようです。紫乃様が秋里さんの離れに通っていることは、みな知っていますから、秋里さんに会いに来たのだと思いますよ。まぁ……紫乃様のことを本能で察知したということもあるかもしれませんが」
「エスパーか何かなんですか」
思わず、本音が零れた。
結月さんもそれに反発することもなく、苦笑いで諌める。今までも、こんなふうに紫乃の不調に突然現れたりという超次元的な行動を取ってきたのだろう。できれば関わりたくないと思っていた相手だが、そういうわけにいかなさそうだ。
「昔の紫乃様は、元気である時間のほうがよっぽど少なかったですから、将樹様はいつまでもそのときの感覚でいるのだと存じます」
「……これでも、よくなったのですよね」
興奮で発熱し、ぶっ倒れる。小さな子どもならあるかもしれないが、十四になってこうなることは滅多にないはずだ。
あったとしても、興奮に実際の行動が伴うだろう。紫乃のように座りっぱなしでいて、熱が上がるというのは稀有だ。それも、微熱などではない。そのまま倒れてしまうのだから、体力のなさは度外れている。
今でも元気とは言えない。よくなったと示されているが、それでも確認せずにはいられなかった。
「かなりよくなっておりますよ。花学の発展に伴い、薬草の研究もより一層深まって参りました。それがすべてではないでしょう。ようやく、紫乃様の身体に合うお薬が見つかった、という話でしかないのかもしれません。成長とともに、ご無理の範疇が分かるようになったことで対処できるようになっただけのことかもしれません。とにかく、これでも随分と体調はよくなりました」
「生まれつなのですよね?」
「そうですね。遺伝と言われています。紫乃様のお母様もまた、虚弱であらせられましたから」
「花学の研究がもっと深まれば、虚弱を軽減する花が見つかるかもしれませんね」
希望的観測であるかもしれない。
しかし、ない話ではないのだ。花学によって、薬学はかなり進歩していた。花の特性が薬草に大きな変化を与えている。今まで存在して薬も、花の力によって効果が倍増したものもあった。
現在、紫乃が服用している薬にも、そうした効果が得られたものがある。それが紫乃の健康状態を好転させたのだろう。これを好転していると言えるかどうかは不明だが。だが、これから先に期待が持てるのは嘘でも何でもなかった。
結月さんは緩く頷く。
「そうした点でも、ご当主様は秋里さんを取り立てたのだと思われますよ」
「俺ではそこまで力になれないと思いますが」
「それでも、可能性に賭けたいのだと存じます。薬師がそばにいれば、もしものときに即座に対応していただけますから」
「俺がそこまでの手腕を持っているかどうかは、賭けではありませんか? あまりにも、希望的に過ぎます」
「きちんと身辺調査されていると思いますよ」
「だからこそ、賭けだと思うんですが」
「秋里さんは成績について自覚を持つべきかと存じます。秋里さんの薬師資格試験の合格点数はほぼ満点でしょう」
「資格試験は勉強すれば点数が取れるようになっているものでしょう。学習しておけば、取れない資格ではありませんよ。花学の学習をしていれば、自然に薬草についても詳しくなりますし、難しいことはありません」
「それでも点数を取られていることに間違いはありません。そもそも、薬師資格とはかなりの倍率になりますから、資格を有しているだけでも優秀ですよ」
「……ありがとうございます」
資格を持っていることに嘘はない。これ以上、食い下がったってしょうがないことだ。自身としては、庭師の資格を取るついでに取っただけに過ぎない。賞賛されたところで、いまいち実感はなかった。
頭を下げた俺に、結月さんは納得したらしい。
「私も薬師の資格を持っている使用人が増えるのはとても安心できます」
「紫乃のために働きはしますが、安心できるような看病の経験が俺にはありませんよ。今日だって、役に立ったとは言い難いです。結月さんありきのことでしょう。興奮の度合いを見極めることもできませんし」
「……これはあまり褒められたことではありませんが、私でもまだ完璧に掌握しきれていません」
「結月さんでも?」
驚きは隠せない。結月さんはどんなときだって沈着に対応していた。少なくとも、俺が察するような焦燥感などを表立たせたことはない。紫乃のことは結月さんに任せておけばいい。そう思い込んでいたが、そういうわけでもないようだ。
驚いた俺に、結月さんは苦々しい顔になった。
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