犯人を見つけ出せ②
晶との待ち合わせは三王丸中学校だった。花田家はさくらの家よりも中学校にほど近く、さくらと榛菜の話題に付いていけない晶が困り顔をしている間に到着してしまった。
花田家は書道の個人教室をしている。あまり商売に熱心と言うわけではなく、週に3日ほどを自宅での稽古に充てているらしい。榛菜はあんまり書道に興味もなかったが、今日はさくらの紹介で晶と一緒に書道の話を聞くということになっている。
「私、習字の話を振られたら困るんだけど……」
「その時はわたしが助け舟を出すから大丈夫だよ」
古い日本家屋で、あんまり人が出入りしているような印象はない。ただ塀には「花田書道教室」の看板があり、授業の時間などが併記されている。師範・花田律。榛菜は名前だけで気圧されそうだ。
「小さい時はここの庭とか居間で遊んでもらってたらしいんだけど、あんまり覚えてないんだ」
榛菜はさくらから、彼女の姉の話を聞いていた。12歳年上で、近所のお姉さん。正直なところ、記憶にほとんど残っていない上に血も繋がっていない姉のために、わざわざ幽霊を演じることができるものだろうか?
昨日は一晩考えて、こういうことなのかな、と思いを巡らせた。もし生きていたら、家斉先生と同じ歳。榛菜も響子が姉だったら、なんて考えていた。榛菜もさくらも一人っ子だった。さくらも姉が欲しかったのではないだろうか。そして、本当は自分にそんな姉がいたはずだった。その姉がどんな理由かもわからないまま亡くなり、あいかわらず自分は一人っ子で、第二のお母さんと慕っている人が深く悲しんでいる。生徒にはお姉さん扱いされている家斉先生が、なぜか自分の姉については冷たい反応だった。
きっと、さくらは短い期間で喪失を重ねてしまったんだろう。失った姉と、母の悲しみと、先生の薄情に思える態度がさくらを行動に駆り立てた。
榛菜が先生を守るために学校に残ったのと似たような気持ちだったのだ。それなら友達として是非とも彼女に協力しなければならない。昨晩はそのように決意して、布団に入ったのだった。
とは言え、やっぱり知らない人の家に入るのはなかなか勇気がいるし、今朝のメッセージを見るまでは書道をするなんて考えてもなかったので、少しばかり緊張する。
「こんにちわ」
さくらは慣れた様子で玄関に入っていく。
「あら、さくらちゃんいらっしゃい。そちらのお二人がお友達?」
出てきたのは、人の良さそうな女性だった。にっこりと愛想が良い。さくらの話に引っ張られて悲壮な雰囲気の女性を勝手に想像していた榛菜は面食らった。
「はい。白崎榛菜ちゃんと灰野晶くんです」
「いらっしゃい。今日は書道の体験教室へようこそ」
にこやかに姿勢の良いお辞儀をされた。榛菜は慌てて挨拶する。
「白崎榛菜です。よろしくお願いします」
「灰野晶です。今日はよろしくお願いします」
「ご丁寧にどうも。でも、今日は気楽にしてね。書道って堅苦しいイメージがあるかも知れないけど、やってみたらお絵描きみたいに楽しめると思うから。好きな絵を描くように、気楽にね。じゃあこちらへどうぞ」
玄関を抜けて、居間の先にあるお座敷へ通される。
「花田おばさん、わたしはお姉ちゃんに挨拶して来ていい?」
「喜んでくれるわ、お願い」
「そうだ、晶くん」さくらが晶に声をかけた。予定通りだ。
「晶くんは、ユーフォニアムに興味あるって言ってなかった?」
「ああ。一度見てみたいと思ってた」
さくらは頷き、少し息を吸って言う。
「お姉ちゃんのユーフォなんだけど、晶くんに見せてもいいですか?」
「もちろん。でも置いてるだけだから、音が出るかはわからないよ」
花田律は人の良さそうな声で返した。
「どんなものか見れるだけでも嬉しいです。有難うございます」
律は笑顔で以って晶に答えて、
「それじゃ、榛菜ちゃんはこっちで待ってる?」と座布団をすすめる。座卓には茶菓子が用意してあった。
「はい!」明るく元気に返事した。榛菜は注意を引いて時間を稼ぐ役目である。役割をもらったのは嬉しいが、嘘をついたり演技をしたりするのは正直得意ではない。
「うう……早く戻ってきて……」というのが本音だが、せっかく貰った仕事なので頑張らねばならない。
さくらの案内でお座敷から居間へ戻った。さらに廊下を進んだところが仏間だった。
「こちらがお姉ちゃん」
さくらが示したところに、にこやかなに笑う少女の写真がある。肩まで伸ばした髪に、柔らかくて幼さを感じさせる笑顔。くせなのか、すこし顔を右に傾けている。彼女が亡くなった花田知世。写真を見る限り、とてもこの少女に死の影は見えない。この写真が仏壇になければ良かったのにと晶は思う。本来ならこの写真は、高校卒業や大学の入学式の写真と一緒にもっと明るい場所に置かれるはずだったのだ。そして晶が思う以上に、先ほどの優しげな女性はこの写真を見るたびに悲しむのだろう。胸がちくりと痛んだ。
さくらに視線を戻して、素直な感想を言った。
「確かに、どことなく似ている気がする」
笑顔や全体的な印象がさくらに似ているようだ。
「花ちゃんにも言われたよ」
「本人の前では花田おばさんなんだね」
「まぁ、中学生だし」気持ち胸を張っているようだ。
勝手知ったる場所のためか、今までで一番リラックスしているように見える。幽霊に化けたりしているが、本来はこれくらいおっとりとした性格なのだろうなと晶は思った。
