記憶に無い女性

三鹿ショート

記憶に無い女性

 頭痛を覚えながら目覚めると、私の隣で見知らぬ女性が眠っていた。

 私も彼女も一糸まとわぬ格好であることを考えると、そのような関係を持ったということになるだろう。

 だが、私にはその記憶が無い。

 行き付けの飲食店で酒を飲んだところまでは憶えている。

 そのとき、私は一人だったはずだ。

 それに加えて、私は記憶が無くなるほどに酒を多量に摂取するような愚かな真似をしたことは一度も無かった。

 しかし、何においても、初めてというものは存在する。

 記憶が無くなるまで酒を飲んだことは、今回が初めてであり、今回で終わりにしなければならない。

 だが、何よりも大きな問題は、彼女である。

 私が酒に酔った勢いで彼女に暴力的な行為を働いていたとすれば、訴えられたとしても仕方が無い。

 一刻も早く事情を知るべきなのだろうが、寝ている彼女を無理に起こすわけにもいかなかったため、私は彼女の寝顔を眺めながら珈琲を飲むことにした。

 やがて目覚めた彼女は、室内を見回した後、私の姿を確認すると、口元を緩めながら頭を下げた。

「昨日は、良い時間でした」

 その言葉と態度から察するに、どうやら私が乱暴を働いたわけではないらしい。

 安堵したものの、今度は私が彼女に向かって頭を下げた。

 酒に酔っていたために昨日のことを憶えていないと正直に告げると、彼女は着替えながら事情を説明してくれた。

 いわく、私が何杯目かの酒を飲んだところで店にやってきた彼女に声をかけ、話しているうちに意気投合し、その勢いで関係を持ったということだった。

 そのように説明されたが、記憶が蘇ることはない。

 しかし、勢いとはいえ関係を持った相手を蔑ろにするような真似をしたくはなかったため、私は彼女との親交を深めることに決めた。

 互いの出身や職業、趣味などを話していて分かったことだが、彼女に対する私の印象は、悪いものではなかった。

 これまでに知り合った女性とは異なり、同じような趣味を持ち、くだらない冗談を口にし、常に笑顔を浮かべる様に、私は心を奪われたのである。

 彼女の言葉通り、意気投合したことは間違っていなかったようだ。

 それから私たちは、酒を抜きに度々会うようになり、やがて正式に恋人関係に至った。


***


 彼女と交際を開始して数週間が経過した頃、私は行き付けの店に行き、顔なじみの従業員に彼女のことを話した。

 この店が存在していなければ彼女と出会うことはなかったと感謝の言葉を口にすると、従業員は複雑な表情を浮かべた。

 何故そのような顔をするのかと問うと、従業員はしばらく逡巡した後、口を開いた。

 いわく、彼女はこれまで何人もの男性と酒を飲んでは、酔い潰れた男性を連れて店を出たことがあるらしい。

 その中の一人が私であり、そして、彼女とのことを嬉しそうに語るのは、私が初めてだということだった。

 話を聞いたところ、私は彼女と意気投合していたような様子は無かったようだ。

 そもそも、近付いてきた彼女と酒を飲み始めた途端、私は突然酔い潰れてしまったということらしい。

 信じがたいことだが、当時も勤務していた従業員の言葉ならば、正しいのだろう。

 彼女との交流を私が憶えていなかった理由は、彼女が酒に何らかの薬を混入させた影響である可能性が高いのではないか。

 それまで彼女に対して抱いていた愛情は消失し、疑問や恐怖に私は支配された。

 私は彼女を店に呼び出し、事の子細を訊ねることに決めた。


***


 待ち構えていた私の表情が硬いことから状況を察したのだろう、彼女は浮かべていた笑みを消し、神妙な面持ちで私の隣に座った。

 私が彼女と知り合ったときの状況を改めて問うと、彼女は白状した。

 彼女は、愛されることを望んでいた。

 両親から愛情を注がれたわけではない上に、美しい容姿の持ち主ではないために他者から相手にされることもなかった彼女は、他者からの愛というものに飢えていた。

 ゆえに、酒に薬物を混入させ、記憶が無い相手に関係を持ったということを偽ることで、責任を負おうとするべく相手が交際を開始してくれることを期待していたらしい。

 だが、私と出会うまでの男性たちは一晩限りの相手には慣れていたため、彼女と交際を開始することはなかった。

 つまり、私は彼女と関係を持ったわけではなく、同時に、彼女がそのような方法で恋人を得ることができたのは、私が初めてだということだった。

 事情を聞いた私は、大きく息を吐いた。

 ばつが悪そうな様子の彼女に、私は告げた。

「そのような回りくどいことをせずとも、私はきみという人間を軽視することはなかった。何せ、きみはこれまで出会ってきたどの女性よりも、私にとっては気が置けない、良い人間であるからだ」

 私は他者の容姿にこだわるようなことはなく、人間性というものを重視している。

 だからこそ、彼女が正直に事情を話してくれたということは、私にとって意味のあることだった。

 私は彼女の手を握ると、

「私は、きみとの時間が楽しくて堪らない。きみが私に対する罪悪感からこの関係を終わりにしたいと望んだとしても、私はそれを望んでいないのだ。きみの正直な気持ちを聞かせてほしい」

 私の言葉に、彼女は顔を赤らめながら、

「私にとっても、あなたとの時間は良いものでした。今後は、あなたを騙してしまったことを反省する日々を送るつもりですが、それでもあなたが私との関係を続けてくれるのならば、私も、その未来を選択したいのです」

「つまり、我々の意見は一致しているというわけだ」

 私が笑みを浮かべると、彼女もまた、つられるようにして笑った。

「では、今日から改めて、交際を開始するとしよう。祝いの酒を飲みたいところだが、せっかくの楽しい時間を忘れてしまうことは避けたいゆえに、酒以外の飲み物を注文することにしよう」

 私がそう告げると、彼女は唇を尖らせた。

「意地の悪い人ですね」

「きみよりは良いと思うが」

 我々は、同時に吹き出した。

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記憶に無い女性 三鹿ショート @mijikashort

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