第4話 鈴代のカレシ

 昨日、彼女とあれだけ一緒に居て安心できたかと思ったのに、翌日の朝はまた憂鬱になっていた。朝のおはようのメッセージで元気付けられたものの、登校の間くらいしかその元気は持たなかった。


 昼休みの練習の時間がやってくる。

 僕はというと、後半に追加された台詞の方は憶えやすかったのもあって何とかなりそうだった。さすが皆川さん。問題はやはり冒頭のシーンの台詞の多さだった。まあ、原作者が悪いんだけどね。


 そして渚。

 なんだか今日は生き生きして動きにメリハリがある。


 そういえば一学期の頃はどちらかといえばのんびりな印象の彼女だったけれど、いつの間にだろう、以前に比べると所作にきびきびした印象が強くなってきた。鈴音ちゃんと並ぶとスポーツ好きって言われても違和感が無くなってきたかもしれない。その辺が魅力として皆に伝わっているのだろうか。


 問題のキスシーンでは、やっぱり相馬を真剣な目で見つめていた。


 ただ、その後の演出に驚いた。


 あれ? 腰や肩に手を回すのはやめた?

 その代わり、彼女の動きが愛らしくなっている。

 相馬に密着するわけではない。けれど、彼女が後ろ手に背筋を伸ばし、胸を張るとブレザーに隠しきれないそれが重心を前に寄せたように見え、相馬との距離を意識せざるを得なくなる。近い――そんな印象を観ている側に与える。


 僕としてはあのブレザーの中身を知っている分、触れられるよりは安心して見られた。


 皆川さんも得心している様子。

 渚が相談したのだろうか? それとも彼女が提案したの?


 渚は、僕がちゃんと彼女の演技を見ていたことに気付くと、周囲の視線を探ってからにこりと微笑んだ。



 ◇◇◇◇◇



「はぁ……」


 普段の彼からは想像もつかないような大きなため息をついたのは相馬。

 いつも周りに気を使っているからか、その周りの調子が下がるようなため息はついぞ見たことが無いその彼。文芸部の原稿を部長へ提出しに行った帰り、僕と二人だけの廊下での出来事だった。


「どうしたよ?」


 まあ、聞くしかないよなあ。聞いて欲しいんだろうなあ。


「鈴代さん、どう思う?」


「えっ、あっ、僕? どうって?」


 相馬の口から飛び出してきた思いがけない名前に動揺してしまった。


「昨日の演技で肩とか腰とかに手を回したらって話でやってみたんだけどさ、今日、彼女が皆川さんに変更して欲しいって頼んだみたいなんだ」


「あー、そんなことか」


 うっかり自分の気持ちを聞かれたのかと思ったのと、やっぱり渚からの希望があったんだと納得したような安心したような気持ちだったため、雑な返答になってしまった。


「そんなことじゃないよ瀬川……。俺、嫌われてるのかな?」


「どうだろ。鈴代さんは鈴音ちゃん以外とはだいたいちょっと距離置いてるでしょ? だから触られるの嫌がるのは仕方が無いんじゃないかな」


 適当な返事をしておいた。間違いなく僕が原因なのではあるけれど。


「キスシーンとかでもすっごい睨まれるんだよね。警戒されてる感じ」


 ああ、あれって睨んでたのか! 渚はかわいいから区別がつかなかった。

 えっ、じゃあ睨んでたのなら間違ってもキスされないようにってこと?

 ちょっとホッとしてしまった。


 ただ、相馬にはなんて言おう……。


「そりゃあファーストキスもまだとかだったら当たり前じゃない?」


「まだだと思う!? 彼女」


「いやその、喩えだから……」


 それっぽい理由を言ってみたら相馬が異様に食いついてきた。


「鈴代さん、二学期は文芸部にもあまり顔を出さなくなったしなあ」


「えっ、それって……」


 だめだこれ、相馬にはちゃんと渚との関係を話しておいた方がいい。



 ◇◇◇◇◇



 教室に帰った僕は、渚に相談のメッセージを送っておこうと思い、スマホをいじり始めた。ただ、一緒に戻った相馬は席に着かず、その足で鈴音ちゃんと話している渚の所へ向かってしまった。――ちょっといいかな――と声をかける相馬。教室の前の入り口から廊下に出て行った二人は小声で少し話をした後、戻ってくる。


