第90話 田舎にて 3
その日の遅くに渚のお母さんが到着した。
僕らはお礼を言って自分たちの荷物を運び出す。運転は慣れたものらしいけれど、仕事帰りでそのままこっちに来ると言うので疲れてないか心配していた。
「じゃあ、太一くんに腰でも揉んでもらおうかな?」
「えっ!?」
「ダメ! 絶対ダメだからね!」
「冗談よ、渚」
「お母さんじゃ冗談で済まないんだから!」
「おばさま、わわ、わたくしがお揉みしましょうか!」
「あら、嬉しいわ、七虹香ちゃん」
「七虹香は鼻息がヤバいからやめといた方がいいです」
「ストレッチの補助ならインストラクターに教わったので任せてください」
「じゃあ、お風呂の後でお願いしてもいいかしら? 奥村さん……百合ちゃんでもいい?」
「はい!」
嬉しそうな奥村さんだった。
◇◇◇◇◇
僕と渚は荷物から参考書や問題集を引っ張り出す。渚とはその辺、親に文句を言われないだけの勉強はするようにしていた。特に理数系を目指す僕らは数学には力を入れていて、最近は大学受験を見越した参考書なんかも今から挑戦していた。
「やっば! ヤバいわ。あれはヤバい」
そう言いながら襖を開けて僕らの部屋に入ってくる七虹香。
「何かあったの?」
「汐莉さん、エロすぎる! あと奥村も! 二人でストレッチしてたらビジュアルがヤバい! エロビデオ観てる気分!」
「いや観たことあるのかよ」
「あるに決まってんでしょ!」
「そんな当たり前みたいに言われてもな……」
「太一くんは観たことあるの?」
「いや、その……」
「あっ、太一、観たことあるんだー。いけないんだー」
「お前が言うなよ!」
「どんなの観たの?」
「えっ、いや、観てないって」
「太一くん?」
「どんなのが好きなのかなー、太一は」
「渚と付き合い始めてからは観てない、ほんとに」
「うっそだー」
「そっか。今度また色々聞かせてね」
「ほらっ、いいから勉強やんないと」
「えっ、太一ここまで来て勉強すんの?」
「七虹香ちゃん、知りたがってたでしょ? 私と太一くんの付き合い方。これもそのひとつだよ。親に心配かけないくらいにはちゃんと勉強の時間を取るの」
「えっ、そこからなの!?」
「長続きの秘訣だよ?」
「うっ、そう言われたら弱い……」
七虹香の荷物は明日届くので、今は渚の問題集を借りる事に。
一応、言ってあったから持ってきているとは思うけれど……。
その後、奥村さんもやってきて四人で二時間ほど勉強をした。
◇◇◇◇◇
「じゃあね。あと、あの……もしかしたら明後日の夜くらいに、その……できるかも」
そう言って部屋に戻っていった渚。
何ができるというのだろう――が、渚の考えているようなことなんてひとつしか思い浮かばなかった。ただ、こんな平屋で襖と障子だらけの建物でエッチなんてできるはずが無いと思うんだけど……。
◇◇◇◇◇
翌日は朝から出かける準備。今日はみんな洋装。
渚のお母さんの車で僕らがちょうど乗れる。途中でお供えの花を買って、鈴代家の墓所へ。お墓は山の斜面、町の共同墓地のようだった。山道の下草は刈られ、野焼きの後がある。ただそれでも山道以外は草や木が生い茂っていた。
「まだ朝だからセミが鳴いてるね」
「セミなら大丈夫。遠くに居るってわかるから。バッタとかは無理」
「別にバッタは襲ってこないだろ」
「バッタ噛むじゃん!」
「バッタって噛むの? 噛まないでしょう?」
「噛むよー」
「肉食のバッタが居て噛むんだよ。キリギリスとか」
「そうなんだ……」
「あたし小さいころバッタに噛まれて、それっから嫌いになったもん」
「バッタってすぐ脚がもげるよね」
