第78話 渚は僕のものでいて

「あら? 太一くん、渚と一緒じゃなかったの?」


 土曜の朝、渚を迎えに行くとお母さんの汐莉さんが出てきた。


「えっ? 今日は撮影ですよね? 迎えに来たんですが」

「おかしいわね。渚はさっき広田さんが車で迎えに来てたわよ。太一くんも拾って行くって」


「わかりました。スタジオの方に行ってみます」

「渚をお願いするわね――あ、ちょっと待って。太一くんに聞いておきたいことがあったんだけど――」



 ◇◇◇◇◇



 その後、急いで駅に向かった。

 ホームに付くと、スマホに渚からの通知が来ていたのに気づく。


『太一くん、もう着く? 撮影場所変わったって聞いてた?』


 何らかの齟齬を感じる渚のメッセージにその場で返信する。


『渚、どこに居るの? こっちは渚の家に行ったけど居なくて』

『海浜公園のリゾートホテルに変わったから別々に車で迎えに行ったって』


 海浜公園だとスタジオとは電車が逆だ。慌てて連絡通路を渡る。


『こっちには来てないよ』

『スタッフの人に聞いたら入れ違いになったかもって言ってる』


 どうだろう、せめてそれなら携帯に連絡くらい来ている。

 僕は渚に一言告げて辻本さんに電話を掛けた。


『もしもし、どうしたんだい?』

「あの、今日って撮影場所変更になったんですよね?」


『いや? 僕はこの間のスタジオにもう着いてるけど』

「だって渚は車で迎えが来て……場所が変わったからって別の場所に連れていかれてます」


『それは聞いてないな。誰が迎えに来た?』

「広田さんだったと――」


 ペコ――と通知が来る。


『太一くん、どうしよ。撮影に必要だからビキニ着てって言われてる』

『ええ!? 断って!』


『屋内プール借り切ってるから早く撮影に入らないと損害が出るって』

『とにかく断って。辻本さんにも話すから』


 僕は届いたメッセージの事を辻本さんに伝えた。


「――これ、どういうことですか!?」

『広田のヤツ、勝手に…………とにかく、渚さんには断って貰って』


「断れって、渚ひとりで怯えてるんですよ! 誰か話の通じるスタッフ居ないんですか! とりあえず今から電車に乗りますからそっちでも何とかしてください!」


 僕は電車に乗ると隅の席で渚に電話を掛けた。怯えた声の渚が電話に出る。


「いま電車に乗ったからまだしばらくかかる」

『なんかすごいお金かかってて、すぐに撮影できないとうちに請求されるって……』


 渚は怯えて混乱していた。普通に考えたらありえないような話なのに、周りが知らない大人ばかりだから頭が働いてないんだ。


「大丈夫、そんなことにはならないから安心して」

『だって! 太一くんにも迷惑が掛かるかもしれないって言うの!』


 渚は泣きそうな声で叫ぶ。

 これまで見せてきた彼女のあの芯の強さが見えなかった。


「そんなのでまかせだから。そいつらの言ってること犯罪みたいなもんだよ。辻本さんも断れって――」


 辻本――で思い出した。慌てていて忘れていた、汐莉さんが聞いてきたこと。

 さらに――ペコ――と通知が。通知は萌木からのメールだった。

 メールの内容を見て確信する。


「――渚、もしかして辻本の話を聞いたから頑張ろうとしてる?」

『え……』


「渚にタレントになって欲しい――って僕が言ってたって話」

『違うの?』


「渚のお母さんに聞かれたんだ。辻本から聞いたその話、本当なのかって――」



「――僕はそんなこと……言ってないよ、渚」


 鈴木は言った――――太一は本当にそれでいいのかい?――――いいわけがない。

 渚を手放してしまうくらいなら――。


「――タレントになんてならなくていい。渚は僕のものでいて」


『はい……わかりました』


「大丈夫? ホテルの人か誰かに助けを――」

『わかった。大丈夫だよ、太一くん』


 渚は電話を切らずにそのまま控室を出たようで、止める声も無視し――なんか途中でバタンとかドタンとか音もしたけど――そのうちにホテルの従業員らしき相手に助けを求めることができたようだった。


 渚からの無事な報告を最後に聞いて通話を切ると、なんか周りの人たちに見られていた。

 すいません――と電話をしていたことを謝ると――いいんだよ――とか――ガンバレ――とか囁かれ、妙な気遣いを受けてしまって居心地が悪かった……。



 ◇◇◇◇◇



 結局、渚は警察に通報したらしくて、彼女を脅してビキニ撮影をさせようとしていた広田を始め、数人のスタッフが目の前で連れていかれていた。その中にはブーメランパンツにバスローブの男なんかも居た。そして広田は渚から暴力を受けたと叫んでいた。渚、何をやったのかは知らないが、まず考えて正当防衛だろうな。


 辻本もタクシーに乗ってホテルまでやってきていたようだが警察に事情を聴かれていた。いずれにしても僕がやってきたのは全て終わった後。ホテルのフロントは騒然としていたが、渚が無事でよかった。周りにかかる迷惑なんて気にせず、渚が行動に出てくれて心の底から良かったと思った。



