第5話 文化祭 前半

 文化祭直前に体育館を使って行われた通し稽古は服飾担当の女子たちが頑張って作った衣装も身に着けての練習だった。渚は貫頭衣を腰のところで縛っただけのシンプルな聖女様の衣装だったけれど、細いのにその……大きくて目立っていた。彼女を見ている間、始終ドキドキが止まらず、台詞もおぼつかなった。


 劇自体は上手くまとまっていた。というより、リハーサル動画を観たところ、演劇部員たちの指導もあってか、あれこの話、意外と面白い? なんて思ってしまった。まあ、自分の演技だけはお察しだったけど。



 ◇◇◇◇◇



 文化祭初日の午前最後のプログラムが僕たちのクラスだった。

 その日の朝、渚からメッセージを貰った――。



『今日はがんばろうね!』


『台詞、ちゃんと言えるかわからない。今から緊張してきた』


『大丈夫。だって太一くん、原作者でしょ?』


『原作者と役者はぜんぜん違うよ……』


『ううん、そうじゃないってば。原作者は神なんだよ。自信もって!』



 ――なんて調子だったけれど、未だにスマホとにらめっこしていた。


 出番を待つ皆。

 前のプログラムが終わって幕が下り、舞台セットの入れ替えが始まる。


「うう、緊張してきたー」


 薄暗い中、背の高い渡辺さんが言う。彼女は鎧姿の剣聖の格好で目立つ。

 ウレタン製の金属色の鎧がカッコイイ。誰よこんな本格的なの作ったの。


「大丈夫。みんなフォローしてくれるから気楽にいこ?」


 渚はずいぶんと落ち着いて見えた。このところ彼女は自信が付いたように思う。そんな彼女が声を掛けると渡辺さんは見た目にも落ち着いてきた。目立つ渡辺さんが落ち着いてくると、逆にこっちは焦ってしまう。落ち着こうという焦る気持ちが何度目かの溜息に変わるとき、渚が不意にこちらに向かってくるのに気が付いた。彼女は目を合わせることはしないが、すれ違いざまに衣装で隠して僕の太腿を撫でていった。


 渚の細くて柔らかい手はそれだけでその……なんていうかエロい。

 頼めば何でもしてくれるだろうその手は、存在そのものが僕の中では他のと同じかそれ以上にエロい部位へと変わっていた。ああ、こうやってフェティシズムは生まれていくんだなと実感したものだ。


 そんなことを考えていたら舞台へ上がる時間となった。

 落ち着いてはいた。いたけれど、台詞は頭になかった。

 ナレーションと共に幕が上がる。



「ユーキ! お前は今日限りクビだ!」


 声を張り上げて相馬を指さす。

 えっ――っという小さな声も上がるくらいのリアクションで舞台上の皆が僕を見た。

 当然だろう、台本的にはネチネチとした主人公への文句から始まるのだから。


「何を今更そんなとぼけた顔をしてる? わかってるだろう? お前は女神様から選ばれ、国王様から援助されたこのオレの勇者パーティには何の貢献もしていない。だいたいお前ときたら――」

 

 文句の内容は覚えている。解雇理由も。ヒロインとの関係も覚えている。あと、大体の尺も。自信を持って響く声を出すことに専念して、頭の中で台詞を組み立てながら喋る。どうせこのシーンはほとんど僕の台詞だ。


「――なあアリア!」


 そう言って新崎さんに振る。順番から繋げ方まで一緒だ。彼女のキャラは勇者の魅了で洗脳されているからペラペラと主人公の批判をする。台詞は変わっていない。


「彼ではオレたちについてこられない。わかるだろう? ルシャ」


 渚に振ると、彼女は感情をこめて慈しむように主人公の退陣を促す。彼の力量では命の危険さえあるからと。渚はいつもよりもずっと魅力的に見えた。


「剣の腕はお前がいちばんよくわかってるよな、キリカ!」


 最後、渡辺さんに振ると、彼女は両手剣を床に突き立て、主人公の実力では格下のモンスターでさえ倒せないだろうと言い切る。――いい気味だ! ――なんてうっかりキャラクターに感情移入してしまった。


 僕はアリア役の新崎さんの肩に手を回して抱き寄せる。


「まあ、せめて最後に手切れ金くらいはくれてやる。ああ、装備一式は置いていけよ。パーティの財産として魔王討伐に必要だからな! あっはっはっは!」


 主人公を残して舞台袖へと退場していく僕たち。

 詰まることなく綺麗に主人公の独白まで繋がった。



 袖まで行くと、ハッとなった新崎さんに手を振りほどかれた。


「ちょ、ちょっと、こんなの台本に無かったじゃない! 台詞も全然違うし!」


「ごめん、なんか頭真っ白になっちゃって」


「せーがーわー」


「な、なに、皆川さん……」


「勝手に面白くしてるんじゃないわよ。相談くらいしなさいよ」


「ここからはちゃんと覚えてるからさ……」



 ◇◇◇◇◇



 次の出番。思い上がった勇者パーティがダンジョン内で太刀打ちできない強さのモンスターに遭遇するシーン。ここでルシャ役の渚を切り捨てて勇者たちは逃げる。


 モンスター役の田代相手に、新崎さんの聖騎士アリアの剣も渡辺さんの剣聖キリカの剣も通用しない。そしてさらなる数体のモンスターの登場。


「ひっ……」


 思わず声を出してしまったのは、渚が観客席から見えない位置で僕の背中を指で一本、上から下までひと筋なぞったからだった。なにするの!? ――なんて声こそ出さなかったものの、思わず渚の腕を掴んで見つめ合ってしまった。


