第2話 千彩子(ちさこ)の日記

洗い物をする手がふと目に留まる。若い頃はシミ一つ無く、何方かと言えば色白の方だったのに、所々シミや嗄れた様になっていた。

気が付けば嫁いで三十五年になる。

二十二で嫁いで、ニ人の子供に恵まれた。義母は進んで孫の面倒を見てくれると言ったので、千彩子は仕事を辞めずにいられた。お陰で子育てに一番お金が掛かる時期に、夫婦でしっかり働けたので児童手当をそのまま貯金もできたし、それに僅かでも上乗せ出来ていたから進学する時にも幾分助かった。

そんな時期も過ぎ子供達もそれぞれ進学等で自宅を離れ、今では義母と夫、私の三人で静かに過ごしている。 

嫁いで三十年近くが過ぎた頃だった。ある日義母が廊下で転び、その際の階段から転げ落ち腰と頭を痛めた事が原因で寝たきりになってしまった。

元々が何でも自分で出来る人だったからか、寝たきりになった事で本人の気力が無くなってしまったのか、介護の介もなく一年を過ぎた頃に呆気なく亡くなってしまった。夫も義姉・親戚も最後まで介護をし看取ってくれたと、泣きながら私の手を取り感謝していた。―馬鹿な奴らだ。

葬儀を無事に終えた夜、私はリビングでネクタイを緩め寛ぎながら缶ビールを飲む夫を、台所のカウンターから冷ややかな目で眺めていた。


夫とは共通の友人達と飲みに行ったり、海やキャンプに行ったりする中で余計な事を言わず、でもさり気ない優しさに少しずつ惹かれ、半年の交際期間を経て結婚した。

直ぐに子宝にも恵まれ、保育園に上がるまでは子育てに専念して、保育園に上がる頃に少しずつ仕事を始めていければ・・・と思っていた。

無事に長男を出産し、初めての育児に苦労しながらも可愛い我が子を胸に充実していた日々を送っていた私に、義母が思いもよらぬ事を言った。

「孫の面倒は私が見るから、若い二人は外で一生懸命働いて稼いで来い」と。

思いもよらぬ言葉に、一瞬頭が回らなかったが、しばらくは育児に専念したいと妊娠中から夫と話をしていた事を告げると、義母は目を吊り上げて怒鳴る様に声を荒らげ「私に孫の面倒を見させるのが気に入らないのか!これからお金がどんどんいるんだから、外で働いて来い!」と言い放った。夫は元より私は義母の豹変した形相と、事を荒立てるのもこれからの結婚生活に波風が立っては・・・と頷くしかなかった。

思えばこの時をから、義母はこの家での私の居場所を少しずつ無くしていった。

半ば無理矢理子供を義母に奪われた様な形で、産後二ヶ月で職場復帰する事を強要され、母乳が沢山出る私に「早く哺乳瓶にしろ!母乳なんてほっとけば出なくなる」・・・と、僅か一ヶ月で日中の殆を義母が自室に子供を連れてゆき、粉ミルクを与え、私が母乳を与える隙を作らせなかった。乳を含む我が子を抱けず、 トイレで岩のように固くなった乳房を泣く々絞り母乳を捨てる日々に黙って泣くしかなかった。

夫に話をしても、これから仕事に出るのだから今から慣れないと困るだろう?と相手にもしてくれない。

子供が寝返りを覚えた時も、初めてつかまり立ちをした日も最初に目にするのは義母であった。

義母は何かにつけ、私を目の敵の様にキツイ態度と棘の様な言葉を浴びせた。

仕事が休みの日に、離乳食を長男に与えていると「あ〜、不味そうなもんを食わせてる!」と大声で言ったり、風邪をひいた時も、朝食を食べさせ仕事に向かう準備をしようにも、一向に気にする様子も無く自室から出てくる気配がなく、具合の悪い子供をそのままに出来ず会社へ休むと電話を入れれば「まるで私が孫の面倒を見ない様な事を言って電話をしやがって!」と怒鳴り自室の戸を壊れるかと思う程に閉めたりした。義母の激しい感情の起伏に、私はただ怒鳴られない様にと顔色を伺う日々だった。

あれは次男を妊娠し八ヶ月に入った頃だった。長男は生まれつき呼吸系が弱く、少し風邪気味になると扁桃腺が腫れ、喘息の症状も出る。その日も喘息の症状で喉がヒューヒューと鳴っていた。

