第88話 田舎にて 1
新幹線のホーム。身軽な恰好の渚。今日はいつもよりいくらか動きやすい丈の短いスカートだった。冷房対策に長袖のメッシュのカーディガンを羽織っている。ただ、その下は二分袖のタイトめのサマーニット。サマーニットってさあ……体のラインに沿うから目立つんだよね……。
すんすん――と、渚は僕の鎖骨の辺りに鼻をつけ、匂いを嗅いでくる。
夏休みな上に平日。人が大勢居るホームで、ちょっと恥ずかしくて顔を逸らす。
「(くやしー!!)」
小さな声で僕たちだけに聞こえるように喚きたててきたのは七虹香。
七虹香はよく着ている水着みたいな見せブラに、レースで縁どられた見せキャミ、羽織る用の荒いメッシュのカーディガンを手にしていた。
「なに……いったい」
「だって最近ずっと渚にクラスのエロポジ取られたままだったし!」
何だよエロポジって……。まあ確かに七虹香の言う通り最近の渚は遠慮がない。人目があっても身を寄せ合う、人の眼を盗んであちこち触れてくる、二人だけになると服の中に手を突っ込んでくる。当然、そんなことを度々やってると目ざとい七虹香はもちろん、他のクラスメイトにも見つかる。夏休み前に渚の想いを理解し、渚の全部が僕のものだと宣言してからというものこんな感じだ。
「そのポジション、そんなに大事?」
「あたしのアイデンティティーなの! あと奥村!」
ビシッ!――と指さす先には奥村さん。
奥村さんはネイビーのワンピースに白のカーディガンを羽織っていた。
「なに……」
「渚と一緒になってそのデカπで太一をサンドイッチしてんじゃないわよ!」
「触れては無いから……」
「ビジュアルがアウトォ!」
奥村さん――そう、僕らは渚のお母さんや七虹香の両親のお盆休みに合わせて渚のお母さんの田舎へ遊びに行くところ。汐莉さんたちは後からそれぞれに車で来る予定。荷物は全部車に載せさせてもらった。そこに何故奥村さんが同行しているのか。
奥村さんは渚が誘った。理由は僕が三村を誘ったのと同じ。
奥村さんは、付き合う相手は一生に一人だけでいいという考え方。父親から婚約者を決められるのだそうだ。彼女本人も恋愛に興味は無かったし、父親の望み通りでいいと思っていた。
ただ、そこに僕が現れた。何の取り柄もない僕だけど、奥村さんとは匂いの相性があまりにも良かった。僕も一度だけ彼女の匂いを嗅いだことがあるからそれはなんとなくわかる。匂いの相性は恋人の条件としてとても大事だと僕は思う。彼女は渚によく似ている。だからこそ僕としては、この旅行中にタイミングを見て一度じっくり話し合い、諦めて婚約者を待つか、そうでなくとも誰かいい人を見つけて欲しいと考えている。
「七虹香ちゃん、こんな人が大勢いる場所でデカ……とか言わないで」
「渚が言うなあぁ」
僕らは憐みの――であって欲しい――視線を受けながら、新幹線に乗り込んだのだった。
◇◇◇◇◇
席をボックスにして四人で座る。七虹香は窓側の席へ、僕も渚を窓側の席へ座らせた。
「えっ、太一窓側じゃないの?」
「いやだって七虹香どうせずっと喋るんでしょ?」
「やだぁ。太一の向かいがいいぃ。奥村、代わって!」
「…………」
「太一くん、私と代わろ。太一くん、トイレに立つこと少ないでしょ」
そう言うわけで、僕と七虹香が窓側となった。
まあ結局、七虹香は喋りまくって相手をするのは渚だったが。
斜め向かいの奥村さんも、渚と少し話をしていたけど浮かない顔。
「奥村さん、大丈夫? 渚のお母さんの実家だから心配かもしれないけど、僕も七虹香もまだ二回目だし、平屋の屋敷はすごく広いわりに人は少ないし、大叔母さんも気さくな人だから」
奥村さんはハッとして笑顔を向けてくる。
「ううん、誘ってくれて嬉しい。琴音の家もそんな感じだから大丈夫」
