第76話 ポテチこぼした

『鈴代 渚さんの身内の方? いや、声も若いし彼氏さんかな?』


 渚の家からの帰り道、掛かってきた電話に僕は足を止めていた。

 何者かと問うと、その電話の相手はそんな言葉を続けた。


『――彼女、素晴らしいですね。容姿だけじゃない、優れた才能をお持ちだ』

「名乗るつもりがないなら切りますよ?」


 そう言うと、相手の男は慌てて芸能事務所の名と辻本つじもとという名前を名乗った。スマホの番号についてはジルコワールの編集部から教えて貰ったのだそうだ。


「そういうの、教えちゃダメなんじゃないですか? 消しておいてください」

『いやあ、参ったな。実は渚さんのご自宅はもう知ってるんですけど、いきなり訪問する前に連絡しておこうと思いまして。失礼の無いように』


「いや、十分失礼ですよ」

『はっは。とにかくですね、渚さんはこの業界でもここ何年か見かけない逸材だと僕は見込んでいます。それを“ただの高校生なんか”で終わらせる手は無いと思いますよ。彼氏さんとしても鼻が高い……いや、渚さんのことを思えばこそだ。才能を世に出し開花させてあげるべきなのではないでしょうか』


 ――そう、渚には才能がある。それはよく知っていた。渚には物書きの才能だけではない、容姿に加えて演劇の才能が眠っていた。そして何よりもタフだ。一年前とは比べ物にならない、僕じゃない誰が見てもすぐ分かる魅力に溢れている。


『――ふむ、彼氏さんとしても渚さんの魅力にお気づきでしょう。どうです? ご心配でしたら我々が渚さんとお話しする際、同席いただいては?』


 考えをめぐらし、黙っていた僕に辻本と名乗る男はそう言ってきた。


「わかりました。そんな話なら同席します」

『ではこちらも調整します。渚さんのためです、悪いようにはしませんよ』


 そう言って辻本という男は電話を切った。


 渚の才能――それは以前からの憂いのひとつだった。

 僕や渚のような内向的な人間は外の世界を知らない。だけど渚や周りの皆と付き合っていく過程で理解した。外に一歩踏み出す経験は自分を大きく変えられる。できることが見つかる、今までつまらないと思っていたことの楽しさが分かる、同じ景色なのに狭い世界から広い世界へ飛び出した感覚がある、辛いことがあっても乗り越えられる。大きな価値観の変動は、二歩目、三歩目でさらに変わっていく。


 渚は自分から一歩を踏み出した。見た目を変え、体力をつけ、人と話す努力をし、さらに演劇にも挑戦した。渚は満華さんの演技をよく観ていたと言う。その経験は渚の変身願望へとつながったのではないだろうか。渚は今、駆け出そうとしているようにも見えた。