 教室の前の入り口から戻ってくる渚。チラと僕の方を見た。


 相馬は教室の後ろの入り口から戻ってくる。

 振り返って見ると、相馬は意気消沈した顔で渚の席の列の一番後ろ、自分の席に座る。



 嫌な予感がした。


『相馬に僕たちのこと打ち明けてもいいかな?』


 入力しかけていたメッセージを送る。


『ごめん、後で話すね』


 それだけ帰ってきた。前の席の鈴音ちゃんに話しかけられてそれどころじゃなさそうなのもあった。



 ◇◇◇◇◇



 学校の帰りに喫茶店へ寄って渚から話を聞く。以前、デートの時に寄ったお店のひとつだった。


「ごめんね、相馬くんに話したいことがあるって言われちゃって」


 放課後の練習でも相馬は落ち込んだままだった。


「うん、僕もまさかそんな早く行動に移るとは思ってなかった。それで?」


「練習後に二人だけで話したいって言われたの」


 僕と今、ここに居ると言うことは断ったんだろうな。すまん相馬。


「――それで、いまお付き合いしてる人に悪いから無理って言っちゃった」


「そうか……。相馬だけには言っておいた方がいいな、やっぱり。いい?」


「太一くんがそう言うならいいよ、お友達だもんね」



 ◇◇◇◇◇



 翌日、学校へ行くと鈴音ちゃんが女子三人に囲まれていた。それ自体、別に珍しいことではないのだけれど、囲んでいる連中が恋愛話の好きな面子という点で違っていた。


「あたし知らないし! てゆーか、渚にもしつこく聞かないでよね」


 鈴音ちゃんが文句を言っていた。そしてタイミングの悪いことに渚が教室に入ってくる。


「あっ、鈴代ちゃんおはよ~。鈴代ちゃんの付き合ってるカレシって誰?」


「えっ!?」


 慌てる渚。僕もどうしてそんな話が広まっているのかわからない。相馬が話した!?


「昨日相馬がさあ、元気ないからって新崎たちが相馬を元気付ける会とか言ってカラオケ誘ったんだー。そこで夏乃子が鈴代ちゃんにカレシが居るから相馬フッたって聞いてさあ」

「ねね、どんな人? 気になる~。紹介して?」

「鈴代ちゃん最近綺麗になったよね? どこまで行ったの?」


「ちょっとやめろ! 渚にしつこくすんな!」――鈴音ちゃんが後ろから止めに行く。


 夏乃子ってのはあの三人の中の萌木 夏乃子もえぎ かのこだな。カラオケでの相馬の秘密の話をあとの二人に漏らしたのか。


 渚が困り果てていた。これ、僕が出て行くべきなのか?

 渚も下手にこっちを見られずにいた。


 そこにバッと渚の前に出てきたのが相馬だった。


「ちょっと鈴代さんが困ってるからやめなよ。ほら、散った散った」


「ええ~、何言ってんの。相馬だって気になるっしょー?」


 そう言いながら追い払われていく三人。


「ごめんね鈴代さん。昨日、カラオケに誘われてそこでしつこく聞かれて話しちゃったんだ」


「ううん、ありがと」


 いや渚、ありがとじゃないでしょ。相馬が話したのがそもそも悪いんだから。


 その日、渚はまた中学の時の友達に会うからというので僕は一人で帰った。



 ◇◇◇◇◇



 さらに翌日のお昼休み――。


「じゃーん。鈴代ちゃんのカレシ激写したよ~!」


「ええーっ!?」


 主にクラスの女の子たちが声を上げる。渚を見ると目を見開いていた。相馬も。

 スマホを掲げたあの三人組の一人、笹島 七虹香ささじま なじかの元へわっと人だかりができる。渚はと言うと呆然としていた。しかしいつ写真を撮られたのだろう? 昨日は渚とは一緒に居なかったのに。


