三十一枚目『紳士的事故処理』
「へっ──へっ──キッチョイ! チッキショオ……また風邪ひいちゃったかなぁ……」
僕を愛する不幸の女神は疫病の女神も兼任しているのか、何か病が流行すれば、どれだけ手洗いうがい、マスクをしようと、ほぼ確実に感染するという呪いが、僕にはあった。
場所が場所だけに、誰かからすれ違った時にでも貰ってきたのだろうな──と、病院に設置された自販機近くの休憩所で植物図鑑を開きながら、そう思う事にした。
「おっ、あったあった……これだな」
お目当てのページに辿り着き、僕はその植物の名前を、指でなぞりながら音読する。
「テウイラ……」
間違いない。チアカさんの背中に突如として芽生えた赤い花の種類は、きっとこれだ。
ショウガ科ハナミョウガ属の常緑多年草。
他にも、レッドジンジャーやアルピニア・プルプラタという名が付けられた、
花言葉は──『一日だけの恋』?
見た目が火みたいだから、そこから火遊びへと連想したのだろうか。
チアカさんより、どっちかと言うと、キミエの方にこそ似合いそうな花だが──兎にも角にも、これで花の種類は判明した。
「へぇ〜……あの赤い花弁に見えたのは苞葉っていう葉の一部なのか……」
チアカさんの背中に生えたテウイラは、日が経った現在も、未だ引っ込むことが出来ずにいた。
しかしチアカさんの場合、この肉体のブーストが
言わば、火が着く前の蝋燭のようなバグが、チアカさんの身に起こっているのだ。
ならば、走るなりなんなりして体力を消費すれば引っ込むようにも思えるが、これは飽くまでも僕の推測だ。身体能力のブーストだけでなく、何の能力の片鱗も感じられないというのも不気味であるし、引っ込めたら今度は出せなくなったなんて事も有り得る。
丁度専門家に会いに行く予定もある今、余計な事はしない方がいいと言うのが、チアカさんと相談して出た判断だった。
彼女自身、花を引っ込めることより、どうやったら僕達のような能力が使えるかといった事の方に興味があるらしく、こうして植物図鑑を開いているのも、何か能力発動のヒントになるかと考えたからだった。
「ん〜……くぁっ……」
よく晴れた空だ。この病院は天候操作システムが搭載されているとはいえ、こういった天気の中読書が出来るなんて、僕にしては珍しかった。
窓ガラス越しに差し込む陽光が肩に当たり、カーディガンのような程よい暖かさに、つい欠伸を漏らしてしまう。
チアカさん達は今頃『ソラガメ』で僕に請求された慰謝料を返済すべく、必死こいて働いている事だろう。
サボったり暴力沙汰だったりその他諸々で頭を悩ますあの三人も、今回ばかりはまともに仕事をする気があるようだし、テウイラについては見舞いに来た時にでも教えるとして、今はこの僅かばかりの安息に甘えて、思いっきり羽休めをするのも悪くないだろう。
思い立ったが吉日。
僕は、不幸の女神の気が変わるより早く、少しでも睡眠時間を確保するべく、足早に自分の病室へと向かう。
気分は高級プライベートルームを目指しているようだ。泊まったことないけど。
「ふんふんふっふふ〜ん♪」
柄にもなくオリジナルの鼻歌なんかもしちゃいながら、僕は浮かれ気分で病室の戸を開く。風が吹いた。
チアカさんが居た。
「「「────あっ」」」
三人分の呆気に取られた声が耳に届く。
否、もしかしたら僕の声も含めて四人分だったかもしれないし、本当は誰も何も言わなかったのかもしれない。
時間が停止したような感覚に僕の聴覚はその時正常に働く事が出来ず、代わりに視覚がフル稼働して、目の前の莫大な情報を処理しようとフル稼働していた。
そこに何があるのか。紳士ゆえに、チアカさんに出来る限り配慮して描写するよう努力するが──余りぼかすと返って
見えたのが背中とかならまだ良かったのだが、チアカさんはこっちを正面に向いていた。しかしそれだけなら、彼女の持つ
僕の立ち位置から見れば、まるで後頭部で手を自身の髪で結び、あたかもマニアックかつ背徳的なポーズを取っているかのようにも見えてしまう、そんな姿勢になっていた。
まるで僕に向かって、自慢げに褐色の玉体を見せつけているかのような有様に、自然と僕の視線は惹き付けられ、決して逸らすことを許されない状態となった。
不幸中の幸い、下半身の衣服は脱がなかったようだが、それが返って、神秘的な容姿をしているチアカさんを旧時代に存在したギリシャ彫刻のような優美さを引き立てているようでもあった。
嗚呼、一体どうされたと言うのだ、神よ。
この僕に──アイスの当たり棒が印刷ミスで『あた』で終わった事すらあるこの僕に──ラッキースケベを与えるだなんて!
「わっ……あっ……あぁ……!!」
時間の流れが元通りになり、およそ二十一行に渡って、チアカさんの見えてしまった上裸について丁寧な描写をしたような錯覚から我に返ると、チアカさんこれ以上僕から裸を見られまいと自身を抱き締めるようにして胸を隠し、羞恥の炎に頬や耳を紅潮させていく。
そして、ようやく僕は理解する。
これは、不幸の女神が仕掛けた罠なのだ──と。
食虫植物が甘い匂いで獲物を誘い込み、捕食する様に──これから帳尻合わせの不幸が、僕に牙を剥くに違いない。
そして、これが最も最悪なのだが、その不幸がなんであるか、僕は何となく察し、その回避方法にも検討がついていた。
伊達に、幾千、幾万もの危機的状況を想定し、準備して来た訳では無い。
が、しかし──それでいいのか?
この場から逃げれば、確かに一時的に不幸から逃れる事は出来るだろう。
だがそれは、チアカさんに対して裸を見たという借りを作ってしまうことに他ならないのではないか?
人に借りを作らせるのなら兎も角、作るのなんて御免だ。
なにより、それは紳士のすることじゃあ無いのでは無いか?
僕の病室で着替えてしまう彼女の方にこそ非があると考えてしまうが、そう言えば、扉を開けた時、妙な引っかかりを感じた。
もしかして、僕が開けた時、不幸にも鍵が壊れたのではないか?
よく見れば、チアカさんの後ろのカーテンは閉まっているし、人が入ってくる可能性を考えてなかったという様子は無い。であれば、彼女は僕の不幸に巻き込まれた、哀れな被害者と言えるのではないか?
時間が再び歪む。
耳元で、不幸の女神がどちらか好きな方を選べと囁くのが聞こえてくる。
「──わぁぁあああああぁぁぁあ〜ッ!?!?」
現実時間にして○コンマ二秒も掛からなかったのでは無いだろうか。
僕が心の中で答えを出したと同時に時間は本来の流れを取り戻し、チアカさんの悲鳴が病院中に響き渡る。
そしてより身体の露出を防ぐべく、チアカさんがダンゴムシのように身体を丸めてその場にしゃがみ込んだ瞬間。入れ替わるようにして、ミチカとキミエが、冗談抜きに時速三百キロは出ててもおかしくはない風切り音を立てながら、僕の顔面目掛け、鏡合わせの構図で拳を振るってくる。
予想通りの展開だ。
僕はそれを避ける事も出来たが、敢えてそうせず、襲来する衝撃を鼻っ柱で受け入れ、
「ごべんなぶぁぁぁあああいッ!!!!」
そんな、謝罪の絶叫を上げながら、通路の窓ガラスを突き破って病院の踊り場へと、下劣な流星となって散っていくのだった。
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