第17話 誘惑
「ちょっと心配してたのにスッキリした顔してるから逆に腹立つ」
朝、渚と教室に入るなり鈴音ちゃんと相馬に出迎えられたはいいが、鈴音ちゃんは顔をしかめてそんなことを言ってきた。
昨日、渚は温かかった……というより熱かった。別に、彼女の体温が急に上がったりするのは珍しくない。例えば脂肪の部分は筋肉の部分と比べてひんやりしている――というのは実際に触れてなるほどと思ったことがある。けれど渚にスイッチが入ると脂肪の部分も含めて温かくなる――というのが渚と触れ合う時間を通じてわかるようになった。
ただ、昨日は全身が熱かった。本当に大丈夫なのかと聞いたら、渚は大丈夫どころか――凄く調子が良い――なんて言うのだ。心配だったので、とにかく沢山かいた汗を流して、水分を取らせて、早めにベッドへ入らせてから帰宅した。そして今朝、駅で待ち合わせたときには普通に元気だった。
彼女に聞くと、前は体温が低かったからか風邪をひいて体温が上がると逆に調子が良くなったりしたこともあるという。風邪も吹き飛ばしちゃうなんて太一くんて凄いね――なんて言われたので、それなら先に言って欲しいと言うと――だって言うとやめちゃうもん――なんて返されて複雑だったりする。
「とにかく、渚にはちゃんと食べて普段通り元気にしててもらおうって話になった」
「そうだね。瀬川は平気でも鈴代さんのケアが大事だから」
「うん、元気だよ」
「……愛されてていいわね」
「うん」
渚が僕の横にくっついてきて顔を赤らめる。
「……皮肉なんだけど」
「おうおう太一ぃ! 彼女ができたからって朝からイチャついてんじゃねぇぞコラ。羨ましいぞコラ」
田代と山崎がやってきた。田代は何故か涙目なんだが。
「泣くなよ田代……」――と山崎。
「光ぅ、太一がイジメるんだ~~~。きっとクリスマスくらいには『彼女の初めて貰っちゃった』なんて言ってトドメを差してくるんだぜ、きっと」――光というのは
「あー、よしよし。お前にも春が来るって……」
田代……なんかごめん。
ちなみに田代は僕と渚が付き合うと公言した五時間目の次の業間には、皆の居る場なのにダメ元で渚に告白していた。当然断られたのだが――気持ちを告げられただけでいい――なんて、やっぱり田代はすごいやつだと思った。自分なら耐えられない。ただ、――もっと早く告白しておけばよかった――とその後しばらくは愚痴られることになったのはいただけなかった。
◇◇◇◇◇
一時間目の後の業間、渚の机に集まって話をしていた。
「瀬川から聞いた話で考えたんたけど、新崎に用意してもらった」
新崎さんがスッとスマホを取り出すと、そこには教室内を席の後ろから撮った動画が流れていた。ライブではなく授業中を撮影したもののようだけど。教室の後ろを見やると、皆の荷物を入れる棚の上にちょこんとバッグがひとつ置かれていた。
「リモートで撮ったの。教室に人が居なくなる時間帯に仕掛けるつもり」
そういえばSHRの前に新崎さんが――ちょっと私物を置かせてもらうわね――なんて皆に言っていた。そうわざわざ言われては新崎さんのバッグなんて誰も触ることは無いだろう。さすがトップカーストだ。
「親しい友達と委員長には話してあるから」
「向こうの動きは野々村さんに協力してもらうつもり」――と相馬。
「あとこれ」
鈴音ちゃんが丸っこい五百円玉よりも少し大きくて厚みのあるものを4つ寄こしてくる。ひとつはキーホルダーになっている。表面には中学生くらいの女の子が好きそうな可愛いシールを貼ってある。
「なにこれ?」
「わぁ、懐かしい」
「スマホで探せるタグ。前に渚が物を隠されたりしたときに使ってた。たぶんあいつには知られてないと思うけど、役に立つかもしれないからバッグとかに入れときなさい」
「高いのに、鈴音ちゃんがねだって買ってもらったの」
「別に渚のためだけって訳じゃないわよ……」
鈴音ちゃんがそんなにまでして渚を守ってくれてたことが嬉しい。
「あんたも彼女の前で他の女にニヤニヤしないの」
そういう訳で、姫野か或いは他の誰かがやったことの証拠を掴んでやめさせようという話になったと教えて貰った。これだけ味方の居る教室に居場所があるんだ。何も怖いことはない。渚も皆の話を聞いて、昨日のあの体を強張らせていた彼女とは思えないくらい笑顔を見せていた。
◇◇◇◇◇
昼の休み時間、いつものように相馬と自販機に向かう……のだが、連れ立って歩くのが相馬だけではなかった。
まずいつもの新崎さんこと
新崎さんと特に仲の良いのが
それから
そして
そしていつもなら鈴音ちゃんと二人で自販機に寄ったりしていた渚だったが、新崎さんたちの行動にちょっとご機嫌ナナメなまま、僕の横を歩いている。鈴音ちゃんはその後ろ。
何でこんなことになっているかというと、全ては新崎さんたちの企みだった。要は『ざまぁ』などという蔑称を受け入れ続けてきた僕に活を入れるべく、そしてそのような蔑称で二度と呼ばせないために新崎さんたちと仲の良い所を周りに見せつけようと言う作戦だった。
「いやでもこれ、逆に男子には恨まれそうなんだけど」
「あなたが男子に妬まれるのは平気なんでしょ? 鈴代さんには影響ないしいいんじゃない? これから毎日、私たちのうちの何人かとお昼は一緒に出歩きましょう。委員長も協力してくれるって」
「渚にも恨まれそうなんだけど……」――新崎さんに文句を返す。
「へぇぇ、な・ぎ・さ なんて呼ぶんだ。瀬川くん、普段は鈴代なんて呼んでるクセに」
「そりゃもう二人だけにしたらベタベタ、ベタベタ。見てるこっちが恥ずかしくなるわよ」
鈴音ちゃんが宮地さんに愚痴る。
「お二人とも、愛し合っておられるのですね」
「琴音も愛し合うとか恥ずかしげもなく言わないでよ」
「あら、百合さんは恥ずかしいのですか?」
「は、恥ずかしいに決まってるでしょ……」
「でも、許婚でも居ない限り、いずれは愛し合う男性を見つけなければいけないのですよ? 今、学生だからと言って恋愛を恐れ、いざ必要な時になって慌てて男漁りなど始める方が恥ずかしいです」
「付き合う相手は一生に一人だけにしたいから私には無理」
「百合さんほどの方が勿体ない。私は親の決めた相手なんて御免です」
宮地さんは鈴音ちゃんの愚痴を聞きながら楽しく会話し、山咲さんと奥村さんの意外な一面を耳にしながら、相馬と新崎さんは周りの様子を伺いながら小声で話をしていた。周りにこれだけの女子がお喋りしている状況はこれまでの学校生活では一度も無かったわけだけど、それなのに僕にとっては人目に付く中を渚と並んで歩くことの方がドキドキした。
◇◇◇◇◇
売店の入っている学食に付くと、山咲さんが僕の右腕を取ってきた。
同時に彼女からふわりといい香りが漂ってくる。
「ちょ、ちょっと山咲さん。いきなりどうしたの!? ――痛っ、渚、痛い」
左隣に居た渚が左手の甲をつねってきていた。
「あら、瀬川くんと仲のいい所を女子生徒に見せつけるのでしょう? 早くお店を案内してください」
そこに新崎さんが入ってくる。
「琴音さん、ステディの居る男性に手を付けるのは
「まあ、それは失礼しました。せっかくの機会と思いましたのに残念です」
「私が案内しましょう。どうぞ」
山咲さんが新崎さんの手を取り、ようやく解放された。奥村さんも二人について行く。山咲さんは普段、男子を寄せ付けないオーラがすごいのでこの行動は予想外だった。
「太一くん?」
「ごめんなさい……」
「まあまあ鈴代さん。新崎と見てた限りでは二年の女子には効果的みたいだよ。このまま瀬川がハイカーストのひとりとでも思わせられれば不名誉な渾名の方は消えるんじゃないかな」
渚は口を尖らせていた。
「鈴代さんも妬いちゃってカワイイ」
「宮地も余計なこと言い触らさないでよね。この上クラスの中が騒がしくなったらややこしいから」
「了解了解!」
その後、また同じように教室まで帰ったのだが、帰った途端に田代に問いただされた。
「モテ期か!? 太一お前モテ期到来なのか!?」
「いや、そんな喜ばしいことじゃないんだが……」
このあと昼休み中、問いただされた。
◇◇◇◇◇
結局、火曜日当日は何も起こらなかった。そして翌日の水曜日。前回、消しゴムが無くなったのもちょうど一週間前の水曜日。おそらく五時間目の体育の授業。
昼休み、新崎さんは用があるとかで、山咲さんと宮地さん、それから奥村さんと連れ立って自販機に行った。隣をくっついて歩く渚は彼女の後ろを歩く山咲さんをやたら警戒していて、そんな渚にニコリと余裕の笑みを返す山咲さんが居た。昨日も渚が嫉妬し、
鈴音ちゃんは宮地さんとずいぶんと仲が良くなったようにみえる。宮地さんのポジティブさが鈴音ちゃんの口の悪さを受け入れてくれているようだ。少し前までは鈴音ちゃんは宮地さんにも文句を言っていたのに、さすがトップカーストのコミュ力は違う。
そして今日のダークホースはなんと奥村さんだった。いや、確かに僕と渚の後ろを山咲さんと奥村さんが歩いていたのは確かで、なんなら昨日の昼休みの帰りも二人が後ろを歩いていたような気もするのだけれど。
ぽよん――と、背中が何か柔らかいものに当たった感触があった。
人混みで横から抜けてきた生徒を少しだけ下がって避けたのだけれど、その僅かな距離でぶつかってしまった。そしてその感触に危険なものを感じ取った僕は、慌てて振り向き――。
「ごっ、ごめんっ」
「いえ、別に」
そう返したのは真後ろに立っていた奥村さんだった。
渚は訝し気に僕を見ている。
確かに上着やシャツ、下着なんかがあるから普通はそんなに感触が伝わるものではないのかもしれない。けれど渚くらいにもなると背中にくっつかれると普通ではない圧を感じることがある。そしてさっきのは間違いなくその
そして二度目が起こった。
人混みの中、相馬に話しかけようとして振り向いた――。
ぽよん――こんどは右の肘あたりにその感触があった。
「ごご、ごめん」
「いえ……」
また後ろに奥村さんが居た。
それを見ていたのか、山咲さんがクスクスと笑っている。
渚はまた訝し気な顔をしている。
渚は山咲さんを警戒していて気づいていないようだった。
僕は何か身の危険を感じて早めに人混みを抜け、離れたところで渚と一緒に皆を待った。
教室への帰りも山咲さんと奥村さんが後ろをついてきていた。
◇◇◇◇◇
教室に戻って相馬と弁当を食べ始める。僕は小声で――。
「相馬、奥村さんちょっと変じゃなかった?」
「ああ……うん、そうだね……」
「見てたんだよな?」
「なんかその……瀬川の首筋の匂いを嗅いでた」
「ぇえ……」
姫野とかいう女子の嫌がらせよりも、何かもっと大きな問題が生じているように感じた。
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初めての(?)不穏な引きです!
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