模範解答と採点基準
「やっと揃ったな」
待ち合わせの喫茶店に遅れて入ってきた響子と晶を座らせて、凛太郎が言った。榛菜とさくらは黙っている。出されたココアも紅茶もまったく手がつけられていない。冷めきっているか、氷が溶けて薄くなっている。
響子と凛太郎はすでに話を聞いているらしく、二人とも視線を落とした暗い表情をしている。さくらは
こんなときこそ雰囲気の読めない自分の出番のはずだと晶もわかってはいるものの、声が出ない。まるで真実を語る責任が全て自分にのしかかっていて、口にすることで関係する全てが壊れてしまうような気がしていた。
凛太郎が無言で、励ますように彼の肩に手を置く。こいつはどうしてこう、やたらと大人びているのだろう、と晶は思った。よく彼を人生2周目だなどと
これから、これまでの十二年間が崩れていく。それを見届ける。
晶はようやく口を開いた。
「白崎さん、山岸さん、待たせてすまない。これから容疑者の名前を言うけれど、まず、結局は犯人かどうかの証拠があるわけじゃないことはわかってほしい。そして明日以降、もしその人物に会うことがあっても、絶対に、今まで通りに接することを約束してほしい」
「できないなら言えない」と凛太郎が付け加えた。
榛菜とさくらは黙っていた。さくらはまだ顔を上げられない。言葉を無くしたかのようにさえ見える。しかし、手を握っている榛菜には、さくらが小さく頷くのがわかった。榛菜は、さくらの代わりに答えた。
「わかった」
晶は榛菜の顔をじっと見た。さくらに視線を移したが、まだ彼女は顔を上げない。晶は凛太郎を横目で見た。凛太郎が頷く。ついに晶は口を開いた。
「現在の吹奏楽部顧問。中村
空気がさらに重くなり、まるで時間が止まったかのように感じた。榛菜は、その名前が自分の鼓膜を刺激して脳まで届き、誰を指し示しているのかを理解したにもかかわらず、それでも分からない気がした。
最初に反応したのは響子だった。すでに名前を聞いていたはずだった。それでも信じられなかったのだ。顔を両手で隠し、嗚咽を噛み殺しているが、漏れ出る呼吸の音と、両手から溢れる雫は隠せなかった。
「どうして」榛菜はやっと、声を出した。
凛太郎はそれをさくらの言葉だと解釈した。晶が口を開こうとするのを止め、静かに、なるべく優しく聞こえるように言う。
「さくらちゃん、先に言っておく。きみがまだ物心つかない頃の話だから、まったく責任など感じる必要はないし、犯罪を行なった者にその全ての責任があることをどうか理解した上で聞いてほしい」
晶を見て頷いた。頷き返した晶が話し始める。
「知世さんは妊娠してなかった。
彼女の母親は、時々友人の子供を預かることがあった。赤ちゃんと幼児の境くらいになるのか、その子供は知世さんの母親を『ママ』と呼んでいて、まるで本当の妹ができたようだと彼女も喜んでいた。その子は、仲良くなった女性をママと呼ぶ癖があった。一緒に遊んであげているうちに、彼女もやっと『ママ』と呼んでもらえるようになった。嬉しくなった知世さんは、友達に報告した。『わたしもとうとうお母さんになった』と」
榛菜は今日の花田家での会話を思い出した。
「そういうこと……」
つぶやいた榛菜の声で、響子は声を漏らす。「ごめんなさい」。
晶は続ける。
「家斉先生の直感は正しかった。冗談だったんだよ。たぶん、言葉そのものも正しく先生が言った通りだったんだろう。『わたしもとうとうお母さんになった』。そう、山岸さんにママと呼ばれたことを、彼女は喜んでいたんだ。もちろん『父親』なんていないから「相手は知らない、分からない」と答えても不思議じゃない。
彼女は妊娠していない。当然、男性とそのような関係にもなってない。だから、男性であれば女子中学生を妊娠させたことを隠蔽したりはしないし、勘違いもしない。
でも、家斉先生や山岸さんと同じように考えた人がいた」
響子の小さな泣き声が静かに響く。喫茶店のBGMなど、まったく耳に入らない。駅近くのチェーンの広い喫茶店で、周りに人がいないのが救いだった。
「今日、凛太郎が西園さんに会って、話を聞いてきてくれた。彼は教師という立場であったが、知世さんの好意を断りきれず、二人きりの時は名前で呼び合う仲になったそうだ。おそらく、穏便な形で彼女の好意に答えたかったのだろう。冗談も言い合った。音楽の話もした。ユーフォニアムという高価な私物の楽器を貸したのもその表れなのかも知れない。
ところが、思わぬ事態になった。西園さんの婚約者がその様子を見て、教え子と浮気をしていると勘違いしてしまった。しかも、その女の子が自分は母親になったと言っている」
晶はさくらに視線を移した。頬が濡れているのを見て、すぐに視線をコーヒーカップに移した。どうか、どうか物心つかない自分が原因になったんだなんて考えないでほしい。
「とても不幸なすれ違いがあった。
婚約者からすれば、
『婚約相手が教え子と浮気している』
『その相手の女の子が妊娠を疑わせる発言をしている』
『明るみに出れば教員として致命的で結婚の話もあやしくなる』