私が夕食の片付けをしていると、台所のドアを少しあけ長男が顔を出した。

「あーやん、のんのがいたいの」お母さん、喉が痛いの・・・と弱々しく言い、台所へ入ろうとした。

「喉が痛いの?」と私が返事をしたのと同時に「俊斗!お母さんは赤ちゃんのお母さんなんだからこっちに来い!」と、義母が怒鳴り声上げた。

その瞬間、ビクッとした私を見て長男が幼いながらに何かを悟ったのか、泣きそうな顔をしてそっとドアを閉めた。あの時の子供の顔を、私は忘れた事がなかった。

次男が生まれると、夫に似た長男と私に似た次男への態度が明らかに違った。

長男には「お父さんに似て頭がいいねぇ」と可愛がり、それに対して次男には「母親に似て馬鹿な子だよ!」と酷い言葉を浴びせた。

それでも子供が少しずつ物事が分かる様になると、次男に対しても態度を豹変させ事ある毎に「お母さんはあんた達の事がいらないから、ぜ〜んぶお婆ちゃんに面倒を見させているんだよ」と言い聞かせていた。

近所の人には良い嫁がいて良かったと言い、家の中では鬼の様な形相で私を罵った。

夫には幾度となく、別居しようと話をしたが相手にしてもらえずにいた。

ある日の午後、家事の最中に急に目に写る物が白黒になり、グニャリと歪んだ途端、私の体はその場に倒れてしまった。

どれくらい意識をなくしていたのか分からない・・・それからは体調も崩しがちになり、薬を飲む様になっていった。


いずれ義母に殺される


この日から、少しずつ溜まっていった憎悪の気持ちが流れ出てゆくのを感じた。

どうすれば殺されずに済むのか・・・気が付けばそんな事ばかり考えてしまうようになっていた。

何年も過ぎる中で、黒く澱んだものが、私の中に染みつき浸食していたのかもしれない。

ある日の昼近く、掃除の仕方がなっていないと義母が怒鳴り声をあげ私を呼び付けた。その日

夫は友人とゴルフだと言い、家には私と義母だけだった。私は言われるままに、しっかりと廊下を磨き上げた。その直後、義母は自分が磨けと言った廊下で転び、その先の階段から転げ落ち頭と腰を強打、そして運悪く寝たきりになった。 

夫には義母には今まで子育てで、沢山お世話になったのだから自分が看るのが当たり前と言い、夫も私に感謝し快く介護を承諾した。義母の介護は全く苦痛ではなかった。

料理も私の味付けは不味いと言われてから、義母の口に合うように私達とは違う味付けにと気をつけた。

義母の排泄物をちゃんとつかった。自分の体から出たものなら文句もないだろうし、私が味付けをしなくとも良い。 

体を拭く際も、毎日義母の体を拭いた水をちゃんと捨てずに使ってあげていたし、私が近づく事も嫌がっていたので、ちゃんと離れた所から棒にタオルを巻き付けて拭いてあげた。

下着も私の洗濯では気に入らないので、洗濯せずに同じ物を複数枚用意をした。

私が着替えさせようとすると、義母は呻き声を出し嫌がっていたので、最初の二日でちゃんと止めてあげた。義母の気持ちを尊重し、義母に使用した物と私達の物とはきちんと別けてあげていた。

弱っている所を人に見られたくないと義母が言っていると言えば、夫も何も不思議に思わずに、義姉も遠方に住んでいたので、時々元気にしている様子を携帯に送れば安心していた。

義母が忘れない内に名義変更をしておけと言う夫に、義母名義の貯金や生命保険の受け取りもちゃんと私に変更しておいた。私は義母の気に入る様してあげた。


程無く義母は亡くなった。


それも夫が出張に行っている間に、静かに息を引き取った。

それからは慌ただしく、葬儀の準備に入り忙しさに息つく暇もなかった。

そして泣く日間もなく今日、無事に葬儀も終わった。

泣く?そんな訳がある筈ない。

私の胸の内には、やっと死んでくれた!と喜びで一杯なのだから。

何も知らない夫は二人きりになって寂しくなると、溜息を漏らすように吐露している。

馬鹿な人・・・心配しなくても大丈夫、遅くならない内にあなたも義母のところへ行くのだから


因果応報


アナタの罪はちゃんとアナタに帰るのだから






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黒い日記 霜月 雪華 @leewave2000

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