八章 後輩

第47話 文芸部にて 8

「あっ、あのっ! 先輩、お、俺の話を聞いてください!」


 当時、正門近くでフライヤーを配っていた渚たち文芸部のメンバー、それから笹島と三村、姫野の三人。配るのは今日で二日目だった。声を掛けてきたのはおそらく一年生。背はそこそこあるけれど、肩を小さくしていて気が弱そう。渚に話しかけるも、噛んでしまっていた。


 渚の隣には成見さんが居て、一緒にフライヤーを配っていた。渚や笹島、姫野なんかは登校してきた生徒に男女問わずよく話しかけられていた。もちろん、男子には下心があって話しかける者も居たわけだけれど、渚は常にきっぱり断っていた。


 驚いたのは周りの皆だけでは無かった。中には登校してきた男子生徒のうち、噂を知っている者、或いは者まで居たかもしれない。こちらを見て――ああまたあいつも手厳しく断られるぞ――なんて愉悦に似た目を向けていた。しかし渚の行動はそうはならなかった。


「ちょっと……こっちおいで」


 渚は持っていたフライヤーを隣の成見さんに頼むと、その男子生徒のブレザーの二の腕辺りを摘まみ、引っ張ってこの場から去っていく。


 足を止めた登校中の男子生徒たち――おそらく二年生か三年生――は、唖然とした顔で渚とその一年男子を見ていた。あの胸のある鉄壁と――言われているかどうかは知らないがとにかく――男を拒絶することにかけては有名だった渚が誘いに応じたように見えたのだ。


 当然、文芸部のみんなも渚を目で追い、そして僕を見る。

 笹島なんかはまるで責めるかのような顔をしている。


「まあまあ、大丈夫だから」


「太一、どういうことよ! さっさと追いなさいよ!」


 笹島、めっちゃ怒る。

 僕はフライヤー配りを続けようとしたけれど、皆が許してくれそうにもなかった。

 相馬にはフライヤーをひったくられ、ノノちゃんまでもが難しい顔をしていた。


「はいはい、わかったから」


 僕は、校舎の陰に入った二人を歩いて追った。



「――わかった? 聞かれたらそう言うんだよ?」


 一年男子は頷くと、足早に引き返してきて昇降口へ向かった。

 渚も戻ってくる。僕がのんびりだったものだから既に話はついていたようだ。


 校舎の角で身を隠していた僕を見つけた渚。


「太一くん…………その、あのね、これは……」


 渚は申し訳なさそうな顔をして唇を噛む。

 ちょっと涙目なのが可哀そう。

 そんな顔をしないでよ。


「――ごめんなさ……っ――」


 僕は渚の腰に手を回して校舎の陰へと引き込み、抱きしめる。


「わかってるよ。渚の事はちゃんとわかってるから」


「太一くん?」


 僕が手を離すと不思議そうな顔をする渚。


「あの一年、イジメられてたみたいだったね。後ろに居た三人、やらしい顔して小突いてた」


「見てたんだ……やっぱり、太一くんはすごいね」


「――あの子にもっと自信を持つようにって言ったんだ。もし、どうしようもないときは私と太一くんが何とかしてあげるって……勝手に言ってごめんなさい」


「渚は優しいから見捨てられないんだね。大丈夫だよ、一緒に居るから」


 僕が笑うと渚は僕の手を取ってきた。

 二人で手を繋いで皆の所へ向かうと、皆も安心した様子で迎えてくれた。



 ◇◇◇◇◇



 とりあえず、あのあと皆に事情を聴かれたけれど、ああいうところは確かに渚の弱い部分ではある。ただ、その渚だからこそ姫野や三村は今、心から笑い合えているのかもしれないし、ひとつ間違えば渚が不幸になっていたかもしれない。そして目の前で困っている人が居たら助けてあげたくなるのは仕方がないし、僕らは恋人なんだ。弱い部分はお互いにフォローしあえばいい。


 二日間のフライヤー配りはなかなかの成果を齎した。週末までに文芸部を訪れてくれた人はそれなりに居たし、デジタル頒布された新入生歓迎誌も大勢の生徒が読んでくれたみたいだった。印刷物ではこうはいかない。


