第95話 田舎にて 5

「おはよ、太一くん」


 翌朝、久しぶりに渚と共に目覚めた。

 やっぱり渚の匂いは好きだ。


「昨日の話なんだけどさ……僕は匂いの相性以上に渚が好きなんだ。それは分かって欲しい」

「ありがと、嬉しい。もちろん、それはわかってるんだ」


「渚はもしかしたら運命みたいなものを考えてるのかもしれないけど、僕と渚の関係は、二人で築き上げた結果なんだから、そんな運命みたいなものに邪魔させるつもりはないよ。僕のことも、もちろん渚のことも」

「……うん」


 渚は、何かひとつ違えば渚を失っていたかもしれないと不安に思った僕と同じように、僕を失っていたかもしれないと考えたのかもしれない。



 布団を上げ、ランニングの準備に起きだす。昨日は早めに布団へ入ったので今朝も元気だ。天気もよさそうなので、後で布団を干した方がいいかもしれない。掃除はお屋敷の人任せではなく、部屋を借りている一角と廊下の拭き掃除くらいはしている。浴衣で裸足だと、やっぱりきれいに掃除しているかどうかがすぐわかるのだ。


 部屋が離れていたため、渚が奥村さんに声をかけに行く。

 しばらく待っていると奥村さんがランニング用のウェアを着て出てくる。

 ちなみに僕も、少し前にウェアを買ったので学校の体操服ではない。


「おはようございます、太一さん」

「おは…………え?」


 奥村さんの呼びかけに思考が停止する。


「――あの奥村さん、どうしたんですか??」

「百合です」


「へ?」

「百合って呼んでください」


 どういうこと!?――って奥村さんの隣に立つ渚に視線を送るが、渚はニコニコと微笑んでいた。昨日の夜のことと言い、渚は何を考えているんだ。昨日はまるで、僕が奥村さんの入浴に反応して暴発してしまったみたいになってばつが悪かったし。まあ、実際に見てしまったら耐えられるか自信がないけど、昨日のは渚がぎゅっとしてきたのが原因だ。


「えと、百合さん……」

「はい」


「おはようございます……」

「はい、おはようございます」


 どういう顔をしていいかわからなかったが、何にしても奥村さんが昨日までと違って元気そうなのは良かったと思う。


 そしてランニング中、奥村さんがやたらペースを上げていた。


「空気が綺麗で走っていて気持ちがいいわね、渚!」

「百合ちゃん! ペース上げすぎ!」


「追いつけないなら置いていくわよ!」

「負けないから!」


 なんでこんな朝早くから全力疾走してるかな……。二人のテンションについていけず、僕はマイペースで走ることにした。



 ◇◇◇◇◇



「おっはー、太一んこ!」


 ランニングから戻ってくると、イカれたテンションで七虹香が声をかけてきた。

 すかさずチョップを入れると、サムズアップとともに舌をテヘペロしてくる七虹香。


「奥村さんも居るのに卑猥な渾名をつけるな」

「百合です」


「ゆ、百合さんも居るのに……」

「名前呼びしてくれるようになったんだ! これぁベッドに誘われる日も近いね!」


「馬鹿言うなよ、お、百合さんに叱られるぞ」

「そうね」


 ほらみろ――とは言ったものの奥村さんが怒っている様子はない。逆に七虹香へとスキンシップを取りに行っている。お互いに名前で呼び合っているみたいだし、いつの間にって思うけれど……ま、仲良くなれたのはいいのかな。


「太一くん、お出かけの準備しよ。明日から忙しくなるから」

「親戚が集まるの……渚の叔父さんとかも来るんだよね……」


「大丈夫だよ、太一くんは堂々としていれば」

「そうかもしれないけどさ……」


「ほら、今日は山に行くの! 昨日くらいの雨なら水が出ることは無いって言ってたし」

「わかった。渚の田舎をいっぱい楽しまないとね」



 ◇◇◇◇◇



 お盆を迎える準備は僕らも手伝った。あの竜宏とかいう叔父とは光枝さんが席を離してくれたこともあって挨拶以上の接触はなかった。もちろん汐莉さんにも。


 御当主さんに挨拶をして食事をし、また中には泊っていく人も居てお祭りに行く予定の人も。光枝さんはお泊りの親族たちの相手で大変そうだった。叔父の竜宏の家族も泊っていくようだけれど、光枝さんはこちらも部屋を離してくれた。向こうはいつもと違う部屋で文句を言っていたみたいだけど。


 そしてお祭りの当日を迎えた。


「じゃじゃーん! 見て見て! あたしのマイ草履!」


 ――と七虹香。ちょっと背が高めの黒い草履にキラキラとかレースとかいろいろついている。


「あら、かわいい。最近はそんなのもあるのね」

「これ、あたしがデコったんです!」

「一緒にいろいろ買いに行ったのよねー」


 翔子さんと仲良く、光枝さんに草履の話をしていた。そこへ七虹香のお父さんもやって来た。


「パパ、見て見て!」

「おっ、足元のオシャレだな。七虹香らしくってかわいいな」

「そういえば七虹香ちゃん、私の子供になりたかったなんて言ってくれて――」

「まあ翔子、よかったわね!」


 七虹香の家族も幸せそうでよかった。

 半年前ならこうは行かなかったのだろう。


「太一! 今日はパパたちと一緒に回ることにする!」

「うん、それがいいと思うよ」


「あたしが居ないと寂しいよね、わかってるわかってる」

「いや、まあ…………そうだな。寂しいな」


 確かに七虹香はどんな時でも雰囲気を楽しくしてくれるので間違ってはいない。


「百合、渚と太一は任せたから、変なのに絡まれた時はよろしくねー」

「わかった」

「いや、僕がちゃんと守るから」

「だって! よかったね、百合ちゃん」


 七虹香たちは父親の車で先に出た。



「嫌ね、もう……」

「あら? どうしたの? 汐莉さん」


 渚のお母さんがやってきた。今日は車で行って僕たちを降ろしたら別行動の予定。


「竜宏さん、私に別の部屋に泊まれってしつこくて……ほら、昔、新婚の頃に使ってた部屋があったでしょう。景色は綺麗なんですけどしつこいのが気味悪くて……」


「ダメダメ! お母さん、あそこ泊まっちゃダメだよ」

「渚、知ってるの?」


「ん、えっとそれは……」

「あそこね、渚ちゃんと太一くんに使って貰おうと思って。ほら、婚約してるんでしょ? 雰囲気もいい場所だし構わないわよね?」

「それは…………構いませんけど。――渚、ちゃんと大人しく寝るのよ?」



 ◇◇◇◇◇



「じゃあ、帰りは電車で帰るから」

「気を付けてね。太一くんも渚たちを宜しくね」

「はい、お母さんもお気をつけて」

「ありがとうございます、お母さま」


 駅の近くで降ろしてもらって旧街道へ向かう。

 さすがに三人並んで歩くのは邪魔なので、二人並んで歩かせて後ろをついていく。

 渚と歩いて、奥村さんをひとり歩かせるわけにはいかないからね。


 渚は華やかな朱の浴衣。牡丹か何かの模様と緑の葉。少し派手で幼く見えるかもしれないけれど、紺の帯が全体を引き締めてくれているし、何よりお祭りなら派手でも大丈夫。エクステでまとめ髪を作って櫛簪もすこし華やかなのをつけている。


 奥村さんは紺地に白の流水と杜若かきつばた。渚のお母さんから借りてきたらしい。光枝さんも、汐莉さんの若い頃にそっくりと褒めていた。渚とは逆に、朱の入った帯で華やかさを出している。髪も渚とお揃いで後ろでまとめ、シックな銀細工だけど少し派手めなビラなんかのついた簪をつけていた。



 会話していた二人がふと、こちらを見る。

 二人は示し合わせたように僕の両側に来るとそれぞれに腕を取った。


「いや、ちょっと! 何やってんの、奥村さんも!」

「太一くん? さっき守ってくれるって言ったよね?」


「えっ、だって邪魔になるでしょ? 他の人に」

「このまま渚と二人で歩くと、必ず男に声をかけられますけどいいですか?」


「嫌ですけど……僕の彼女は渚ですからね!?」

「でしたら良いでしょ? あと、百合です」


 渚が奥村さんと何を話し合ったのかはわからない。少なくとも、最初は彼女の想いの決着をつけたいというのがお互いの考えだった。それが三日前の朝から突然こんな状態になった。奥村さんは晴れやかな笑顔を見せるようになり、何か吹っ切れたような印象。


 逆に七虹香は憑き物が取れたかのように僕に絡んでこなくなった。そして新しい彼氏を作りたいけど、誰かいい人が居ないかなんて言い始めた。誰かって言われてもなあ、僕の知り合いは当然、七虹香とも知り合いだ。


 さらにそれまで七虹香のポジションだった場所に奥村さんが滑り込んで来た。なんで? 彼女はこんな感じで触れてくるのに渚は文句のひとつも言わない。


 渚、わかってる? 僕には渚だけなんだよ?







--

 オレたちのラブコメはこれからだ!(百合さん並感)


 結局、奥村さんの抵抗に遭い、ラブコメ不条理は決着がつきませんでした。

 次回は短いエピローグです。


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