 渚はラウンジの方で保護されていた。

 僕の姿を見つけ、抱きついてくる渚。

 緊張していたためか、すっかり体が冷え切った彼女を抱きしめた。


「ごめんよ、渚」

「どうして謝るの? 太一くんのお陰だよ?」


「違うんだ。僕が渚の才能をもっと生かしてあげられればよかったのに、僕じゃ渚を縛ることしかできない……渚を他の人に見せたくないって思ってしまう……」

「そんな風に思ってくれてたんだ……」


「みっともないでしょ」

「どうして? わたしは太一くんのものなんだよ?」


「だってせっかく……渚はこれまで色んなことを頑張ってきたのに……」


 渚は仰々しくかぶりを振った。


「違うよ、ぜんぜん。ぜんぜん分かってないよ、太一くんは」


 彼女は僕を凛々しい眉目でみつめると――。


「――私が頑張ってきたのは全部、ぜ~んぶ、太一くんのためなんだよ?」


 そう言って渚は唇を重ねてきた。

 なぜなら僕から嗚咽が漏れそうだったから。


 その、人が大勢いる中での意外な行動は、僕に落ち着きを取り戻させてくれた。

 そんな中だからか彼女はすぐに体を離す。

 そして、両手を自分の腰に当てると声色を変えて――。


「――それから、太一くんは自己評価が低すぎです! 百合ちゃんも佳苗ちゃんも、みんな同じこと言ってるよ、何とかしてね」

「…………はい……わかりました」


 その後、女性の警察官に――じゃあそろそろ事情を聞かせてくれる?――と声を掛けられ、待ってくれていた事に気付いていなかった僕らは顔を赤くしていた。



 ◇◇◇◇◇



 その日のうちに辻本からは、翌日の日曜日に謝罪の場を設けさせて欲しいと渚の家と僕に連絡があった。連絡を取ってこれた所を見るに、辻本本人が今回のことを知らされていなかったのは本当だったようだ。


 渚は土曜日も潰れたし、せっかくの日曜日なのにと渋ったらしいが、リゾートホテルの宿泊券で手を打ったらしい。強気に出てる時との差があり過ぎるんだよな、渚。



 翌日、渚や汐莉さんと一緒に辻本の謝罪を近所のホテルのラウンジで受けた。渚と汐莉さんは――僕が渚にタレントになって欲しいと言った――という嘘にかなり怒っていた。


 辻本は――渚さんには業界の期待が大きく、ぜひうちの事務所へ――と頼んできていたが渚は断っていた。辻本はしつこく食い下がってきたけれど、僕は萌木から貰った情報を話した。


「あの広田って人、事務所の人じゃないんですってね。辻本さんとは関係ないかもしれませんが、うちの学校のサーバーに不正に侵入したり、動画や写真を上げたりしてたとか。世の中にはバズらせの工作をするような人も居るらしいですね」

「なんだって!…………いや、それは……広田が勝手に…………」


 萌木はメールで不正侵入のアクセス元が小さな事務所で、その事務所の代表が広田だと知らせてきた。僕は、彼らが渚のデビューのために話を盛り上げだのだと知った。それは僕にとって、渚に対する侮辱でしかなかった。


「それから昨日の事情聴取のあと、帰ろうとしたら金田でしたっけ? あのプロデューサーをホテルで見かけたんですけど偶然ですか?」

「…………」


 辻本は項垂れて額に手を当てる。

 ホテルであのプロデューサーを見かけたときには息を飲んだ。同じ事務所の辻本にも知らせられないような企みに吐き気を覚えた。


「渚がタレントになる気がない以上、僕は後押ししたりしません。これ以上、渚のネットでの噂が絶えなかったり、付き纏いがあった場合はその辺、マスコミにリークさせてもらいますから」


 そう言うと、辻本はすごすごと引き下がっていった。

 僕らはその後、ホテルのレストランで辻本のところの事務所のツケで昼食をいただいた。


「太一くん、すごいね。辻本さん、何も言わずに引き下がったね」

「いや、萌木にあーしろこーしろと指示貰ってたから」


「萌木さん、思ったより親切なんだね」

「情報が遅いって文句を言ったら色々教えてくれた」


 実際、あのあと萌木にはメールで散々文句を送った。もう少し早ければ渚を怖い目に遭わせず済んだのにと。まあ、萌木にしてみたら理不尽な文句かもしれないなと後から反省したけれど、萌木も根は悪いやつでは無いみたいで怒りもせず助言をくれたのだ。


 そして渚が無事でよかったと、また汐莉さんには感謝された。

 毎回、めちゃくちゃ感謝されるので、渚が嫉妬してきて困るんだけど……。



「ところでマスコミってどこに言っていくものなのかな」

「さあ、新崎さんか山咲さんあたりに相談すればどこかに伝わるんじゃない? 知らないけど」


 そんな感じで一週間ぶりにゆっくり過ごせた訳だけど、夕方になると渚はまた不機嫌に戻った。まあ、何となく理由はわかるんだけどね。ちなみにずっと後でわかることだけど、金田の話は実際に新崎さん経由でマスコミに伝わったらしい。辻本さんには悪いけど、嘘を吐いたお返しだよね。







--

 これでひと通り、本作エクストラステージのテーマである太一の弱点の解決の目処は立ったと思います。この話があったため、これまでの話で解決できずにいました。

 もう一話、グダグダなシメを書きたいと思います。


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