「友達連れて行ってもいいか聞いたらすごく喜んでたよ!」
「奥村、社長令嬢なのにお盆に家族と一緒じゃなくていいの?」
「私は……学生の間は自由にさせてもらってるから……」
それはつまり、高校か大学を卒業と共に結婚が待っているのだろうか。
「――あなたこそ家の方は構わないの?」
「あたしのとこはまだお仏壇もないし、パパが飛倉の家の行事に合わせるって」
「うちは父さんも母さんもどうせ仕事だし行けって……」
ただ何というか、うちの場合は汐莉さんと示し合わせたりしてるから怪しいんだよな。
そんな話をしながらお菓子を食べたりしているうちに、すぐに新幹線は着いた。
「えっ、もう着いたの?」
「渚はいつも車なの? 言ったでしょ、長旅じゃないって」
渚は僕が七虹香と長旅をしたって羨んでいた。あれは確かに非日常感があったけれど、決して長旅ではなかった。思ったより短い旅に拍子抜けした彼女だったけれど、新幹線の駅からは結構かかる。
「ちょっと待て、お店は逆方向だろ……」
在来線をひと駅で一旦下車。七虹香が目的地とは逆方向の鰻屋に行こうとしたので止める。
「ぇえ、だって鰻……」
「あんな高い物、気軽に食えるか!」
「奥村ぁ、奢ってぇ……」
「奥村さんにたかろうとするな!」
僕らは一旦、七虹香のお父さんの再婚相手、翔子さんの実質的な実家とも言える伯母さんの、七虹香からすると義理の大伯母さんの家にやってきた。もっとも、現在は娘さん夫婦が家を継いでいて、大伯母さんはマンション住まい――だったところを、二月の騒動で飛倉の屋敷を任された状態となっている。ややこしいけど。
お店は時期的に忙しそうで、挨拶だけして僕らは周辺を散策して回ることに。お盆休みを利用しての近くの大きな神社への参拝客で、旧街道沿いの歩道は大勢の観光客が行き来していた。旧街道沿いにはときどきコンビニやチェーン店こそあれ、古いお店が軒を連ねている。
「七虹香が行きたがらなくても、鰻屋は行列できてるしいっぱいだな」
「人多いね」
「太一、お昼どうする?」
「歩いて探してみようか」
「渚はこの辺詳しいのよね?」
「小さい頃と違って人が一杯だし、最近はお盆とお正月くらいしか帰らないから……」
「これ、どこまで続いてんの?」
「もっと先の神社までだと思う」
「結構歩いたし、せっかくだから行ってみる? 疲れてなかったらだけど」
「あたしは平気~」
「私も大丈夫だよ。百合ちゃんは?」
「私も平気よ」
途中で飲み物を買ったりしながら、結局ひと駅分くらい歩いてその神社までやってきた。
「お祭り? 何か準備してる」
「お盆にお祭りがあるからその準備かな」
「えっ、これからまだ人が増えるの?」
「駅までずっと歩行者天国になるけど、山車も出るし人でいっぱいになるかも」
「すごい! 観たい! お祭り行こ!」
「え、だって人混み凄いんだろ」
「私も……ちょっと観たいな……」
「まあ、渚が観たいなら」
「えっ、太一ちょっと酷くない!?」
奥村さんもちょっと興味があるみたいで、渚が代わりに言ったように見えた。
渚が人混み平気ならいいかなって思ったわけだが、七虹香は当然怒るよな。
「しかたない、お詫びに麩菓子買ってやるよ」
「鯉じゃないんだから麩菓子じゃ納得しない!」
結局、鯉を眺めながら麩菓子をバリバリ食ってた七虹香なわけだが。
その後、みんなでかき氷を食べて涼んだあと、神社を参拝して、近くの喫茶店で遅めのお昼にした。
◇◇◇◇◇
僕らは来た道を引き返した後、翔子さんちの実家のお店でお茶をいただいてからまた在来線に乗った。
「懐かしぃ。太一と二人でこの電車に乗ったのがもう半年も前かぁ」