「ギャー! ヤメテー! 渚、怖いこと言わない!」
「渚は小さい頃、バッタとかカナヘビとか捕まえて翔子たち追い回してたわよね」
「渚、そんなことしてたの!?」
「私、覚えてない……」
「渚ったら、お転婆だったのね」
「ほら着いた。ここよ」
鈴代のお墓は二つあって、どちらも白っぽいお墓だった。
「鈴代のお祖父ちゃんが建てたお墓がそっちで、こっちはご先祖様のお墓をまとめたの。渚のお父さんが入ってるのはそっちね。弟さんがお参りしたあとみたいね。敷地の中の草だけ抜いておいてくれる?」
僕らは手入れされている墓地に少しだけ生えた草を抜いておいた。
その後、渚のお母さんは汲んできた水をお墓に掛けながら――あなた、渚と会いに来ましたよ――と、愛おしそうに表面を擦って洗っていた。渚のお母さんの気持ちは今の僕にはとても計れないが、大事な人が亡くなったらあんな風にお墓を扱うものなのだろうか。
汐莉さんはタオルを絞りながらお墓を拭きあげると、花と屋敷から持ってきたお供え物、線香を供える。拝むのかなと思ったら、汐莉さんは僕を手招きした。汐莉さんは突然、僕の肩を抱き――。
「じゃ~ん、渚の彼氏だよ! あなたによく似てかっこいいよね。渚を大事にしてくれるって! よかったね」
突然の汐莉さんの砕けた様子にびっくりした僕は、一瞬、隣に居るのが高校生か大学生の女の子に思えた。そして普段なら文句のひとつも言いそうな渚が、今回は何も言わなかった。
じゃあ太一くん、どうぞ――と促され、僕はお墓の前で手を合わせる。
高校生の身でいいかげんなことは言えないと、渚に誠実に接することと、料理のレシピのお礼を心の中で告げておいた。
◇◇◇◇◇
それぞれに何を話したのかはわからないけど、渚や汐莉さんはもちろんのこと、奥村さんや七虹香まで長く手を合わせていた。渚やお母さんはその様子に微笑んでいた。
その後、また渚の小さい頃の話を聞きながらその辺を散策したりした。ただ、渚は捕まえたハナムグリを七虹香に見せようとして指にしがみつかれ、ぎゃっ――となってるところに今度は服へと飛び移られ、首の方へと這い上がってくる様子に――取って取って! 太一くん!――となり、慌てて捕まえて逃がしてやることとなった。
「昔は平気だったのに……」
「まあ、そんなこともあるよ……」
「渚もようやく大人になったってことよねー」
七虹香に揶揄われて渚はぷんすか怒っていた。
◇◇◇◇◇
墓地を後にした僕たちは、渚のお母さんの車で渚の父方の叔父さん宅まで移動。挨拶をして家に上げてもらい、何故かやたらと歓迎されて昼前まで居座ってしまった。どうも、話を聞く限りではそれまで飛倉の家との仲はあまり良くなかったようなのだが、少し前に光枝さんがこれまでのことを謝りに来てくれたのだそうだ。渚の母方の叔父のあの竜宏という人が屋敷から退いたことで関係がよくなったらしい。
飛倉の家の親戚筋の世帯はこの辺りに多く、渚の曾御祖父さんの弟さんや妹さんにあたる筋の人が屋敷で働いたりもしているらしいが、その辺りの人との付き合いもしやすくなったと喜んでいた。
お昼もぜひにと言われたけれど、渚のお母さんは予定があるのでと叔父さんの家をお
「兄さんのいつもの弔いですか?」
「ええ、みんなで行こうと思いまして」
「親父の変な弔い方が、汐莉さんにまで受け継がれるとはねえ」
そういって渚の叔父さんは笑っていた。
「じゃあ行きましょうか、焼肉に」
「焼肉!?」
「焼肉ヤッター!」
なんでも渚のお父さんは、お祖父さんに習って――弔いは楽しく盛大に焼肉だ。その方が亡くなった人も喜ぶ――と言って譲らなかったそうだ。ただ、渚もお母さんもそんなに肉料理は食べない。だから――。