 ◇◇◇◇◇



 家に着くと、渚から着信があった。

 考えにふけっていた頭を切り替え、ひと息ついてから電話に出る。


『もしもし太一くん、今いい?』

「うん、家に着いたとこ」


『さっき、芸能事務所に勤めてるって人が挨拶に来て、お母さんが出てくれたんだけど、私にタレントとしての仕事をしてみないかって言ってきた……』

「ああ、うん、来たんだ」


 早くも渚の家を訪れたらしい。マンションの近くで電話していたのだろうか。


『太一くん知ってたの本当だったんだ。今度、彼氏さんと一緒に詳しい話を聞いて欲しい――って言われて……』

「うん、そう言う話」


『太一くん?』

「なに?」


『ちゃんと太一くんだよね?』

「うん? そうだよ」


『……わかった。じゃあ今度、一緒に話を聞いてくれる?』

「うん、もちろん」


 その後、学校の話を少しして電話を切った。

 その日の夜のうちに辻本さんから電話があり、翌日の夕方、駅近くの喫茶店で話を聞くこととなった。



 ◇◇◇◇◇



「えっ!? マジヤバい、渚、それスカウトじゃん!」


 翌日、登校してすぐに七虹香が詳しい話を聞きに来た。

 渚が昨日、家で聞いた話を七虹香たちに話しているとみんな集まってくる。


「やっぱり渚、かわいいもんね!」

「へー、どこの事務所? 麻衣や百合もスカウトされたことあるよね」

「私は興味ないから。で、どこの事務所なの? おかしな所じゃないわよね」

「あんまり詳しくないんだけど……」


 渚がスマホで事務所のホームページを見せる。


「えっ、すごっ、大手じゃん!」

「そうなのかな……」

「アイドルユニットのスワルトルと同じ事務所でしょこれ? めちゃ大手だよ!」

「満華さんは何か言ってた?」

「みちかちゃんは、太一くんがいいなら応援してくれるって」

「いや、太一はいいのかよ」


 隣の席が大騒ぎになってる中、三村が急に振ってきた。


「いや……うん、渚の才能を埋もれさせておくのは勿体ないかなって……」


 おおっ――と騒ぎは大きくなる。


「瀬川くんの許可でてるじゃん、やったね!」

「瀬川が推してくれるなら心強いな」

「まあ、瀬川がそう言うならいいんだけどよ、渚はいいのか?」


「私は…………とりあえず話を聞いてみるね。本格的なのが無理そうなら読モからどうって言われてて」

「あたし読モならやったことあるぅ!」

「七虹香のはロハのやつだろ」

「麻衣が前にやってたよ」

「あれ、ムカつくからやめちゃった。琴音がまだやってるわよ」

「私のは和装ですので……でも、鈴代さんが芸能界に進むのでしたら応援しますよ」


 ね――と奥村さんの方を見て微笑む山咲さん。私も私も――と他の女子も同調する。


 渚は困ったように笑いながら、僕の方に目を向けてきた。僕も苦笑いを返す。


「ほら、散った散った。朝のHR始めるぞ」


 担任がやってきたのでみんな席に着く。出欠を確認していると――。


「――ん、萌木はまた遅刻か」

「せんせ、夏乃子の鞄もスポーツバッグもあるよ」


「じゃあ来てるのか。誰か見かけたかー?」

「今日、体育無くない?」

「えっ、昨日からあんのこれ?」


「置いて帰ったのか? 誰か見かけたら教えてくれ。――でだな、昨日の鈴代の話だ。もう確認したかもしれないが、動画と交流サイトのコメントは削除されたと報告があった。このクラスには居ないと思うが、うちはこういう校外への漏洩は厳しいからな。一発退学もありえるから気を付けるように」


 担任の話では、校内での放送や校内で撮影された動画・写真の学校外への漏洩については各クラスに注意喚起が回ったそうだ。もともと、演劇部のOBが中心になって作られているOB会の板上会が生徒――と言っても彼らにしてみれば将来を期待される演劇部員たち――を守るために、寄付の代わりに漏洩については厳しく口出ししてきているらしくて、校則にも厳守するように書かれていた。



 ◇◇◇◇◇



 渚の話はクラス外には持ち出し禁止――と新崎さんから通達がある。まあ、別に珍しい事ではないらしい。三年生にもなると、主に演劇部の部員がどこそこの劇団に入るとか、事務所に入るとかいう噂話が囁かれるようになるが、正確な情報は卒業するまではわからなかったりする。もちろん、そういった業界へ就職するつもりのクラスメイトも普通の高校よりは多いし、秘密は守られることが多いみたい。



「うぃ~~~」


 ――と昼の休み時間、教室に現れたのは萌木だった。


「夏乃子、どうしたその恰好!」


 七虹香の言う通り、萌木は身支度がまるで整っていなかった。

 萌木は普段、派手さや着崩しはあるとは言え、ゆるいパーマのかかった背中までの髪は常に手入れされていたし、身だしなみもしっかりしていた。それなのに今は髪がいくらかベッタリとしていて裾も変に跳ねているし、スカートにはパラパラと小さな埃のようなものがついていた。