「ちょっとちょっと、画像回して」


 そう言って皆で画像を回しあっている。さすがにSNSのコミュニティに流すまではしなかったようだけれど……。ただ、おかしなことに渚が注目されることはあれ、何故か僕には誰も注目しなかった。


「ちょ、田代、こっちにも画像回してくれる?」


「おう、ほら」


 そう言って回ってきた画像。場所は彼女の家の近くの駅みたい。写っていたのは渚と渚より少し背の高いくらいの黒のシャツに黒のパンツの男。ほっそりしていて明らかに僕ではなかった……。


「な? 居るって言ったろ。まあ残念だったな」


 田代が画像をまじまじと見る僕にそう話しかけてきた。

 念のため撮影日時を確認すると昨日の放課後だった。


「嘘でしょ……」


 渚を見ると、彼女も画像を受け取ったみたいで鈴音ちゃんとスマホを確認し、二人で何か話をしている。女の子たちから質問攻めにあい始めた渚は、やがて鈴音ちゃんと教室を出て行ってしまった。僕には一瞥もくれずに……。


「夏乃子が昨日、撮ったんだ」――笹島が自慢げに言う。


「やめなよ、こういうの。盗撮だよ? 鈴代さんが困ってたでしょ」


「そうね。みんな消しなさい。笹島さんも」


 相馬の言葉に委員長が同意して、画像の削除を促していた。笹島たちは逃げていたが。



 ペコ――スマホにメッセージが届く。

 僕はスマホをマナーモードにしてメッセージを開いた。


『あのね、その写真、中学の時の友達の女の子だから』


 えっ――僕は再び画像を確認する。髪型は男子としか思えない短さ。背はそれほど高くない。女子でもありうる高さ。シャツはゆったりしてるから体型が分からない。ただ、シャツそのものは男物に見える。パンツは靴がランニングシューズなのもあって男っぽく見えるけれど、腰? 渚の腰を見慣れてると確かに女性に見えなくもない。


『ほんとに?』


『本当だから。放課後に会わせるから信じて』



 ◇◇◇◇◇



 放課後、練習を抜けた渚は家まで直接来てとメッセージを送ってきていた。

 僕は気になって仕方が無かったが、普段が暇そうな帰宅部だったため練習を抜けるには言い訳が足りず、皆川たちに捕まっていた。


 ようやく解放された僕は彼女の家まで急いだ。

 チャイムを鳴らすと彼女が出てきて迎え入れてくれる。


「あの……太一くん。私のこと疑ってる?」


 玄関、涙目の渚はそう聞いて、下唇をぎゅっと噛んでいた。


「う、んん……そうだね。渚のことは信じてるけどちょっとショック。だから説明して欲しい」


「じゃあ、部屋にきて」


 渚が部屋まで先導して戸を開ける。

 すると、長い整った黒髪の女性が姿見の前に居た。


「みちかちゃん! 先にウィッグ着けてたらわかんないよ」


「えっ、けど着けるほうが面倒だぞ?」


 仁科 満夏にしな みちかと名乗ったその人物は、確かにあの写真の黒の上下を着ていた。正面から見ると女性にしか見えない。声――声変わりしていない男ならこんなもの? 女が声を低くしていたらこんなもの?? そしてウィッグを取ると、写真に写っていた短い髪が現れた。スマホの写真と見比べる。


「確かに写真の本人みたいだけど……ほんとにその……女の子?」


「あぁ? 疑ってんの? 見たらわかんでしょ童貞かよ」


 渚が顔を赤くしている。


「ちょっとそこ、座ってみ」


 僕はベッドに座らされる。するとその満夏と呼ばれた彼女(?)は、いきなり僕の右の太腿の上に跨ってきた!


