第6話 努力は無駄なのか

 2022年夏頃から、ネットかいわいでAI絵が流行り出した。それはコンピュータの画像生成機能であり、描きたいキーワードを入力欄に打ち込むだけで、人工知能(AI)が画像を生成してくれる、という画期的な技術である。AI技術の登場は多くの現役の絵描きにとって、自身の存在価値を見直したくなるほどの大事件だったかもしれない。

 近頃は生徒の提出作品に、AI画像が混ざるようになってきた。私は現時点、AI画像の提出物を禁止している。絵を習得するには相当な年月を要する。絵心の無い人がAI活用によって、ハイレベルな絵を量産し人気を得ている脇で、地道に基礎画力を磨いている画学生の心境はいかばかりだろうか。焦燥感か、徒労感か。

 絵に限らず、学校で課される論文をAIに出力させる学生がいるとも聞く。求めればたやすく完成物が手に入る。手段を選ばなければだが。今の若者は、努力は無駄、結果さえ出せれば良いと、常に耳元で甘言を囁かれている状況なのだろうか。これでは「自身の価値」を見いだしにくいのかもしれないと、私は案じるようになった。

 実質、努力は無駄なのだろうか?私は違うとハッキリ主張したい。なぜなら、努力は現実と自身のギャップを埋める機会であり、自己実現のための土台作りでもあるからだ。自己の深い面と向き合い「これが私だ」と言いきる自己証明は、自分にしかできないことである。

 作品というものは、「私はこれを成しえるだけの人材だ」という自己証明に他ならない。AIで絵を描いた、論文を書いた。それはAIにやって貰ったことであって本人の能力とは認められがたい。

 努力して得られるものには社会的な発言力や信頼性がある。

 私が絵を趣味の範ちゅうに留まらせず、プロを志したのは、自身の声を世に届けたいという切実な願望からだった。今となっては、自身の経験から、「努力は無駄じゃない」と断言できる。成功でも失敗でも得るものはある。やったという経験がその人の内面を確かなものにしていくのだと。

 学問やスポーツ、芸事その他、若者たちには何でもいいから打ち込んだ方が良いと伝えたい。長い人生の上で、自分の意思や主張を通さねばならない局面があるはずだから。

 ただ一方で、一度きりの青春なんだから、努力もしつつ悔いなく大いに楽しむこともおすすめしたい。


沖縄タイムス「唐獅子」2023年9月13日掲載

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