「昨日ポテチこぼした」

「いや着替えて来いし!」


「帰ってないし」

「どこ泊まったよ」


「編集室」

「編集室? マルメの? なんで!?」


「つか、お昼ご飯恵んでくんない? 小銭全部使っちった」


 ええ――と萌木の周りに居たクラスメイトも呆れている。


「萌木、お前財布持ってないのか?」

「いまカードしかないし」


「カードと小銭しか持ってないのかよ!」

「合理的っしょ」


 クラスの男子にそんな答えを返す萌木。なんか色々ついていけない。

 七虹香は財布から千円札を出すと――。


「誰か、夏乃子に何か買って来て。あ、雪村、あんたちょっと行ってきて」

「なんで僕が!」


「あたし夏乃子の面倒見ないといけないから。ほぉら、女子と仲良くなれるいい機会でしょ! あんたちょっと前、女に振られてドン底みたいな顔してたじゃん」

「なっ!?」


 結局、七虹香に言われて雪村がパシらされていた……。

 やっぱりあれ、鈴音ちゃんへの告白だったんだろうな……。

 何にしろ、七虹香は人の顔をよく見ている。


 七虹香は萌木のポテチのカスを払ってやったあと、髪をとかかしてやっていた。

 まあそんなわけで、行方不明の萌木は見つかった。



 ◇◇◇◇◇



 放課後、渚と一緒に辻本さんに会いに駅近くの喫茶店へ行く。

 学校にも近いこともあって、この喫茶店には二人で入ったことは無かった。


 待ち合わせ先に待っていたのはスーツの男性と、同じくスーツだけどジャケットを着ていないシャツだけの男性。二十代か三十代かわからないけれど、若い感じ。


 初めまして――と最初に挨拶してきた男性が辻本さん、スーツを着こなしていて髪型もしゅっとした感じで眼鏡をかけている。そしてもう一人はその仕事仲間の広田さんというらしい。辻本さんよりは体つきがいいけれど、ネクタイもしておらずシャツも着崩している。


「今日はわざわざありがとう。何でも注文して。うちの経費で落ちますから」


 辻本さんはフレンドリーなのか丁寧なのか、電話と同じく半端な喋り方でそう言ってきた。


「「ブレンドで」」


 僕たちが声を揃えたようにそう言うと、辻本さんは眉を跳ねさせ驚きの表情を見せるが、すぐにニコリと笑う。


「仲がいいんですね」

「恋人ですので」


 僕がそう言うと辻本さんは――そうだね――と短く返す。


「いや実物は凄いね、彼女。渚さん? カメラ映えするよ。化粧も慣れてるの?」


 そう言ってきたのは広田さん。


「え……えとあの……近所のお姉さんがそういうの得意で……教えてくれて……」

「あれ? 意外と緊張してるのかな」

「緊張はしますよね。それに、最初はそういうギャップもウケがいいですから」


 そう言いながら辻本さんは店員さんに注文を入れる。


「――渚さん、彼が言うようにあなたは実にカメラ映えする。実はアイドルデビューという話もあったんですよ」

「ええっ」


「ですが僕はね、あなたの演技に輝きを見たんです。渚さん、あなたはきっと化ける。僕が保証します。演技中心のタレントとして活躍してみませんか?」


 渚は隣に座る僕を見る。


 辻本さんの意見はその通りだと思った。渚は初めての舞台であれだけ堂々とヒロインの一人を演じ、実際に何人もの生徒を魅了した。ネットに上がった短い動画だけでも騒ぎになっていた。


「僕は……考えてもいいと思うかな」


 そう言うと、渚はハッと息を吸い込み、前を向く。


「詳しい話を聞かせていただけますか?」


 辻本さんは頷く。店員さんが珈琲を持ってきてくれると――。


「ゆっくり詳しい話をさせてもらうよ。ケーキもどうかな?」


 辻本さんはその後、仕事の大まかな内容を聞かせてくれた。

 まずはいきなり契約と言うことは無く、カメラテストをしてから希望があれば読者モデルからでもいいと言う。実際に契約となると渚のお母さんも同席して貰い、事務所に所属してからは本格的なデビューまでほぼレッスンか、モデルとしての仕事になるそうだ。


「劇団と一緒にお仕事することもあるんですね」

「ああ。実は君を推してくれた人物が居てね、芳賀 尚人はが なおと君っていう若いけど有望な役者だよ。知ってるかい?」


「はい、知ってます」

「誰?」――と渚に聞く。


「去年の演劇部の副部長さん」

「ああ……」


 確か、髪をアッシュに染めてたイケメンの先輩だ。


「信用してくれたかい?」

「えっと……そうですね」

「んん……」


 あの先輩を信用できるかというと唸ってしまう。

 ただ、渚を評価してくれていたのは確かだ。


「もしよければなんだけど、早速、明日の夕方にでもスタジオでカメラテストしてみない? カメラテストだけでも早い方が話題の足が速いこの業界ではいろいろと助かるから」

「はい」


「うん、いいね」

「ただ……」


「ただ?」

「ひとつだけ……条件を付けさせてもらってもいいですか?」


 渚は辻本さんに条件を告げる。まあ渚のためならかまわないけどさ。







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 作者はスカウトなんてされたことないのでスカウト警察の方、ご容赦ください!


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