「鈴代さん、ありがとぉお」


 文芸部にやってきたのは園芸部の鶴田さんという同学年の女子。

 渚に買い物袋に入った青々とした葉っぱの丸い塊を手渡している。


「――これ、みんながぜひって。そんなに巻いてないけど、春キャベツだから柔らかいよ。パスタとかに入れてもおいしいかも」


「わぁ、ありがと。採りたて? おいしそう」


「えっ、そんなに好評だったの? 渚の短編」


 実は今回、渚の書いた短編は『キスの前菜』。まさにあのアーティチョークの体験がそのまま生かされた話だった。キスを嫌う虫歯の無い下級生の少女、朱莉が主人公の湊とキスをするまでのお話。その短編で園芸部の宣伝も行ったわけだ。


「あっ、彼氏さん? どうでしたあ? お味は」


 ムフフ――と含み笑いを隠しもしない鶴田さん。


「えっ、いや……めちゃくちゃ……甘かったです……」


「二年目なので再来月くらいには収穫できますよ。また差し入れますから楽しみにしててくださいね」


「えっ、楽しみー。――太一くんちのは?」


「でっかい葉っぱが広がってるけどまだそんなに伸びてはないかな」


「冬越したなら同じくらいかもですね。うちのも去年、かなり遅く蒔いたので」


「……あ、あのっ!……私もひとつ分けてもらっても、いいですか……」


 話に割って入ったのはなんとノノちゃん。

 ノノちゃんもあの短編に興味津々だった。


「あっ、あ、私もひと口でいいので味見したいです……」


 坂浪さんも手を上げると、小岩さんもまた同じように手を上げる。


「じゃあ、収穫したら家庭科室借りて一緒に味見しますか?」


「うんうん、いいね。ありがとう」


「鈴代さんのお陰だから。こっちこそありがとう」


「蕾自体は甘くないんですよね?」――と成見さん。


「食べた後は水でも甘いので、ご飯でも炊いておにぎりでも用意します?」


「女子ばかりなので瀬川くんと相馬くんに感想聞くしかないですね」


 そう小岩さんは言うけれど、何の感想なんですかね。


「うちもほぼ女子ですね。夏場は部外の男子が力仕事を手伝ってくれたりもしますけど」


「へぇ、そんな人が居るんだ?」


「うちの部の畑、プールのすぐ裏なんですよ。だから……」


「あー、鈴音ちゃんがいつも文句言ってるやつだ」


「休憩の合間にプール覗いてるんだよね……。でも今年は男子も入りそうだから」


「それならよかったね」



 ◇◇◇◇◇



 鶴田さんと入れ違いに樋口先輩が入ってくる。


「隣の教室の使用許可取れたから、みんなで掃除しましょうか」


 文芸部は、雫ちゃん含めて6名もの新入部員を迎えることとなった。加えて、笹島や三村、姫野がだべりにきたり、時々部誌のヘルプに来てくれたりするのでさすがに今の準備室程度の広さの部室では手狭になってしまったわけだ。


 まあ、掃除なんて新入生にさせるわけにもいかなかったから、樋口先輩の指揮のもと二年生が行う。机を拭いてから片側に寄せて床を拭き、また片側に寄せて拭き、最後に会議テーブル代わりに机をくっつけて縦に並べ、不要な机は寄せておく。


