幕間 七虹香の憂鬱

「七虹香ちゃん、サヤカと仲いいんだよね? どう? 今度ラブホの大きいベッドで三人でやんない?」


 朝、寝ぼけ顔でピンクグレープフルーツジュースの紙パックからガラスのコップにジュースを注ぐあたしに話しかける男。さぁやこと、同中出身の上橋 沙耶香かんばし さやかが付き合ってる大学生。


「無理無理、ぜぇたいそういうの無理!」


「七虹香はそういうのムリよ。この子、真面目だしバチクソ頭いいンだから。ラブホとか絶対行かんし」


「へぇ、でもエッチには積極的って聞いたけど?」


 春休み、夜中まで遊んでて、昨日はさぁやのマンションに泊った。さぁやのベッドを使わせてもらい、さぁやは大学生の彼とお出かけ中の両親のベッドでお楽しみ。あたしも人のことは言えないけど、さぁやはいつも男をとっかえひっかえしてた。


「相性のいい相手探してんだけど、なかなか居なくて」


「あっ、俺、女の子には上手いって評判よ。どう? 一度試してみない?」


「あっ、遠慮しときます……」


「ケースケ振られてやんの! 七虹香のチン線には触れなかったかァ」


「琴線でしょ!」


 だいたい、あたしはエッチでも本格的に熱が入り始めるのが遅い。とにかく遅いので、ベッドではバイブス上げるように努力してるし、普段からエッチな話題にも積極的。なのに付き合う相手はどいつもこいつも自己満足で終わる男ばかり。それなのに三人で? 馬鹿でしょ。さぁやだって不満を漏らす男が、三人であたしを満足させるとかあるわけないじゃない。


「――なんかこのピンクグレープフルーツジュースみたいな人ね、あんたの彼氏」


「そうかい?」


 ニコニコとするケースケとかいう彼氏。

 そういう意味じゃないんだけど。甘味も酸味も半端。

 普通のグレープフルーツジュースの方がまだいいかな。



 ◇◇◇◇◇



 さぁやたちがまたイチャイチャを始めたものだから、化粧だけしてぶらぶらと駅までを歩く。そーいや、渚のマンションもこの駅が最寄だったよね。駅の向こう側になるけどちょっと寄ってくかな。


 朝の人の少ない道を歩いていく。目的のマンションの近くまで来ると、広い道路を挟んだ向かいのカフェチェーンから出てくる男女。男の方はうちの学校の体操服を着ていたのですぐ目についた。そして女の方はスラッとした黒いパンツに水色がかった薄いグレーのパーカー。ぱっと見のスポーティさから、まさかそれが渚だとは思わなかった。



 渚は変わった。


 一年の入学式の時の彼女は、猫背で眼鏡の地味な女子。喋るのが苦手でイジメられてそうって雰囲気があった。高校デビューした佳苗はそんな彼女が嫌いだった。なんだか昔の自分を見ているみたいでムカつくと言っていたこともある。


 それが二学期、渚は変わった。あたしは直感した。これは絶対に男ができたんだって。


 渚の変貌ぶりは激しかった。それまで猫背だった背をピンと伸ばし、ダサい眼鏡をコンタクトに変え、薄っすらと化粧も始めていた。髪も伸ばすようになり、明らかに自信をつけたように見えた。これは自分に自信をつけさせてくれる男。例えばエッチの上手な甲斐性のある男ができたんだなと思っていた。


 文化祭の演劇では渚には余裕さえ垣間見えた。自信のある発声、主人公役の相馬を弄ぶような安定した体幹、猫のように変わる表情。渚の男は大学生と噂されていたけれど、そんなにいい男なんだろうか。あたしもあんな風に変えて欲しい……。


 十月のある日、渚が実は男と付き合っていないという事実が判明した。それを受けて、文化祭のころから人気が鰻登りだった渚は公開告白に晒されることとなった。ただ、その渚をドラマチックに攫って告白し、恋人としたのが太一だった。太一は背だけは高めだが、それ以外は特に目立つ部分のない、地味な男子だと思っていた――少なくともその頃は。


 ただ、それにしてはおかしい。渚のあの変貌は明らかに男ができたことによる自信の表れだった。興味はあるけど、当時のあたしは渚からはあまりいい顔をされていなかったし、太一ともお互い、話をするような仲ではなかった。


 その関係が変わったのはバレンタインのすぐ後。渚が母親の実家に軟禁され、それを太一と一緒に助けに行ったあの日。あたしが悩んでいることを告げると、渚が、あのかつて地味だった、今でもクラスではそれほど喋らない彼女が、恥ずかしがりながらも太一との赤裸々な性生活を語ってくれたのだ。


 あたしの疑問は解消された。太一だ。太一が変えたのだ。童貞の癖に恋人を思いやる一心で、自分たちにとって最高のエッチに辿り着いていたのだ。渚が陶酔するわけだ。あたしもそんな風に変えて欲しい! そんな体験をしたい!


