誰が彼女を恐れるのか 答えなさい

 晶の話は終わった。


 榛菜は、口に出す言葉を選べなかった。


 さくらも一言も話さない。涙を隠さずに、それでも気丈に顔を上げている。


「ごめんなさい」響子が罪悪感と共に嗚咽と言葉を絞り出す。彼女の勘違いが引き起こしたことに、彼女は気付いてしまったのだ。


「山岸さん、中村は最初、『家斉先生が事故だと知っているから、家斉先生に聞け』と言っていたそうだね。奴は家斉先生をアリバイ作りに利用した。家斉先生が悪いわけじゃない。彼女も被害者だ」


「ごめんなさい」それでも響子は、そう言うしかなかった。娘を失った母親の傷を広げた10年間。友人を幽霊にしてしまった10年間。後悔しても取り返しがつかない。


 凛太郎が晶の話を引き継ぎ、言う。


「最初にした約束、守ってもらう」


 榛菜とさくらに向けた言葉だ。こんな話を聞いて、今まで通りに過ごせだって?


「できるわけない」榛菜が強い口調で答える。


「それでも守ってもらう。俺たちには証拠がない。警察に突き出せない。もし喋ったら、今度は君たちが危険かもしれないんだ」


「こんなに、ここまでわかってるのに何もできないっていうの?」


「そうだ。何もできない」晶が答えた。

「証拠がない。証明ができない。僕もこれが真実だと思っているが、結局は推測や推理だ。『たまたま知世さんが変な転び方をしてしまった』そう言われるだけで潰されてしまう、とても弱い真実なんだよ。客観的に証明ができない以上、罪に問うことはできない。警察や司法は冤罪の黒い歴史がある。科学史を紐解いても、偶然や思い込みが真理を隠す。万が一、僕の勘違いや思い込みであれば、不幸な人が増えるだけだ」


 とたんに、昨日の夜の車中の会話が思い出された。『中学生探偵には限界がある。考えておいてね』。でも、昨日の今日だなんて、考える時間なんてなかった!


「くやしい!」榛菜は勢いよく立ち上がった。


「俺たちもだ。先生もだよ。大人も子供も、真実がわかったところで何もできない」


「こんなに、みんなががんばったのに。さくらちゃんが始めて、黒川くんが調べまわって、晶くんが推理して、こんなに一生懸命やったのに!」


 努力したのに力及ばない。かつて榛菜は同じ経験をした。中学受験だ。あの時の父親はなんと言ったか? 「努力したのだからそれがいい経験になる、無駄じゃない」たしかにハイレベルの塾に入って、難しくもやりがいのある勉強ができて、晶や凛太郎とも会えた。


 だけどこれは? どうしたって、いい経験じゃない。理不尽で、無力で、事実で、圧倒的。こんなとき、大人は何と言って慰めてくれるのだ?


 そうだ、と榛菜はやっと理解した。さくらが感じていたのはこれか。この圧倒的に何もできない八方塞がりな感覚。身動きができない、涙も枯れそうな希望への飢え。こんな感覚を味わうくらいなら、幽霊になってでもと、子供のような希望に縋りたくもなる。


 幽霊になってでも、荒唐無稽な方法だったとしても、証拠がなくても、大人の仕組みにかなっていなくても、犯人の「ごめんなさい」をその喉の奥から引き摺り出してやりたい。


 無念の最期を遂げた少女を救い出したい。


 いまでも悲しみを忘れられない母親を助けたい。


 幽霊になってでも。


 そう、さくらのように、幽霊になってでも。


 ……。


 ……。


 幽霊になってでも?


 幽霊になる。


 ……幽霊になる?


 ……あれ?


 …………何かひっかかる。


 幽霊に……か。


 幽霊は……怖い。


 なるほど。


 なるほど?


 が幽霊を恐れる?


 ……は、幽霊を恐れるのか?


 が幽霊を、今、恐れているのだ?


 今度こそ、間違いなく、『幽霊を恐れているはずの人間』の前で、幽霊になる。


 なれる?