とんでもないことだ。すぐにこんな関係は解消して、妊娠についてもなんとか解決しなくてはならない。婚約者は西園さんを責めたが、彼は否定する。当然だ、肉体関係などないのだから。しかし、婚約者はそれを信じられない」
晶は視線をカップから外せない。さくらは、泣いているだろうか。怒っているだろうか。
「女性だからこそ、花田さんが妊娠したと思い込んだ。僕は勘違いしていた。『動機があり』、『現場にいて』、『マウスピースを手に入れることもできた』のは、なにも男だけじゃなかった」
榛菜が息を飲む声が聞こえた。
「当時の教員名簿に西園先生と同じ住所が記載されている人がいた。同じ『な行』でたまたま名前が隣だったので、最初は誤植かと勘違いしてしまった。
彼女の名前は中村佳美。現在の音楽担当、吹奏楽部顧問、かつて西園先生と同棲していた婚約者。事件が発生した時、家斉先生と一緒に、花田さんの死体を発見した人物だ」
響子の泣く声は、もう隠すことはできなかった。彼女は友達を殺した犯人と一緒に現場にいたのだ。
晶は、さくらを見た。泣いている。それでも目を開いて、涙を流すままに晶を見ていた。榛菜はまだ堪えている。強くさくらの手を握っている。
晶ももう、はっきりとさくらと榛菜に視線を合わせた。
「時系列で伝える。大まかにはあっているはずだが、細かいことは適当に補足した。西園さんと喧嘩した後からのことだ。
中村は西園さんを説得できないと考え、直接知世さんと話をしようとした。
当然、彼女は否定する。妊娠もしてないし、付き合ってもいない。しかし中村は信じることができない。
説得できなかったと考えた中村は焦った。時間が経てば堕胎もできなくなり、いよいよ西園さんとの関係が危うくなる。もう名簿にも同じ住所で登録して、教員の間では婚約をしていることまで知られている。あらためて人がいないところで知世さんと二人きりで話をしたい。おりよく夏休みになり、生徒も教員も少なくなった。教室棟は1階の職員室前や生徒昇降口以外はほぼ無人。このタイミングで知世さんを説得しなければならない。
彼女と二人きりになるための口実として、『マウスピースを教室に忘れているから取りに行こう』と伝えた。
知世さんは、自分のマウスピースがなくなっていることに気付いていた。
その日に彼女が練習で使用したものが西園さんのものか中村のものかはわからないが、西園さんは覚えがないとのことだ。おそらく中村が用意して入れ替えたものだったのだろう。そのこと自体をメッセージと捉えていたのかも知れない。知世さんはやむなく応じることにした。
そして、生徒昇降口で家斉先生に言ったんだ。
『マウスピースを教室に忘れているらしいから取りに行く』と。
知世さんは知っていた。マウスピースを忘れるわけがない。教室にそんなものがあるわけない。だって昨日まで自分が使っていたんだから。自分が夏休みに教室に行くことなんてないんだから。やれやれ、中村先生がいうことには『マウスピースを忘れている』らしいから、取りに行く。例の話だろうから、響子ちゃんを連れていくわけにもいかない。ユーフォもここに置いていたり職員室に預けたりしたら、あのしつこい中村先生が何をするかわかったものじゃないから、重たいけど持っていく」
コーヒーを飲んだ。すっかり喉が渇いていた。
「実際にどうなったのかはわからない。揉み合いになって知世さんが階段で転んだのか。それとも、突き落とされたのか。ケースを背中から下ろしていたのだから、ユーフォの取り合いにでもなったのかも知れない。西園さんの大事な楽器を壊してしまえば二人の関係も壊れるなんて単純な発想だったのかもしれないし、婚約者の楽器を持っているのが許せないなんて嫉妬だったのかも知れない。いわゆる痴情のもつれだよ。以前、白崎さんに言ったような気がする。推測しやすい動機っていうのはそういうものだと」
「まあ、もつれているのは中村だけだったけどな。他は誰も悪くない。家斉先生も、西園さんも、さくらちゃんも、もちろん、知世さんも」
「そう。一方的に思い込んでしまった。愛する婚約者を信じるだけで避けられたのに。可愛い教え子の言うことをちゃんと聞くだけで良かったのに。この悲劇を防ぐチャンスはあったんだ。
おそらく計画的な殺人ではなかった。楽器を奪うか壊すか、あわよくば階段で怪我をさせて、流産させたかったか。しかし殺してしまった。もちろん準備なんてしてないから死体を隠すことなんてできない。だから事故に見せかけようとした」
晶は懐から何かを取り出した。
「今日、凛太郎と実験してきた。このマウスピースを使って」
潰れたマウスピースだった。凛太郎が三王丸中学校へ向かう途中に買ってきた市販のものだ。
「ずっと気になっていたんだ。家斉先生は『大きな音』を聞いたらしいが、『大きな音』とはどんな音だろう、と。僕も知らないが、人が落ちた時にそんなに大きな音がするのだろうか。中身が詰まった重いものを地面に落としたところで、ドスンといった低くて重たい音がするだけなのではないだろうか。ラバー製の敷物がされた階段の踊り場ではなおさらそうなのでは?
