四十枚目『行ったり来たり』

「毎度ありがとうございました〜ん」

「たった銀貨十枚千円しか値切れなかっただと……!?」

「爆発で実験室を破壊した人間に容赦ないなぁ……」


 落書きの書かれた木の板を金貨一枚四千円銀貨三十枚三千円に交換し終えた僕は、ロスさんに言われ、話と視線をもう一度黒焦げとなった実験室へと逸らす。


「にしても、派手にやった割には窓ガラスとか床とか、そういうのは割れたり溶けたりしてないんですね」

「ああ、それはまぁおいたん事故で爆発する事は無くても、意図的に大爆発を引き起こすことは割とあるからね。おいたんが起こす爆発は規定を余裕で超えがちだから、もっと頑丈に頑丈に……って工事を繰り返してたらこの通りさ」

「思ったより酷い理由だった……アレ、でもその割には扉は耐性とか付けなかったんですね」

「付けようとしたよ? 不幸にも工事中だったってだけでね」

「……仕方ないですね、掃除くらいなら無償でやりますよ」


 檸檬色のコートに痛い程刺さるグラシアノ博士の視線に根負けしてそんな提案をしながら、僕はなんとなく窓ガラスに掌外沿ていがいえんを擦り付け、付着した煤の汚れを拭ってみる。


「…………?」


 しかし不思議な事に、僕がいくら強く擦り続けても窓ガラスの透明度は一向に上がる気配がなく、ただ煤で手を汚しただけの徒労に終わってしまう。

 薬品か何かの影響で相当しつこい汚れになってしまっているのだろうかと溜息を零す僕だったが、「ノブナガ」と背後から名前を呼ばれ振り返ると、そこには明らかに強張った顔をしたロスさんが居た。


「どうしました、ロスさん?」

「ど、どうしたっていうか……アレ……」

「アレ……? ああ、この窓ですか? 汚れ酷いですよねぇ〜……てか、普通近くにあるものはそれって言いません?」

「いやいやそうじゃないって! ったく金以外はとんと鈍いなぁもう!!」


 ロスさんは僕に向かって鈍感系主人公に苛立つ友人キャラみたいなことを言うと、汚れが目立ちそうな白い軍服を躊躇なく使って、僕が拭いた箇所から広げるようにして窓の煤を拭い取り、窓の奥にあったをより露わにする。


「なんだ……あれ……?」


 黒の正体は空だった。

 煤の色にも負けない、光さえも奪ってしまいそうな黒色の雲が空一帯を覆っていたのだ。窓の防音効果のせいか音こそは聞こえないが、稲光がぴりぴりと裂けるのまで見える。

 しかし僕の目を引いたのは、そんな不吉の象徴のような悪天候ではなく、そんな雲の中からアーチ状に出入りを繰り返す紅色の鱗を持つ龍が、悠々とそこを泳いでいたことだった。


「な、なんですかあの究極神龍シェンロンみたいなのは……新手の害蟲がいちゅう!?」

「まさか! だとしたら警報が鳴るはずだし……大体何虫なんだいアレ?」

「どれどれ、おいたんにも見せてみなさい。……ああ、なるほど、何かと思えばゲルダちゃんか。害蟲がいちゅうじゃあなく、れっきとした火龍果ドラゴンフルーツ蟲狩むしかりだよ」

蟲狩むしかり!? あれで!?」


 しかも火龍果ドラゴンフルーツだから龍に変身するって……。

 ベタすぎて、ネタ切れを疑われるシンプルさだな。


「いやいや、アレは飛んでる訳じゃあない。ゲルダちゃんのあの角は天候を操る機能を備えていてね、それで気圧を制御して上昇気流を起こし──ん? ああ、飛んでるわ、やっぱり」

「てか今はそんな能力解説より! アレ放っておいていいんですか!?」

「そりゃあ、まぁ、いいわけないよね。私闘禁止ってルールもあるし。けどさぁ……アレ止めようと思う? 普通」


 と言って、グラシアノ博士は親指で空飛ぶ龍──ゲルダさんの方を指差す。


「……思いませんね。てか嫌ですね」

「でしょ?」


 触らぬ神に祟りなし。

 否、この場合は龍の逆鱗に触れるなと言った所か。

 大体規模こそ壮大でこそあるものの、アレは言ってしまえばただの喧嘩。

 害蟲がいちゅうでも蟲喰むしくいでもない者の喧嘩を止めた所で一銭にもならないだろうし、それに僕が止めに行かなくても、ここにはロスさんが居るのだ。

 仲裁はこの人に任せて、僕はここでその戦いの様子でも観戦するとしよう。そうしよう──と、ロスさんに頼もうとした時──先にロスさんの口から、信じ難い台詞が飛び出してくる。


「アレ? あそこに居るのミチカちゃんじゃない?」

「──……はい?」


 言われて僕は窓に額や鼻っ柱が引っ付くほどに近付き、食い入るように窓の外を覗くと、確かに、信じられないが、ゲルダさんの顔の前を蝿のように飛び回るミチカが見えて、思わず窓を範馬勇次郎の如く突き破ってしまいそうになる。