「これか……」仏壇のとなりに置かれている、金色の大きな楽器を見た。これが
手に持ってみた。確かに重い。晶にはユーフォニアムを使う上でどの部分がどの程度手に触れるのか、耐久性がどの程度なのかは全く見当がつかない。ボタンなどの可動部分は見ている限りでは異常はなく、正常に動作するようだ。外部に凹みや大きな傷もない。軽く叩いてみると、反響音が少しした。
マウスピースはついている。さくらに聞きながら取り外してみたが、不自然な緩みも歪みもない。
ケースの中に、もう一つマウスピースが入っていた。
意外だった。マウスピースは本体に付いている一つだけだと考えていた。見た目は明らかに違う。ケースの中にあった方は、何か圧がかかったのか少しひしゃげている。本体に取り付けようとすると、干渉があって
ルーペを取り出し、光の角度を変えながら観察する。
細かい傷がたくさんある。本体についていた方のマウスピースは、嵌める際につくと思われる縦方向の浅い傷だけだ。こちらは長く使った際の浅い傷というよりは、少し深い傷が入っている。まるでどこかで落としたり、引っ掻いたような。ケースの裏側を見る。大部分は起毛材で、ファスナー部分にあたらない限り傷はつきそうにない。
「ありがとう」
「もう大丈夫? まだ榛菜ちゃんが時間稼いでくれてるみたいだけど」
「ああ。でも、せっかくだから、お姉さんに挨拶させてもらおう」
晶はあまり作法には詳しくない。さくらに教えてもらいながら
「そうそう、そうなのよ!」
襖を隔てた先で、榛菜と律の会話が聞こえる。案外2人の話が盛り上がっているようだ。榛菜はさくらの小さい頃の話を聞いているらしい。
「へー! さくらちゃん可愛いー!」
「どういうわけか男の人と女の人が区別できるのね。あの頃のさくらちゃんは、遊んで仲良くなった女の人は、みんなママって呼んじゃうの! 私もさくらちゃんに『ママ、ママ』って呼ばれて、嬉しかったわ」それから可笑しそうに笑って、「男の子はね、仲良くなってもパパじゃなくてなぜかバンバ」
「ば、ばんば?」
「
さくらは少し困った顔で、晶を見る。
「あの話、今でもよく言われるんだよ。ちょっと恥ずかしい」
晶の様子がおかしい。
目を大きく開けて、息を飲んだまま、呼吸をしていないようだ。まるで雷にでも打たれたように動かないと思っていると、合わせていた手を崩して、腕を組み、右手で口を隠した。微かに手が震えている。
「晶くん?」
「今の話」さくらを振り返る。
「今の……わたしが赤ちゃんの頃の話?」
「ああ。わかった」
「え? わかったって……何が?」
「僕は……。くそっ」
「どうしたの?」
「白崎さんのお手柄だ」立ち上がって、そのまま玄関に向かった。
慌てて追ってくるさくらに言う。
「山岸さん、詳細は後で話す。花田さんを混乱させたくない。僕は学校へ行く。凛太郎も来ているはずだ。あとで落ち合おう」お座敷に向かって、「すいません、急用を思い出しました」
「え? う、うん」
さくらは晶の様子に戸惑っている。何事かと廊下に顔を出した榛菜と律も目をぱちくりしている。しかしもう、そんなことには構っていられない。どうせ気遣いなど出来ない質だ。遅れを取り戻さねば。検証せねば。
「くそっ何が科学者だ、探偵だ……前提を間違えるなんて」
駆けながら、晶は呟いた。
——————
「晶くん、先に帰るなんて狡くない?」
学校で晶に会った榛菜はまず愚痴が出た。すっかり『晶くん』が板についてきた。『灰野』よりは確かに呼びやすい。
人目につかない場所へ2人を誘導して、晶が言った。
「すまない。知世さんと一緒にいた誰かがわかったものだから、つい」
「「……え?」」
「さっき、家斉先生に確認をとった。凛太郎が聞いてきた話と照らし合わせて、最も有力だと思える容疑者を見つけた」
「……」
「花田さんのところでは、内容が内容なだけに話せなかったし、僕もうろ覚えだったからどうしても確認しないといけなかったんだ。あと、凛太郎にはいま、実験に必要なものを用意してもらっている。結果が出たら話す。特に山岸さん、思わせぶりなことを言ってやきもきさせていたら申し訳ない」
「そんなこと! 実験なんて、もう、どうでもいいよ!」
どこまでも響き渡りそうな叫び声だった。
「誰なの!?」
隣の榛菜が驚いて見ると、さくらははっきり動揺している。唇を固く結んでいる。
「何度も恐縮だが、すまない、場所を変えないと、ここでは話せない。今日は家斉先生も早上がりしてくれるそうだから、駅近くの喫茶店で落ち合おう。さきに行って待っててくれ」
「どうしていま教えてくれないの!」
「君が落ち着いてないからだ。犯人は今も学校にいる。
手を固く握り、振るわせ、涙を堪え、下を向いて晶から顔を隠した。彼女は怒っている。きっと彼女自身にも整理しきれない多くのものに怒りを覚えているのだ、と榛菜は感じた。犯人と、教えてくれない晶と、無力な自分と、知世が放置された10年間と、そんなどうしようもない事全てが彼女を取り囲んでいる。
榛菜はそっとさくらを抱きしめた。さくらの震えている小さな体を、彼女は守りたかった。晶が離れた後も、しばらく2人はそうしていた。
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