だから、僕はユーフォニアムがその『大きな音』を出したのではないかと考えた。だけど実際のユーフォニアムには大きな傷も凹みもない。別の何かが音を出したんだ。中村のアリバイを証明する、『大きな音』を。
今日、知世さんの家で潰れたマウスピースを見つけた。これと同じようにひしゃげていた。おそらくそれが、本来の知世さんのマウスピースだ。
時間差で大きな音を出すトリックはそんなに難しくない。以前のトイレの事件で調べた通り、2階と3階の階段近くのトイレは『みんなのトイレ』で、ドアはスムーズに開閉し、段差をなくすために吊り下げ式のスライドドアになっている。本来は静かに動作するが、吊り下げ式なので、風に煽られたりすると壁に当たって『大きな音』がする。これを利用した。
マウスピースをドアと壁の隙間に差し込む。その際、マウスピースには紐状のものを結びつけて、時間差で巻き取るような仕掛けを施す。僕らはトイレ掃除道具にあったホースにマウスピースをきつく嵌め込んで実験した。マウスピースの穴にはトイレットペーパーを固く詰め込んで、ドアと壁の隙間に差し込む。そのままホースに水を流すと、水圧でマウスピースが押し出されるまで少し時間がかかる。押し出されるとマウスピースが飛んで、支えを失ったドアが壁にぶつかって『大きな音』を出す。10回やって、3回そうなった。6回は水で膨れたホースが暴れたせいで、マウスピースが押し出される前に『大きな音』が出た。10回目は、ホースと蛇口との繋ぎ目が壊れて実験の継続ができなくなった。が、ひとまずは十分な成果だろう」
一気に喋った。正直、トリックなどどうでも良かった。時間差トリックなど、適当な道具があればどうとでもできる。念の為、現場で使えそうなもので確認を取ったにすぎない。
「トリックを思いつき、実行して、職員室に戻った。あとは音が聞こえるのを待って、他の職員か生徒でも誘って確認に行けば良かった。ところが、友達の戻りが遅いのを心配した家斉先生が職員室の前を通って教室に向かおうとしている。まだ音がしていない。アリバイを作れない。慌てて廊下で家斉先生を呼び止め、何やら適当に会話をした。その時、やっと『大きな音』がした。
二人は踊り場で、知世さんを発見した」
——『犯人を見つけ出せ』採点基準——
花田知世が妊娠していなかったことに気付いた(配点10)
□幼いさくらが知世を「ママ」と呼んだことに気付いた。
□知世の行動から、妊娠していないことを推測した。
——例として「階段は妊婦にとって危険なので、視界を
以上を一つでも満たしていれば加点
犯人が中村であると気付いた(配点10)
□中村が犯行可能であると気付いた(この設問においては具体的な理由は問わない)。
特別加点対象:
中村の犯行可能性を見抜いた(配点20)
□「参考資料 なぜ彼女なのか」において、『家斉先生も事故の時に近くにいた』という言葉に違和感を持ち、中村自身が現場にいたことを推測した。
□事件当時の職員名簿「な行」で中村と西園が隣り合って記載されており、同一住所になっている(同棲している)ことに気付いた。
□「犯人を見つけ出せ②」において、犯人が男性とは限らないことに気付いた。
□「参考資料 なぜ彼女なのか」において、事件当時に音楽教師であり、吹奏楽部の手伝いをしていたため、犯行可能であったことに気付いた。
□時間差トリックを何らかの形で説明した(具体的な方法は問わない)。
以上を2つ満たしていれば加点
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