「なにやってやがるんですかあの馬鹿はァ!?」

「さぁ、知らないけど……なんとなく分かるだろ? 彼女がそのゲルダって子を怒らせて喧嘩になってるか、その子が彼女を怒らせたかの二択でしょ」

「だろうねぇ、ゲルダちゃんもミチカちゃんも水素爆弾並にキレやすいからねぇ。あっ、どっちが先に怒ったか賭けるかいマサノリ君? ケヒヒ」

「『ケヒヒ』じゃあねぇですよ!! クソッ、二人共他人事だと思って……!!」

「「他人事だもん♪」」

「『もん』じゃねぇ!!!!」


 最悪だ、不味いことになった。

 誰だよただの喧嘩とか言った奴。顔面を馬に蹴られてしまえ。

 このまま街に被害を与えでもしたら損害賠償を請求されてしまう。

 ここセネラルは修復の難しい建築や道具が豊富であり、ペトルトンのように蝋による建築で凌ぐのも難しい。

 となれば後は──

「神様仏様ロス様! どうか被害が出る前に二人を止めてください!! 対価は後程お支払い致しますので!!」


 借りを作るのは癪だが背に腹はかえられない。

 何か建物の一つ二つ三つ飛んで五つ破壊する前に請求を最小限に抑えるべく、僕はロスさんに縋る思いで頼み込む。


「ふぅ……まっ、仕方ないね。そもそも喧嘩は良くないし、分かった。俺が少し行って二人を──」


 と言いながら、ロスさんは再び二人に視線を戻すと、「あっ」と驚いたような声を漏らす。

 自然、僕もそのロスさんの視線の先を追い掛け──こっちに向かって風を切り裂いて飛んでくる我が妹の姿を目撃する。


「『開花せよブルーム』、『蝋梅ウィンター・スウィート』──『黄蝋穿槍ウィンター・ジャベリン』ッ!!」


 咄嗟に僕は開花ブルーム状態に移行すると、間髪入れずに蝋の槍を創り出し、ミチカの衝突予想地点である窓に向かって思い切り突き刺す。

 それで窓ガラスが粉々に割れることを期待していたのだが、流石はあの爆発の中生き残っただけの事はある。

 なんとか貫通する事には成功したが、槍一本分のネズミの巣のような穴を開けただけで、窓ガラスを粉々に砕くまでには至らなかった。

 こんな窓ガラスにあんな速度で衝突するとなれば、高層ビルに屋上から飛び降りるようなもの。

 いくらミチカが蟲狩むしかりであるとはいえ、無事では済まないだろう。


「──『無法者ウォンテッド』」


 次の手を実行するのに、一切の動揺や迷いは無かった。

 僕の人生において期待通り上手くいくなんてことの方が少ないのだから、今の一撃で割れないのは当然の結果だ。

 ならばと僕は貫通した槍に花粉を流すと、その形を伸ばしつつ加速させ、十分な速度に到達した状態でUターンし、突き刺さることで窓ガラスに二つ目の穴を開ける。

 そうやって三つ四つと、まるで裁縫でもするように音速を超える速度で蝋の槍を往復させることで無数の穴を作り出し、仕上げに幾何学きかがく模様を描いて縫い付けられていた蝋を引っこ抜くことで、僕が通り抜けるのに十分なサイズの穴を作り出す。


「ロスさん!!」

「ッ! ──しっかり屈めよ!!」


 ロスさんはたった一言の呼び掛けに僕が何をしようとしているのかを察して応答すると、ロスさんは僕を片手で掴み、出来たばかりの穴に向かって投げ飛ばす。


「ぐぉっ……!!」


 人間を野球ボールのように軽々と投げ飛ばすロスさんの膂力りょりょくに圧倒されながらも、窓の外に出た瞬間、僕は地面に向かって『黄蝋穿槍ウィンター・ジャベリン』を放つことで高さを微調整し、衝突寸前の所でミチカの胴体を抱きしめる形で受け止める。


「〜〜ッッシャア!!」


 受け止めた衝撃に入院明け早々また骨が数本逝きそうだったが、思惑通りに救助することが出来た。

 あとはこのまま技を何回か繰り出すことで威力を殺して着地するだけ──の、筈だった。


「──えいっ」


 グルグルと空中を転がるように回転していた筈のミチカが突然両肘を張ると、僕を腰周りに身につけた状態でピタリと停止する。


「えいっ?」


 それだけなら僕の取り越し苦労で良かったのだが、ミチカは僕が腰に巻きついている事も気にせずに、


「『双子座流星ツインズ・メテオ』」

「えいぃぃぃいいいいいいッ!?」


 今しがた自分が吹っ飛んできた軌道を辿り、僕を連れてゲルダさんの元へと飛翔するのだった。

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