「ちょ、ちょ! 何してるんすか!?」


「だぁいじょうぶ、大丈夫。あたし今、恋人居ないから」


 間違いなく満夏さんはだった。慌てた僕は彼女を退けようと両手を彼女に向けるが、どこに触れていいものか迷っていた。すると彼女はその両手に自分の両手を絡めてきた。


「手が骨っぽくて大きいね。渚もエッチで満足してるでしょ?」


 渚を見やると口を開いたまま固まっていた。


「渚ぁ、あたしにもこの彼、貸して貰っていい?」


 ハッっとなった渚は――。


「ダメダメダメダメダメ、太一くんは私のだから!」


 そう言いながら僕の左の太腿に跨ってきて両手を奪い返し、抱きついてきた。


「へぇ、あの渚がここまで男に執着するとは。――よいしょっと」


 満夏さんは立ち上がると、椅子に腰かけた。


「んふふ。久しぶりに頼ってきたかと思ったら、可愛くなっちゃって」


「ちょっと、みちかちゃん、余計なこと言わないでよ?」


 渚は膝から降りてベッドで隣に腰掛けると、彼女のことを話し始めた。


 満夏さんは渚の2コ上の幼馴染らしい。中学の時、特にお世話になったらしく、鈴音ちゃんも彼女のことは知っているらしい。今は劇団に所属しており、プロとして活動しているとか。それで今回も助言を貰っていたそうだ。ちなみに髪はウィッグを付けるのに面倒だからと卒業後に短くしてしまってる。なので、それを知ってる鈴音ちゃん以外にはあの写真からは満夏さんとはわからないと思うと。


「渚のことだから大丈夫だとは思ってはいたけれどさ、やっぱり驚いたよ」


「寝取られたかと思ったか童貞?」


「ちょっとだけ……」


「しょうがないにゃあ、お姉さんが慰めてやろうか? お姉さん上手だぞ?」


 満夏さんはウィッグを手に取るとそう言ってきた。

 プク――と渚が頬を膨らませている。


「渚が居るから間に合ってます」


 満夏さんはウィッグをつけるとガラッとイメージが変わる。すごい美人だけど、ウィッグが無いと口の悪さもあってボーイッシュというよりは悪ガキだった。


「男なら二股くらい面倒みられる甲斐性見せてもいいんだよ?」


「やですよ」


「うちの劇団なんてコロコロ相手変わるから二股だかどうなんだか既にわかんないからねえ。若い子もすぐ食われちゃうし、まあ、一人を大事にするってのも夢があっていいかもね」


「満夏さんだってまだ若いでしょ」


「そ。若いから持て余しちゃってんの。年上は嫌?」


「嫌とかじゃないですけど、渚を襲ったりしないなら」


「へぇ、そんなこと気にしてんだ? ――ないない。大事な妹分だから」


 ケラケラ笑う彼女。


「学校の友達にはなんて言う? まだ僕たちの関係は秘密のまま?」


「う……うん、できたらその方がいいかな……」


「何? まだ苦手なの?」


 満夏さんから意外な言葉が。


「何か理由があるんです?」


「この子ね、中学の時にあたしの取り巻きから嫌がらせされてさ、恋人とかそういうので揶揄われるの苦手なの。ま、あの頃恋人と思われてたのあたしなんだけどね」


「恋人では無かったんですよね?」


「あたし? ないない。だってこの子の恋人――」

「みちかちゃん!」


「渚の恋人が? 居たんですか?」


「居ないから! ほんとに!」

「まあ居ないね。少なくとも童貞くんが心配するような恋人は居なかったよ。それはホント」


「なんか……気になりますけど、渚を信用してますから」


「ごめんね。落ち着いたらまたちゃんと話すから」


「はぁ、いいねえ。若い子は。せっかくだしついでにちゃちゃっとエッチしちゃえば? お姉さんが観ててあげるし何なら手伝ってあげるー」


「「遠慮します!」」



 結局、クラスの皆は勘違いしてるからそのままあやふやにしておこうと言うことになった。相馬にも話すタイミングを失ってしまったし、あいつもあいつで押しに弱そうだから女子たちに話してしまいそうだったのもある。最悪、鈴音ちゃんに事実を言ってもらえば誤解も解けるだろう。


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