 台本の流れとしてはこのまま渚をモンスターの群れに押しやって逃げるだけ。

 ただ、渚が見つめるものだから切り捨てる罪悪感が酷く、最後の最後まで僕の手を握り続けたものだから、勇者が怯えて聖女を置き去りにするシーンが今生の別れのようなシーンになってしまった。


 舞台袖まで逃げた僕は、当然のように皆川さんに怒られた。


「また勝手に演出変えて! 今度は変な雰囲気になっちゃったじゃない!」


「えぇ……」


 僕が悪いの? 今のはどう見ても渚でしょ――とは言えない。

 何考えてるの渚!

 そして彼女は今、相馬とのキスシーンを演じていた。


 彼女は観客席に後頭部を向けるようにして体を捻り、目が開いているのをバレないようにしていた。まあ、本人はガチ睨みしてるからね。他の二人は目を瞑ってキスを待っているくらいなのに。



 ◇◇◇◇◇



 舞台は順調に剣聖キリカ役の渡辺さんを取り戻され、聖騎士アリア役の新崎さんを取り戻され、勇者エイリュースはどんどんヒロインを寝取られ――もとい、奪い返されていく。ついでに主人公が抜けてから誤魔化し続けていた戦績を国王の前でバラされ、ざまぁされる。


 僕はヒロインたちを――いや、渚を相馬に奪われたことで主人公に感情移入し、情けない声でヒロインたちに帰ってきてくれと嘆くがもう遅い。渚演じる聖女ルシャに――。


「貴方はあのとき私を囮にして見捨てたではありませんか」


 と言われると、感情とともに涙が溢れてしまった。続く渡辺さんや新崎さんの台詞もあったけれど、あとついでにお姫様から見下される台詞もあったけれど、僕は渚の台詞を引き摺ったまま低く響く声で赦しを請いながら衛士に連行され退場していった。


「うわっ、何で泣いてんのあんた……」


 皆川さんや委員長が戻ってきた僕にドン引きしている。


「名演だったろ?」


 と、口では言ったがその実、涙声でカッコよく決まってなどいなかった。

 最後、主人公の相馬がメインヒロインの新崎さんと結ばれた上で何故かハーレムパーティを結成し、魔王との戦いは続くのであった――と締めくくられた。酷い話だ。


 幕が下り、全員が並ぶ。

 真ん中にメインヒロインの新崎さん。向かって右に相馬、渡辺さん、脇役の皆が並ぶ。

 向かって左側には僕、そして渚――。渚は役になり切っているのだろうか? 幕が再び上がる前から僕の右腕を取って腕を組み、観客席に向かって手を振っていた。

 最後、皆で手を取り合って挨拶をし、再び幕が下りる。


「やったー、お疲れさまー!」


 舞台袖から皆川たちが走り寄ってくる。午前の部は終了したので、道具や衣装担当の皆もすぐに片づけには入らず、お互いの頑張りを讃え合う。


「リハのときよりぜんぜんいい。頑張った」


 僕にも演劇部のクラスメイトがそう言ってくれる。まあ、原作者特権だよね。

 当然、僕なんかより相馬の方が人気だった。ヒロインたちも放してもらえそうになかったので、僕は大道具の片付けの手伝いを始めた。大道具の担当は男子が主だったので、いろいろ指示を貰いながら搬出口へと荷物を出していった。