「うーん……」


「なんだ? 急に……」いきなり考え込んだ榛菜を、凛太郎は不思議そうに見る。


 榛菜は立ち上がった姿勢のまま考える。何か引っかかる。


「さくらちゃん、吹奏楽部っていつも生徒が戸締りしてるよね」


「……?」急な質問に、さくらは少し戸惑いながら、うん、と頷いた。


「先生、先生っていつも7時過ぎくらいまで一人で残ってますよね?」


 同じく響子も急な質問に言葉で返せない。概ねそうなので、うん、と頷く。


 なるほど。なるほど?


 さっきの晶の発言。『中村が「家斉先生が事故だと知っているから、家斉先生に聞け」と言っていた』。


「つまり、中村せんせ……中村は、『家斉先生が知世さんの妊娠を知らない』って思ってるってことでしょ?」


 今度は晶が考え込んだ。響子が知世の妊娠を知っていたら、事件性を探しているさくらには黙っていたいはず。むしろ聞いてこいと言うくらいだから、響子も事故だと考えている、と。つまり殺人の可能性となる妊娠の事は知らない、と


「……そうなる」


「だよね! うん……ちょっと待って……だとしたら……先生も参加できるし……うん……」


 榛菜はそのまま考え込む。


 ほっとかれた晶が、何気に響子に聞いた。


「家斉先生、中村は事件の後に転勤でもしたんですか?」


「そういえば……急にいなくなったような……」


「婚約までしてた相手がいなくなっちゃったから、居辛くなって転勤願いをだしたとかじゃねーの」


「なるほど、それなら辻褄があう。家斉先生の調査は目立ってたはずだが、転勤していたなら知らなくても不思議じゃない」


「で、10年経ってほとぼりが冷めたのでまた異動で戻ってきたってことか」


 結論が出たので改めて話が止まったと思っていたら、


「そして『となりに立つ少女』の噂を聞いた、と」


 榛菜がぽつりとつぶやく。


 全員が立ったままの榛菜を見ている。しばらくして榛菜はやっと四人の視線に気付き、ニッカリして言う。


「仕返し、したくない?」


「は?」意外な言葉に凛太郎は驚く。「危険だって言ったばかりだろ」


「なにか考えがあるのか?」晶は榛菜の目を見ながら聞いた。


中学生こどもにしかできないことやるの。どうせ大人ができないのなら、子供にできることを子供の範囲でやってしまおう。ちょっとだけ、家斉先生に手伝ってもらわないといけないけど」




 榛菜は自分の計画を説明した。突拍子もない内容だった。正に、大人なら一笑に付すようなアイデア。




「大人にはたぶん、こんな子供っぽいことできないでしょ」


「面白そうだが、そういう環境下での自白は証拠としては扱われないと聞いた」


 晶がどう反応していいか分からない、と表情に出しながら言う。


「いいじゃん! もう証拠なんてさぁ」聞く人が聞いたらとんでもない言葉だ。「確かめよう! あいつの口から、私がやった、ごめんなさい、といわせてやるの。そのあとをどうするかは、そこからは大人にやってもらうしかないけど」


「面白いじゃん。俺は乗った」


「わ、わたしも」さくらはやっと声が出るようになったみたいだ。

「わたしも、このままだと、学校に行けないから」


「だったら僕も、試してみたい実験があった」晶の笑顔は珍しい。

「手品にも使えそうなやつだ」


「どう? 先生?」


 話しかけられた響子は驚いて、目をぱちぱちさせる。


「私も……いいの?」


「いいよ! どうせちょっと手伝ってもらわないといけないし、すこしだけ中学生こどもにもどりましょう!」榛菜はまたニッカリ笑った。


「やるだけやって気が済んだら、あとは大人に戻った先生に頑張ってもらって、できることならあいつを刑務所にいれてもらいますから」


 あんまりな言動に、響子は力なく笑う。


「ずいぶん勝手な話なのね」


「そりゃあね」榛菜は笑って答える。

「だって、中学生こどもだもん」

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