三十二枚目『とある目的地』

「改めて──ごめんなさいッ!!」

「……いや、まぁ、いいですよ、全然。過ぎたことなんで、頭を上げてください」


 そう言って僕は『ソラガメ』を操舵そうだしながら、僕直伝の完璧な角度の土下座を捧げるチアカさんの面を上げさせる。

 僕の病室で服を脱いでいた事情を聞いてみれば、見舞いに行ったところ僕の姿が見当たらなかった為、手持ち無沙汰だった為にベッド横に飾られていた花瓶の水を変えようとした所、うっかりミチカがチアカさんの背中に水をこぼしてしまったからだったらしい。

 手を後頭部で組んでいたのも、水がかかった部分がテウイラのある背中だった為、何か変化が起きてしまってないかミチカとキミエに診てもらっていたからだった。扉の鍵だけでなく、そんな所にまで僕の不幸は伝播してしまっていたのだと思うと、僕自身も背中に冷水を掛けられたような戦慄を覚えてしまう。

 因みにミチカとキミエによる『ふたりはプリキュア』を彷彿とさせる見事な顔面ダブルパンチを喰らった僕はと言うと、踊り場にあった樹木の上に落ちたことで、辛うじて入院が伸びてしまうという事態は避けられた──が、扉の鍵や破れた窓の修理費、鼻の治療費などで、僕の貯金残高は更にマイナスを喰らい、ついでに顔面が『20世紀少年』に出てくるともだちのように、頭全体が包帯に巻かれた無惨な姿になってしまった。

 チアカさんに借金を上乗せし、借りを作るのではなく、作らせることには成功したが、痛い事には変わりない結果であった。


「うぅっ……本当にごめんねぇ、ノブぅ……けど私、もうッ……お嫁に行けない……!!」

「あ〜あ、泣かせちゃった……どうすんの? にぃに」

「こうなったらもう……ね? 責任取るしかありませんよねぇ……?」

「お前らももうちょい反省しやがれ。しっかり僕の妹しやがってよ」


 ノブナガ家訓シリーズの一つ、『弱みに漬け込みガンガン行こうぜ』の教育に従い、旧時代のジャパニーズマフィアみたいな詰め寄り方をしてくるミチカとキミエに向かってそう言ったタイミングで、チアカさん達とは逆方向の方から、我慢出来ずにプッと吹き出す笑い声が聞こえてくる。


「ハハハハハハハッ!! う、運が悪いのは知ってたけど、そんな……格好……ぶっははははははッ!! はは、は、腹痛てぇ〜ッ!!」

「笑い過ぎですよッ!! 大体、なんでアンタまだここに居るんですか!? 暇なんですか!?」


 腹を抱えてゲラゲラと笑うロスさんに向かって、射程距離圏内に居れば、その爽やかな顔面に連続目突きをお見舞いしてやる勢いで人差し指を指しながら、噛み付くようにそう叫ぶ。

 アンタは事件の後日談に、まとめ役として出てくる準レギュラー枠じゃ無かったのか。


「水臭いなぁ、俺とノブナガの仲じゃ無いか。旅は道連れ世は情けって奴さ。それに、あの人──博士の所に行くなら、俺にも用があるんでね」

「博士……そういやノブ、あの人とかこの人とかってずっと言ってたけど、これから誰に会いに行くの?」


 チアカさんが至極当然の疑問を投げかけると、ロスさんはよく聞いてくれましたとでも言うように、ニヤリと白い歯を見せて笑い、説明を始める。


「グラシアノ・シュミットケ博士さ。とても聡明な方でねぇ。齢十にして動物解剖学を初めとした博士号をなんと七つも取得したんだよ」

「十歳で七つも!? スゲェ! ブルース・バナーの上位互換じゃん!?」

「わぁ、凄い……ノブナガと全く同じ喩えだ……」

「科学者だけでなく、蟲狩むしかりとしても結構な実力者でしてね。捕獲した害蟲がいちゅうにも高額で取引してくれますし、仕事上なら信頼出来るんですが……」

「ですが?」

「なにぶん、趣味の欄に解剖って書くタイプのマッドサイエンティストなので……仕事以外じゃあ極力関わり合いになりたくないんですよね……」

「あら、わたくしは結構あの方好きですわよ?」

「ん、ミチカも」

「俺も〜」


 問題児共は黙ってろ。


「……兎に角、そんな性格な上、害蟲を操る技術を持っている人物と言えばこの人くらいしか居ないという理由で、僕達はこれから容疑者候補としてその人に逢いに行くんですよ」

「ふーん……でも、ノブは違うと思ってんだ?」

「えっ? あっ、はい、まぁ……そう思ってます。博士と僕はそれなりに付き合いが長いですからね」


 いきなりチアカさんに図星を突かれてしまい、僕は若干狼狽うろたえつつ、そう答える。

 グラシアノ博士は確かに螺の外れた──否、元々備わってないような人物ではあるが──同時に、自分の中に揺るがない正義を持った人物である事を、僕は長い付き合いから知っていた。

 僕の不幸は、考え得る以上の最悪な事態を招くが、だからと言って、博士の信念を疑うのは、紳士ゆえに出来なかった。それに──


「それに、もし博士が本当に犯人だとしたら、金づるを一つ失う事になっしまうので──違います」

「ツン──はっや。心読まれた?」


 僕が心外な評価をジョセフ・ジョースターばりの先読みで断固として否定すると、ロスさんが「さっ!」と言って胸の前で手を一回分鳴らすことで、会話に区切りを付ける。


「人物紹介はそこまでにしてさ……今度は目的地の説明と行こうよ」

「目的地……やはりあそこになるのでしょうか?」

「ん、久々……」

「当たり前だけど。まぁ〜た知らないの私だけかぁ〜……今度は一体何都市に行くわけ?」

「──知りたいですか?」


 チアカさんの問いに、ロスさんに代わって、今度は僕が待ってましたという風に、ニヤリと口角を上げて聞き返す。


「本当に知りたい?」

「えっ、うん……何? そのキモい感じ」

「キモいは言い過ぎですが、まぁいいでしょう……貴女も聞けば落ち着いてられなくなりますよ。いいですか? これから向かうのはですね──」

「これから向かうのは……?」


 僕は、旧時代において、世界規模で行われたスポーツの祭典であるオリンピックの開催場所を公開するような心持ちで、チアカさんに告げる。


「人類の叡智が集う場所──『』です」

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