 気が付くと、メインキャストの皆は姿が見えなくなっていた。

 舞台装置を担当しているクラス外の演劇部員たちも昼休みに出て行ったみたい。

 履物の関係で外を手伝えなかった僕は、舞台と搬出口を往復している間に、いつの間にか独りになってしまっていた。


「忘れ物はない……な……」


 なんて、クラスの責任者かのように幕の下りた舞台で独り言ちた。


「はぁ……馬鹿みたい……」


 さっきまで熱気に包まれていたこの場所に今はもう誰も居ない。

 独りに慣れているからこういう場所は嫌いな訳ではなかったのだけれど、ちょっと寂しい。



「あぁもう、やっぱり居た」


 振り返ると舞台袖に渚がいた。


「――太一くん、居なくなっちゃったから」


「さっきまで大道具の片付け手伝ってた」


「みんなで写真撮ろうって話してたの。探したんだよ?」


「うーん、ま、いいかな僕は」


「また……。もう、こっち向いて!」


 ぴょんと飛びついてきた渚は僕の首に腕を回した。

 今生の別れを果たした彼女との再会は熱い口づけだった。

 学校で始めて恋人らしいことをする。

 それだけで興奮した。


「ん……んっ……ちょっと……ここじゃダメだよ」


「ご、ごめん、つい」


 我に返った僕は、渚と舞台を後にした。



 ◇◇◇◇◇



「はいはーい、じゃあ撮りまーす!」


 後から合流した僕と渚は集合写真を何枚か撮影した。

 既に片付けに入っていた教室では、道具の処分も行われていた。


「舞台の衣装欲しい人はコーヒー代カンパで差し上げまーす! 要らなくても燃やしちゃうんだけどね。それはそれで文化祭の醍醐味だけど!」


 服飾担当の女子が教室の前に出て言う。被服費も予算から出ているとはいえ、ほとんどは無償の人件費で成り立っている。服飾室では何台もミシンがあって、それでも順番待ちが多いらしいから大変な作業だ。


「私、欲しいです!」


 そう言って真っ先に手を上げたのは渚だった。新崎さんも手を上げる。渡辺さんは――衣装というより鎧だったから悩んでいる様子。そっちの方が絶対価値あると思うんだけどね。


 ペコ――メッセージが届いた。


『太一くんも貰ってね』


 渚からだ。

 まあそう言うならと、手を上げる。


「俺、渡辺さんの鎧、超欲しい!」


 と手を上げる山崎。


「えっ、それはなんかヤダ」

「さすがに女子の衣装は女子限定でー……」


 渡辺さんの言葉と服飾担当の女子の言葉に項垂れる山崎。

 残念だったな、可哀そうに。


 結局、渡辺さんの鎧とお姫様役のドレス、端役の衣装などは貰い手が付かなかった。

 理由として洗濯し辛いってのは割と納得できる理由だったな。カビやすそうだし。

 ただ、人気はあったので、女子同士で着せ替えしあったりして写真を撮っていた。



 ◇◇◇◇◇



 着替え終わった後、僕と渚、そして相馬は文芸部に顔を出した。

 相馬が部長を見つけて挨拶をする。


「部長、お疲れ様です。こっちは昼までに終わりましたので手伝いに来ました」


「おっ、来たか来たか。演劇どうだった?」


「瀬川がやらかしましたけど無事終わりましたよ」


「何やらかしたの?」――副部長が聞いてくる。


「いやぁ別に……好評でしたよ?」――僕が言い訳すると相馬は――。

「瀬川、自分が原作者だからって、台詞をアドリブで作りながらノリノリで演じたんですよ。おかげでキャストの皆、慌てちゃって」


「いや、あの慌てたリアクションが良かったんじゃね?」

「一緒に演じてる方の身になってくれよ」


 ふふ――と渚が嬉しそうに笑う。

 部長たちも一緒に笑っていた。


「瀬川くんは即興の才能あるのかもね」


「今度録画見せますね。あ、先輩、部誌の方はどうでしたか?」――渚が副部長に聞く。


「こっちもたくさん売れたわよ。特に鈴代さんの作品、女の子たちに人気だったわ」


「ほんとですか! 嬉しい」


「明日の分はちょっと残りそうにないから店番居なくてもいいわよ。サンプルだけ置いて、欲しい人には名前だけ書いて貰って後から頒布するから」


 渚の作品が皆に読んでもらえたようで嬉しくもあり、そして複雑な部分もあった。



 ◇◇◇◇◇



 放課後、渚の家に寄った。先日のこともあり、駅での待ち合わせは避けて彼女の家へ直接向かうようにしていた。


「お邪魔します」


 家に上がると、彼女はすぐに紙袋を僕から奪った。中身は劇の衣装が入っている。


「これ、洗濯しておくね。あ、それとも今着る?」


「なっ、えっ、着てどうするの?」


「だって、ずっと見てたでしょ? 私のこと」


「え、ああ、はい、見てました」


「じゃあ、そっちの部屋で着替えてね。着替え終わったら部屋の外から声を掛けて」


 渚とは別の部屋で着替えた僕は、声を掛けてから彼女の部屋に入った。

 そこにはあの舞台の上の渚――聖女ルシャが居た。


「勇者様? 私、見てましたよ。アリアさんの肩に手を回して抱き寄せてたの」


「うぐっ……」


 調子に乗ってあんなことをしてしまったが、やっぱり渚は気にしていた。


「それで? 何か言うことはありませんか?」


「ごめんなさい、調子に乗ってしまいました」


「アリアさんと同じようにしてください」


「え……はい」


 僕は渚の肩に手を回して抱き寄せた。


「これだけじゃないでしょう? ちゃんと白状なさい」


「えっ?」


「隠れてエッチなことしてたでしょ? 隠し事はこの聖女には通用しませんからね」


「えっ!? ええ??」


 しかし渚演じるルシャは悪戯する子供のように、にっこり微笑む。


「――はい、してました」


 その後、すっかり聖女様に搾られた勇者は、反省と共に嫉妬した女の子の恐ろしさを実感したのだった。


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