遠い呼び声

シンカー・ワン

慟哭

 は深い深い海の底にいた。

 いつからいたのかは自体も覚えてはいない。

 長い長い時間を過ごしていたことだけはわかっている。

 かつては仲間がたくさんいたが、今はもういない。自分だけ。

 このまま海の底で朽ちるのもよいと思っていた。

 静かに静かに、この海の底で生を終えよう。仲間の元へ逝こう。

 光も届かない深い海の底で横たわるの耳が聞こえるはずのない音を拾う。

 聞こえてきたのは懐かしい仲間の声。

 はるか昔に皆いなくなったはず、なのに聞こえる仲間たちと同じ声。

 自分を呼ぶ声には動き出す。

 衰え弱り切った体で声のする方、海の上へと向かうのだった。


 その夜も海は深い霧に覆われ、先の見えぬ海へ出るのは危険と漁師は漁に出るのを諦める。

 霧の夜が続きもう何日も漁に出れていない。

 仲間たちは街へ遊びに繰り出していくが、漁師はひとり残り霧の海を眺めていた。

 入り江の先にある灯台が光を灯しているが、霧のベールに阻まれ遠くへは届かない。

 それでも沖を往く船へ注意を促すため霧笛を鳴らす。

 霧に包まれた海に向かって毎夜毎夜……。


 長い時間をかけは海面へ浮上する。

 周りは深い霧に覆われていたが、聞こえる仲間の呼ぶ声が。

 声のする方へとは進む。

 浅瀬になり泳ぐことは叶わず衰えた四肢で這いながらも進む。

 ただただ仲間の声がする方へ。

 分厚い霧の向こうに立つ白い影が浮かぶ。光を放つ頭頂から響く声。

 懐かしさと愛おしさからは白い影を抱擁する。

 抱きしめた硬い肌はポロポロと崩れ、頭頂の輝きが消え声が途絶えた。

 

 霧の海を眺めていた漁師は異常に気付く。

 沖から大きなが灯台へと向かっていたのだ。

 灯台の近くで沖から来たが立ち上がる。

 投光器に照らされたを見た漁師は、自身の正気を疑った。

 白い灯台を愛おしそうな表情を浮かべていだこうとする少女の姿に。

 巨大な少女のかいなに包まれた灯台はあっけなく倒壊し、光を失う。

 漁師は聞いた、霧笛によく似た音を。長く尾を引く悲しげな声を。

 声が途絶えると霧の中を沖へ向かって波を割っていく音がして、やがて聞こえなくなった。

 

 は慟哭する。

 やっと会えた仲間の命を自らが絶ってしまったことに。

 頭頂の輝きは失われ、声はもうしない。白い体はバラバラになった。

 もう話しかけてはこない。

 ここにいる、ここにいると呼んでいた声はもうしない。自分が奪ってしまった。

 帰ろう、深い海の底へ。そして仲間の元へ逝く時を待とう。

 絶望し哭き声も枯れたは静かに元居た世界へと帰って行った。


 夜が明け、霧も晴れた。

 灯台が倒壊したことは大騒ぎなったが老朽化で落着。

 一部始終を知る漁師は黙して語らず、海はただ静かに波打つだけ。

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