「一階の北の隅だし、他の生徒はあまり来ないよなあここ」


「そういやさ、写真部はもう無くなったみたいだよ。マルチメディア部が放送部と写真部とあと映像研究同好会を完全にまとめちゃったみたい」――と相馬の情報。


「あそこは演劇部と一緒で強いよなあ」


「板上会からの寄付の分け前も多いらしいわよ。演劇部の劇を撮影したりするから」


 樋口先輩の話になるほどと相槌を打つ。

 窓の外に目を向けると、同じ隅でも南の隅は賑やかそうだった。


「料理研究部は割といつも賑やかですよね」


「あそこは居づらいわよー。だって、彼氏持ちの女子の巣窟だもの」


「ああ、それでいつも運動部の男子が集まってくるんですね」


「よく運動部のマネージャーと喧嘩してるわよ。女子マネとかだと最悪」


「へえ……ん? あれ? いま家庭科室から出てきたの、鈴木だよな。隣は誰?」


「ほんとだ。……滝川さんかな?」


「滝川さんは料理研究部だよ。……滝川さんだね」


「滝川さんと仲良くなったのかな?」


 そう言う相馬は眉を顰めている。


「その方が太一くんと離れてくれるから助かるんだけど……」


 渚も辛辣だけど、僕としてもその方が助かるかな。

 まあ、こっちに来られるよりいいか。



 ◇◇◇◇◇



「やあ太一、お疲れさま。鈴代さんもお疲れさま。大変そうだったから、クッキー持ってきたよ。お昼休みに滝川さんに教わって下準備してたんだ」


 隣で滝川さんがニコニコと寄り添っている。


「(えっ、こんな人、うちの高校に居た?)」


 小岩さんが囁くような声で渚に聞いてくる。坂浪さんも耳をそばだてている。


「文芸部の皆さんも良かったらどうぞ? 大掃除でもしてたみたいだけど、疲れたでしょ?」


 鈴木は無駄に気が利くのか、お手拭きまで用意してくれていた。


「あっ、いいんですか……それじゃあひとつ……」

「……わたしもいただきます」

「オレも頂きます」

「えっ、すごいね。自分で焼いたの?」


「滝川さんに何もかも教わってだけどね。本当に助かったよ。――太一たちもどうぞ」


「えっ、鈴木お前これ、何か仕込んでないよね……」


「やだなあ。仕込んでないさ。だいたい仕込めるようなものはそう簡単には手に入らなかったよ」


「え、探したんですか」


「ジョークだよ、鈴代さん」


 あはは――とさわやかに笑う鈴木。


「鈴木くんが瀬川くんと友達になりたいからって。頑張ってたよ」


「うん、焼き立てでおいしいよね」

「おいしい」

「うんうん」

「うまいッスね」


「ええ……じゃあ、悪いしせっかくだから……」


 滝川さんの指導なら問題は無いだろう。

 僕は渚や相馬が心配そうに見守る中、シンプルに丸く焼かれたクッキーをひとつ食べた。


「どう?」――期待に目を輝かせる鈴木。


「ん……まあ、おいしいね。ちょっと甘めだけど」


「太一はもうちょっとあっさりが好みかー」


「きっちりレシピ通りだとちょっと甘めになるからね」――と滝川さんがフォロー。


「最初でこれだけできれば十分だよ。えっと名前何だっけ」

「鈴木だよ。鈴木 祐里。よろしくね」


「あっ、私は成見 由子です」

「……さ、坂浪です」

「……小岩です」

「オレは西野っス」


「鈴代さんたちが食べてくれないから、文芸部の皆さん、良かったら全部どうぞ。田代たちのは別に取ってあるから。じゃあ僕は片付けがあるから。行こうか、滝川さん」


 二人はクッキーを置いて南校舎まで帰っていった。


「太一くん、体なんともない!?」


「うん、大丈夫」


「えっ、超美形だったよね。何でそんなにみんな邪険なの?」


「その……色々あるんだよ。色々……」


 成見さんたちは不思議そうにしてた。成見さんにはノノちゃんが話したかったら話すかな。まあでも、あのクラスの雰囲気は話しても分からないかもしれないか。


 結局、渚も相馬もノノちゃんも手を付けず、僕たちの空気を感じ取った樋口先輩も遠慮したため、クッキーは成見さんたち三人と西野で持って帰った。







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 二日前に文芸部やったばっかだよね!? ってなりますけど導入や締めにちょうどいいんですよね文芸部。ゴールデンウィークすっ飛ばす勢いのつもりでしたが、ご要望にお答えしまして、章を増やしてスローペースになりました。食べ物に罪はありませんw


 今回の劇中劇は『シャーレの中の彼女』。私が高校の時に考えたタイトルで、夢で見て泣いた話です。内容ほとんど覚えてませんでしたけどw 虫歯の無い下級生の少女、朱莉は原作にそのまま出てきます。あれも『られそでられない』要素がありますね。


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