 1回でいいから貸して――いや、自分でもなんて馬鹿な言葉なんだと思った。



 カフェを出た渚と太一は横断歩道を二人で手を繋いで渡り、楽しそうにマンションへ入って行った。あたしは二人についていく。古いタイプのマンションで、玄関のオートロックは無いためそのまま彼女の家の前まで行く。


 ただ、そこまで行って考えた。


 え、二人で走りに出て……こんな朝早くに戻ったってことだよね……。

 太一がいくら渚大好きだからって、わざわざ渚の家に来てから走りに行ったとは考えにくい。となると太一は昨日、渚の家に泊まったと考えるのが普通だろう。それなら朝早くから走りに行ける。


 しばらく考え込んだあと、ちょっとした悪戯心でメッセを送ってみることにした。


『おはー! お目覚めは太一の腕枕の中かな?』


 我ながらちょっとキモかったと自己嫌悪。ただ、配信はされても既読が付かない。


 あれ? いま戻ったばかりだよね?


『まだ寝てるー? そっち行く用あるからご飯でも食べない?』


 適当な用件をつけてみるけど、やっぱり既読が付かない。


 えっ、もしかして帰ってすぐエッチ始めた……?


 となると、最初に押しかけてたインターフォンも押すのは憚られる。あたしだったらこれからって時に最悪だって思う。



 ◇◇◇◇◇



 あたしは仕方なく、向かいのカフェチェーンに入った。

 カフェは窓がそれほど大きくなく、植え込みもあるのでマンションの様子はあまり見えない。ただ、この瞬間、渚と太一があの目の前の愛の巣で交わり合っていると考えると、ただのコンクリートの塊でしかないその建物から目が離せなくなった。


 あたしはとりあえず落ち着こうとモーニングセットを頼む。渚と太一は始めたら長いって話だし。


 トーストと珈琲がテーブルに並び、朝の時間をゆっくりと寛ぐ………………いや全然寛げないんですけど!?


 渚と太一があそこで何をしているかと考えるとヤバいくらいモヤモヤする。

 メッセを送りたくて仕方がない。でも既読にはならないし、野暮もいいところ。

 

『ヤバイヤバイ、頭変になりそう!』

『なに朝から』


 思わずメッセを送ってしまった相手は夏乃子。佳苗は恋人と別れたところだし、どうも太一に気があるように見えて仕方がないのもあって絶対に送れない。


『気になる男と女がすぐそこの建物でヤってる』

『なに? 修羅場? ラブホ前?』


『ぜんぜんちがうよ!』

『意味わからんし』


『偶然さっきその男と女を見かけたんだけど、マンション入ってから音沙汰無し』

『男と女、ひとつ屋根の下、何も起こらないはずがなく~』


『いやいやいや冗談じゃなくマヂそのシチュ』

『ナジカ、そんなことやってると脳破壊されるよ』


『ヤバヤバ、破壊されそお』

『どうしたいのよナジカは』


『正味、混ぜて欲しいデス……』

『エエ、ドン引き……』



 ◇◇◇◇◇



『まだヤってるっぽー』

『ナジカ、あんたもうそこから離れなさいよ』


 悲しみのスタンプを送った。


『――もう一時間以上経ってるし、疲れて寝てるんじゃないの?』

『だって明るいうちならヤったあとはシャワー浴びてちゃんと起きるって言ってたもん』


『どんだけ詳しいのよ』

『や、その、女子ぃーの方から詳しく聞いたことがあって』


『寝取られた内容を相手から聞くとか、ナジカどんだけ病んでんの』

『そこは楽しかったデスのよ』


『ナジカヤバない?』



 ◇◇◇◇◇



『やっと返事あったよ、心配かけたけどありがとう』

『もう3時間じゃん。お盛んすぎ』


『うん、じゃあ二人に会ってくるね』

『メンタル鋼かよ!』


 ようやく渚から返事があった。もう十時も回っていたからシャワーを浴びたとしても二時間は……いや、二時間半は優に超えていた。渚から帰ってきた返事は――。


『ごめんねちょっとスマホお出かけしてた』

『ご飯なら今から作るから食べにくる?』

『あと太一くんもさっき来たから一緒でもいいかな』


 まあ、こんな感じだった。スマホってお出かけするんだぁ――なんて渚のアイスブルーのカバーのついたスマホがトコトコとお出かけする様を想像するとおかしかったが、それを言い訳にしてしまう渚もかわいかった。ただね、太一はさっき来たわけじゃないだるぉ!


 あたしは、近くまで来てると連絡して、渚の家に向かうのだった。







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 本当はゴールデンウィークのお出かけネタを書こうと思ったんです本当です信じてください!

 そして実は初期にこういうネタをどうにかして入れようかと思っていたんですけど、まさかここで実現されるとは!


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