少し色褪せた感じのボックス席で四人。あの時はドアの脇で二人並んで座っていた。当時は不安しかなかったが、七虹香が喋り続けてくれていたのは僕を心配してくれていたのかもしれない。独りで考え込んでいたら、きっと悪い方にばかり考えて何も行動できなかっただろう。
「あのときはありがとうな。七虹香のおかげでなんとかなった」
「あんときのお礼、あたし貰ってないんだよねー」
「いや、七虹香が翔子さんと会いに行くのが交換条件だったろ?」
「それとは別! 太一と渚を助けるためにあたしがなんとかしてあげたんでしょ!」
「そんなこと言われてもなあ……七虹香の要求は無茶苦茶なんだよ」
渚はニコニコと嬉しそうに僕らの会話を見守っていた。
「渚?」
「嬉しいんだ。太一くんと一緒にこの電車に乗るの」
新幹線とは違った反応。ただ旅ができたということを喜んでいるわけでは無さそう。
「――小さい頃の思い出に太一くんが入り込んで来たみたいで、ちょっと恥ずかしい」
なるほど、この電車は渚の部屋と同じだ。壁の模様ひとつひとつとまではいかないものの、彼女にとってのとても古い記憶を呼び覚まさせる思い出のひとつ。おそらくそこには渚のお父さんの思い出もあるのだろう。
「渚の大切な記憶なんだね」
僕の表情に何かを感じ取ったのか、渚が手を握ってくる。
七虹香はそんな僕らに遠慮してか、奥村さんへと話しかけていた。最初は少し当たりが強かったものの、彼女の本質は誰とでも打ち解けられる、あの無神経そうでいて気遣いのできるところにある。口ではいろいろ言うけれど、相手を嫌いになれない性格なのだろう。
そんな七虹香に奥村さんもときどき相槌を打っていた。乗り気では無さそうだけれど、七虹香の押しに絆されているのかもしれない。半年前の僕もあんな感じだったのだろうか。
◇◇◇◇◇
駅を降りるとバスに乗り換える。
七虹香が先導して席を選んだのでなんか最後部座席に四人で座ってしまった。普段、こんな席には座らないので、乗客も少ないのに何だかオラついてるみたいで恥ずかしい。七虹香、僕、渚、奥村さんの順で座ると、七虹香と渚がべったりくっついてくるので余計に……。
バスは古い街中を右へ左へと曲がりながら進む。確かに七虹香には地図で見てもどこを走ったのかわからなかっただろうな。僕もあの時は渚のことで頭がいっぱいだった。ただ、渚にはそうでもないようで……。
「あっ、ほらそこのお店、たえちゃんって幼稚園のお友達の家だったんだ」
「――そこの古民家、文化財に指定されてるんだって」
「――この道、狭いんだよね。電柱が飛び出してるから」
「――あそこの洋風の家、昔、お化け屋敷って呼ばれてた!」
そうやって思い出をたくさん語る渚。奥村さんも興味深そうに相槌を打っている。
「――今はもう無いんだけど、あの向こうに昔の家があったの」
ハッとして窓の外を見るも、当然なにも見えるわけがない。
「お父さんのお墓もこっちって言ってたよね」
「うん、家があったところの近くで、今は叔父さんが管理してくれてる。明日、お母さんとお参りに行くの」
「その、僕も一緒に行っていいよね?」
「うん、一緒に行こう」
「渚、私もいい?」
「私も行くー」
まあ結局、全員で行くことになる。ただ、お墓があるの山だから虫が出るよと言ったら七虹香が短い悲鳴を上げていた。
--
夏休みなんですけどもう早速お盆なんですよね。日付的には8/9辺りでしょうか。
古い思い出の詰まった田舎に行くのって大好きです。親の里が山の中だったので特に。
たぶん、この時点で海に行く目標はコンプしてると思います。
あと、近くの花火大会とかも既に行ってるかもですね。海よりもベタな展開しか思いつかなかったので飽きちゃうかなと思って省略しました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます