第16話 友人たちと
最初に違和感を感じたのは六時間目の英語の授業だった。
ノートのミスを消そうと思ったら消しゴムがない。布製のペンケースをひっくり返してみたけれど、どこにもない。五時間目は体育だった。その前は昼休み、そして四時間目の現国。現国の時間には確かにあった。机の中かと思い、ごそごそと探し物をしていると、目立ってしまったのか当てられてしまい和訳をする。
その場は山崎に消しゴムを借りる。どこかへ落しただろうかと、放課後に床を見回してみたけれどやっぱり無かった。一緒に帰ろうとした渚にどうしたのか聞かれるが、――消しゴムを落としたみたいで――とだけ答えたと思う。
帰りに渚と文房具屋に寄った。いつもの消しゴムを買い、それとは別に渚と一緒に文房具を眺める。彼女も僕も文房具のお店は眺めているだけで楽しく、いくらでも時間を潰せる。そのうち、手に馴染むシャープペンを見つけて――これいいな――なんて思って見てると渚が傍までやってきて、同じシャープペンを手に取り――これいいね――なんて言うので、――僕も同じこと思ってた――と返すと、じゃあお揃いで買おうかなんてことにもなる。
◇◇◇◇◇
翌日、五時間目の芸術の選択授業で美術室に行く。ちなみに渚は書道をやっている。彼女は字も上手だし、それだけで憧れる。本人に言うと恥ずかしがるけれど。
六時間目は現国。ノートを取ろうとする……のだが、下敷きがない。なんで? 美術室には持って行っていない。四時間目には確かにあったはず。おかしい。下敷きの無い不快感にちょっとイライラしながらノートを取った。
「どうしたの?」
文芸部に行こうと渚が待ってくれている。
僕は机の中かノートのどれかに挟まったりしていないか、下敷きを探していた。
「ああうん、後でまた文房具屋に寄ってもいい? 買い忘れたものがあるから」
「いいよ。いいけど今日は長居しないからね」
昨日は長居しすぎたせいで渚との時間をあまり取れなくて、彼女もご不満だった。
◇◇◇◇◇
それからまた翌日、買ったばかりの消しゴムを失くした。
また忘れたのか――なんて隣の山崎には言われたけれど、さすがにこう度々だと僕も困る。先日、予備の消しゴムは買ってあったので渚と文房具屋に寄る必要は無いのが幸いだった。
「瀬川、最近、二年の女子と何かあった?」
昼休み、自販機に向かう途中で相馬がそんなことを言ってきた。
「いや?」
「じゃあ1-Cの女子とは?」
「相馬さあ、僕がそんなに女子に知り合い多いと思ってる? 女子によく話しかけられる相馬と違って、少なくとも僕にはどの女子がどのクラスかなんてわからない」
「ああいや、そういう意味じゃないんだ。なんか瀬川を馬鹿にしてるっていうか、瀬川を見てひそひそ会話してるように見える」
「カースト底辺の僕にとって別に気にすることでもないんだけど」
「う~ん、そういう意味でも無いんだけど。――やっぱちょっと気になる。先に教室戻ってて」
そう言って相馬は廊下を引き返していった。
◇◇◇◇◇
週明けの月曜日。寒い日にあいにくの雨。
そういえば渚は中学のころ、寒い日の雨でよく体調を崩してたなんて言ってたな。
今朝の渚の様子を見た限りでは元気そうだった。僕も安心していた。
四時間目、視聴覚室での授業から戻ってくるついでに相馬と自販機に寄ってくる。相馬は相変わらず周りの女子を気にしている様子。相馬くらいになると彼女が居ても告られたりするんだろうか。まあ、まだお試し期間だしな。
教室に戻ると窓際に何人かのクラスメイトが集まってる。
「誰のだろ?」
「男子のっぽい?」
僕はなんとなく気になって皆が見ていた窓の外をのぞくと、校舎と塀の間にある植込みに体操服の上下が引っかかっているのが見えた。そしてまた、なんとなく気になって自分のスポーツバックを見やると閉めたはずのジッパーが開いていた。
「まあ、確認するまでもないか」
僕は買ってきた飲み物を机に置くと、教室を抜け出し階下へと下り、昇降口へ向かう。傘を探して差し、教室のある校舎の南側に向かう。
幸い、体操服は高い所には引っかかっておらず、すぐに回収できた。一応、名前も確認しておく。
「いつものことか」
なんて独り言ち、帰ろうとするとそこに傘も差さずに青い顔をして立ち尽くす渚が居た。
「渚? どうしたの、傘くらい差さないと風邪ひくよ」
渚に傘を差してあげる。何も言わない渚。
「大丈夫?」
渚は突然抱きついてきた。
渚は震え、小さな嗚咽を漏らしていた。
「大丈夫だよ。泣かないで」
「うわぁぁぁあん――」
渚は声を上げて泣き始めた。
僕は彼女を抱きしめ返し、背中を擦ってあげた。
気づくと傘を差した相馬と鈴音ちゃんが僕たちを見守っていた。
◇◇◇◇◇
渚には鈴音ちゃんに着替えの体操服を持ってきて貰い、トイレで着替えて貰っていた。
僕はと言うと、相馬とトイレ近くの渡り廊下で話をしていた。
「カースト底辺って言ったでしょ? 転校が多かったからこういうのは別に珍しくないんだって」
「それにしたってさ」
「もう高校生なんだから、大したことはできないって。こんな悪戯、どうせそのうちボロが出て見つかるよ」
「親とかには相談したことないの?」
「したから高校ではもう転校しないようにしてくれた。母の実家の古い家をリフォームして、母親は通える距離に勤め先を変えてくれたんだ。親父は転勤が無くなった代わりに出張が増えたけどさ」
「今回のも相談するべきだよ」
「太一くん!」
振り返ると涙目の渚、それから鈴音ちゃんが居た。
「そんな話、私聞いてないし、それに……私ばっかり辛い目にあったみたいな顔して……ごめんなさい……」
「いや僕のはほんと、大したことないから。それに悪い事ばかりじゃなくて相馬みたいな友達だってちゃんと居たしさ。こんなイケメンは初めてだけど」
僕は笑ったけど三人は笑わなかった。
「――体操服は今日もう使わないし、消しゴムや下敷きが無くなったくらい平気だしさ」
「やっぱり……そんなことされてたんだ。おかしいと思った。ちゃんと言ってよ!」
「渚は自分のことがあるから心配かもしれないけどさ、僕にはそこまでの問題でもないんだ」
「だって……」
「とにかくほら、後にしてお昼ご飯食べよ? 体も冷えてるし、渚に風邪をひかれると困る」
◇◇◇◇◇
放課後、文芸部に行く予定を変更して前回の面子でファミレスに来ていた。ただ今回、皆川は居ない。彼女は普段、演劇部で忙しくしている。下手すると運動部より忙しそうだ。代わりに相馬の隣に座っているのが野々村さん。今日、文芸部に来られないからか相馬についてきていた……のだが。
「えーっと、相馬? これ、修羅場とかじゃないよね?」
こちらは前回と同じく右手奥の窓側から鈴音ちゃん、渚、僕なのだけれど、正面に座るのは右手奥から新崎さん、野々村さん、相馬。野々村さんが、新崎さんの隣に
「相馬はちやほやされるからって女の子を振り回し過ぎなのよ。少しはノノちゃんに気を使いなさい」
「あの……すみません押しかけて……」
ノノちゃんこと野々村さんが、か細い声で言う。
なんとなく一学期のころの渚を思い出す。
「あ、平気平気、大したことじゃないから」
「大したことあるわよ」
「大したことだろ」
「ぇえ……」
とりあえず飲み物をと、各々で注文して、ついでに僕の奢りで大皿のフライドポテトを。
「なんでそこでしっかりポテトまで注文してるんだよ」
「えっ、いや、わざわざ集まって貰って悪いし?」
「気を使って貰えるのは嬉しいけど男子じゃないんだからそんなに食べないわよ」
「で、なんで瀬川はそんなに普通で居られるんだ? 鈴代さんの方が参ってるぞ」
「ごめん渚」
渚は俯いたまま首を横に振る。
鈴音ちゃんが渚の背中に手を回してくれていた。
「――まあ僕も最初からここまで悟ってたわけじゃなかったんだけどさ、中学の時にできた最初の友達が教えてくれたんだ。ちゃんと信じられる人が一人でも居て、大事にできてるなら大抵のことは大したことないって。そりゃもちろん、あまりやり過ぎたら怒るけどさ」
「でもずっと転校続きだったんでしょ?」
「毎回こういう嫌がらせに遭ってたわけじゃないし、友達もできてたから運が良かったのかな。ま、とにかく大事なのは今だよ。今は渚も皆も居るから余裕」
「はぁ、瀬川くんの自己評価が低いのもなんとなく理由がわかったわ」
「カースト底辺なのはいつもだよ」
「あのね、スクールカーストなんて言ってるの瀬川くんだけよ? わかってる?」
「トップの新崎さんに言われてもなあ」
「……顔だってその、相馬ほど大勢にウケないかもしれないけど、十分整ってるわよ」
「大丈夫。新崎は面食いだって自白してたから」――相馬がやっと笑う。
「ああ、そうだ。この間からちょっと女子に聞いて回ってたんだけど」
「あら、相馬は女子と話すの苦手とか言ってなかった?」
「新崎と話してたら、女子ってこんなもんかって平気になった」
「失礼な男よね。ねえ、ノノちゃん」
「……」
野々村さんは黙ったままだけど、大丈夫なのコレ?
「まあそれで聞いたんだけどさ、文化祭からしばらく、瀬川、『ざまぁの人』とか呼ばれてたってほんと?」
「ああ、ほんとだよ。クラスで居るときは無かったけど、他所のクラスの男子には割と言われたりした。おおかた新崎さんか渡辺さんのファンでしょ」
「……演劇部の人も言ってたけどそういう意味だったの?」
やっと渚が口を開いた。
「違うよ。演劇部の人は褒めてくれてたの。別の連中が渾名で言ってたのはたぶん馬鹿にしてだけど」
「何で言ってくれないのよ!」
「まあまあ……。渚、そんな大したことじゃないんだって。実際、最近は聞かないし」
あれも結局、僕が気にしなければ何の問題も起きなかったわけだ。
「いや、それがそうでもないんだよ。聞いた感じだと、二年の先輩と1-Cの誰かが女子の間で瀬川を貶めるつもりで渾名を使ってる」
「姫野……」
小さい声でそう言ったのは野々村さんだった。
「ノノちゃん知ってるの?」
「1-Cだから知ってるかもと思って声をかけたんだ」
「……姫野って、
「……がそんな話をしてた……と思う……」
「中学の時、最後まで渚をイジメてた子なのよ」
渚を見ると青い顔をしていた。
手を握ってやると冷たかった。
「渚? 大丈夫?」
渚の肩を抱いてあげると震えていた。
「二年の先輩って誰なのか聞いてるの?」
「ああ、何人かは――」――そう言って相馬は名前を上げていく。
「仁科先輩のファンばかりね。つまり――」
鈴音ちゃんは皆の顔を見回す。
「――瀬川じゃなくて渚に嫌がらせしてんのよ、これ」
鈴音ちゃんの話では、昔の渚は大人しくて目立たなかったから、小さな嫌がらせだけで十分過ぎるほどに通じていた。けれど、今の渚は本人が健康的でしっかりしている上に校内でも目立つ存在になってしまって手が出せないのではないかという。
じゃあ何で僕なの? ってなるけれど、先日の告白騒動で――あの男子にも馬鹿にされている『ざまぁ』――が渚の恋人と知れ渡ったような状況。そこにちょうど出回っていた椎名ミチこと仁科満華と渚の写真が、連中の感情をぶり返させたのではないかと鈴音ちゃんは言う。
もちろん、僕にそんな嫌がらせが効くかどうかなんて関係ない。今の渚を見ればその効果は一目瞭然だった。
「ハァ? 許せるわけないでしょそんなの、腹立つ!」
「渚のためには怒るんだ……」
「当たり前でしょ、彼女だもん」
「瀬川がやる気になったし、何とかするかー」
「私、皆に声をかけておく。高校生にもなって信じらんない」
「中学で渚をイジメてた女子の名前送っとくわ」
目に涙をいっぱいに貯めていて、それでも泣きださなかった渚が顔を上げる。
「ありがと、みんな」
「渚はさっさと家に帰って色男に慰めて貰いなさい。そこはもうあたしの出番じゃないから」
「……言い方はともかく、鈴代さんがしっかりしてくれてるのがいちばんなのは確かね」
「瀬川もあとは任せとけ」
「(えっ、えっ、お家で慰めるって……)」
僕たちは二人分の支払いを置くと、二人で顔を赤くしてファミレスを後にした。
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俺たちの戦いはこれからだ!
話がまとまりそうなので投稿しました。
三章執筆までしばらく間が空いたりしたのでどこか設定ミスしてそうな気もします。
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