第3話 学びは人生の糧

 私の画道は基本独学で、物心ついた頃から独りで黙々と描いていた。高校まで美術部は無かったし、予備校やお稽古教室とも無縁で、学びたくても学ぶ機会に恵まれなかった。進学は家計に負担のかからない方向で、県内の国立大の美術とは無関係の学部へ入った。

 そんな独学の私が20代後半からプロを志し実践したのは、描く仕事で技法を学び、腕を磨くことだった。正直、学校よりも現場で鍛えていった方が、効率よく習得できると実感している。注文を貰い、依頼者から要望や忌憚のない指摘に対応しながら執筆し、納品する。それを積み重ねて何年か経ち、美術系専門学校の講師を兼業するようになった。

 専門学校は受験が無いので生徒の画力も画風も実に様々。講師になりたての頃は、その多様さにどう教えたら良いのかと途方に暮れたものだ。リアル系、デフォルメ系、男性向け、女性向け…私自身が好む画風以外の魅力もさっぱり分からなかった。そこで私は色んな画風の注文を引き受けて、理解に努めていった。教えることは学びそのものだった。

 専門学生の中で画業を本業にできるのは、2割弱だろうか。とすると、残る殆どの学生にとっての学業経験は無駄だったのだろうか?

 「身にならないお稽古事や、役に立たない学歴は無駄」という合理主義的な主張を見受けることがある。私自身も若い頃はそう思っていたふしがあったが、今はそうでもないと考えを改めている。学んだ事が生業になるのは勿論素晴らしい。しかし、何かを学ぶという行動から、学ぶ過程で様々な気付き(ネガティブな感情も含めて)や、心を豊かにしてくれる素晴らしい人との縁を得ることができる。年齢を重ねてみて、これが後々の人生に大きく響いてくると実感するようになってきた。

 学ぶことは無駄ではないし、学歴もあるに越したことはない。私は幼い頃から学び事をしたかったと惜しむ一方で、何歳から始めても良いとも思っている。若者たちには何を志して学んでも、後悔することはないと伝えていきたい。

 ちなみに、専門学校の学費は2年間で200万以上かかる。奨学金を借りて通ったり、学費が尽きて退学した学生もしばしば見かける。国公立大学には授業料を払うのが困難な学生向けの授業料免除制度があり、私自身もありがたくお世話になった。この制度はそれほど審査が厳しくないので、今後進学を志望する方とその保護者の方は、将来の選択肢に入れてみてはいかがだろうか。


沖縄タイムス「唐獅子」 2023年8月2日掲載

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