「お父さんのためにもしっかり食べてね! 渚と二人じゃこれまで盛大ってほど食べられなかったから」
もちろん七虹香は大喜び。僕ももちろん嬉しいので、二人でしっかり食べて笑って弔った。
◇◇◇◇◇
少し買い物をしてから屋敷に帰ってくると、待ち受けていた光枝さんに渚たちは掴まり、また着せ替えの時間となった。屋敷で働いてる親戚の人が言うには、光枝さんがそれはもう楽しそうにしているのだそうだ。おかげでこちらにいる間は和装が普段着になりそうだった。
シャワーを浴びて着替えてきた渚たち。
渚は昨日と違って紺色のストライプのシックな印象の浴衣を着ていた。帯の色は薄いグレーかシルバーっぽい水色。渚の好きそうな色だった。
七虹香もまたがらりと変わって桜色の可愛らしい感じの浴衣に、奥村さんは昨日の渚の浴衣に似ているけど少し色合いの異なる、黄色味がかったオフホワイトに金魚と波紋をモチーフとした可愛らしい印象の浴衣に着替えていた。今日は三人とも髪を後ろでまとめて簪や櫛簪をつけたりしている。
「すごくかわいい。と思う」
まあ僕は渚のお父さんの作務衣なんだけど。
「あたしも?」
「あ、うん、七虹香も」
「百合ちゃんは?」
「うん、奥村さんもかわいい」
「瀬川くんも……いいと思う」
「そっかそっか。太一くん、百合ちゃんかわいいんだ?」
「そうじゃなくて、僕には渚がいちばんかわいいから」
「いいんだよ、太一くん」
そう言いながら身を寄せ、こっそり袖の中に手を突っ込んでくる渚。二の腕から忍ばせ背中にまで。和装は簡単に肌まで触れられる無防備さがあった。
それからまだ暑い時間だからと庭の水路の傍で涼んでいたら、光枝さんがよく冷えたあんみつを持ってきてくれた。一緒に座って食べた光枝さんが言うには、和菓子も親戚が作っているらしい。餡子もとてもおいしかった。
「よぉし、じゃ、腹ごなしに散歩するかー」
「食べてすぐよく動けるよな……」
「私もー。甘いものなら大丈夫~」
「奥村さんは大丈夫?」
「うん、私も大丈夫」
◇◇◇◇◇
いってきまーす――と玄関で声を掛け、七虹香と渚が飛び出していく。
水路を覗き込みながら楽しそうに歩いていく二人。僕は少し離れて追う、奥村さんは斜め後ろ。
「見て見て、あそこでお屋敷の中の池と繋がってるんだ」
堀に開いた四角い穴を指さす渚。
「だからハエェが入って来てるんだ。でも格子が嵌ってるよ」
「なんだろう? 忍者避け?」
「マジかー」
そんな馬鹿なって思ったけど昔からあるならそうなんだろうか?
二月とはまた違った水路の様子を眺めながら歩いていった。
「あの、瀬川くん……」
「ん? 奥村さん、歩き辛い?」
「ううん、大丈夫」
奥村さん、少し足が大きくてちょうどいい草履が無かったみたいで、ただ履けなくはないからと、明日合うのを持ってきてくれるという話だった。奥村さんは恥ずかしがっていたけれど、別に足が大きくて恥ずかしいものでもないと思うんだよね。背も高いんだし。
「――あの、かわいいって……」
「ん?」――最後が聞こえずに立ち止まると、奥村さんも立ち止まる。
「かわいいって……ほんと? お世辞かな」
「えっ? いや、そんなのお世辞で言わないですから」
思いもよらぬ言葉に、こちらの言葉遣いも変になってしまう。
「ん……」
短く頷くと、奥村さんは再び歩き始める。
僕も歩き始めると、さっきよりも少しだけ近くを奥村さんは歩いていた。
--
かわいい奥村さんはまだまだ続きます。
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