二十六枚目『油断大敵』

 絹を裂くような絶叫と共に誕生した人蟲じんちゅう種は、透き通った羽のように長い髪に、毛皮のマフラーに似た首元の白い体毛。鳥の羽のようなくし状の触角。爛々らんらんと赤く光る複眼を持った、裸身の美少女だった。


「キュルルルル……」


 産まれたてで新しい世界に困惑してるのか、人蟲じんちゅうはいきなり襲ってくるような真似こそしないが、複眼をフル稼働させ、舐めるように僕達を観察してくる。


人蟲じんちゅう化? このタイミングで? クソッ、ツイてねぇ……」


 僕が言うつもりだった台詞を奪って呟く赤髭の侵入者の声が聞こえ、僕は出来るだけ人蟲じんちゅうを刺激しないボリュームで、蟲狩むしかり蟲喰むしくいとしてではなく、同じ人類として話し掛ける。


「あ、貴方が連れてきた害蟲がいちゅうでしょうが。責任持ってなんとかしてくださいよ……!!」

「出来てたらこんな焦ってねぇよ! もうアイツは俺の言う事を聞かねぇ……そもそも俺はこういう害蟲がいちゅうとやり合いたくねぇから蟲喰むしくいになったようなもんなんだぜ? ンな無茶言うなッ!」

「堂々と情けないことを……!!」


 否、落ち着け、情けないことを言ってるのは自分だ。責任だなんだと面倒を押し付けていては何も解決しない。

 そもそも、登場のインパクトこそあれ、戦況はそこまで不味くない。

 人蟲種の強みは三つ。

 一つ、通常の害蟲以上の身体能力。

 二つ、人間並みの知性の保有。

 三つ、蟲狩と同じ人知を超えた能力の行使。

 しかし産まれたてである事から、人蟲じんとゅうの知性は、あったとしても赤子並み。

 ともすれば、能力をいきなり行使出来る可能性は低い。仮に使えたとして、害蟲がいちゅう蟲狩むしかりと同じく能力の使用に巨大樹の花粉を吸収する必要がある為、そもそもこの花粉の届かない上空ではお互いに能力など使えやしない。

 純粋な身体能力による格闘戦──それなら、二対一と数の利があるこちらに勝機がある。


「──赤髭さん、それ……弾はまだありますか?」

「あ? ……ああ、あるぜ」

「僕が隙を作ります。それと同時にありったけを」

「……まっ、そうなるわな」


 共闘は成立した。あとは挑むだけだ。


「『開花せよブルーム』──『蝋梅ウィンター・スウィート』」


 身体強化を狙って僕が開花を宣言すると同時、人蟲じんちゅうはそれまでゆらゆらと落ち着かない様子で揺らしていた身体をピタリと止め、観察を警戒に、舐めるようにを穴が空くように、僕の方をじっと見詰めてくる。

 その姿は逃げ切れる十分な距離まで動く様子を見せない、草食動物のそれによく似ていたが、害蟲のそれが逃げるためではなく、寧ろその逆であるというよは明白だった。


「やだなぁ、そんなに見詰めないでくださいよ。僕は紳士ですから、裸身の少女からそんな風に熱烈に見詰められたら、緊張しちゃうじゃあ──」


 言語を解しているとは思えないが、注意を惹く為に軽口を叩き、蛾の人蟲の動きを今か今かと待ち望んでいると、僕が言い切るのを待たずに、人蟲じんちゅうが屈んで腿に力を込め始める。


 ──今だッ!!


 僕は心の中でそう叫び、こんな事もあろうかと床に掛けておいた黄蝋こうろうのワックスを溶かし、踏み込もうとしてきた人蟲じんちゅうの足を滑らせ、姿勢を崩す。

 赤髭もそれが僕のお膳立てであるの察し、持っていた二丁拳銃を構え、姿勢を崩した人蟲じんちゅうに向かって連射する。


「キャアッ! アァッ……!!」


 人蟲じんちゅうは少女の見た目通り軽く、溶けたワックスによって床の摩擦まさつが殆ど無くなっていたのもあって、カーリングで使われるストーンのように滑っていき、弾倉から弾丸が消える頃には、店の端、入口付近にまで押し込まれる。


「よし! やっ──……」

「まだです」


 僕は赤髭が思いっきりベタなフラグを言おうとするのを言葉で遮ると、カウンター下から先程使う筈だった──種籾たねもみ袋を回収し、倒れる人蟲じんちゅうに向かって投げ付ける。

 能力を使えないと言ったが、アレは嘘だ。丸っきり嘘という訳では無いが、より正確に言うなら、使という表現が適切だろう。

 僕の能力は蝋細工を咲かせる種を生み出す事であり、変形に必要な花粉も、種を生成する時点で込められる。

 だからもしもの事があった時のため、こうして花粉の無い状況下であっても、武器の調達をすることが出来るのだった。


「『黄蝋紙綴ウィンター・ステープラー』──『悪戯者アーチン』ッ!」


 僕が叫んだ事で、種の中に圧縮された蝋がコの字型の針となって弾け、人蟲じんちゅうの手足を縫い付けるように壁や床に突き刺さると、内側に無数の針を出現させ、肉や骨にガッチリと食い込ませ、拘束する。


「キュウウゥゥゥゥッ!! キュッ、キュアァァアアアアッ!!」

「よっしゃ! これで──」

「ダメです」


 動けなくなった人蟲じんちゅうにトドメを刺しに走り出そうとする赤髭を、僕は手を伸ばし、諌める。


「ああ!? なんでだよ! まさかガキの姿だからって躊躇ためらってんじゃあ──」

「んなわけないでしょう。子供の姿をした人蟲じんちゅう種なんて珍しくもないですよ。そうじゃなくて、殺すより、生け捕りの方が高値で売れるんです。ですので、殺さず、気絶で留めてください」

「お、おお……そうか…………なんていうか、アレだな。この兄にしてあの妹達アリっていうか……空賊コッチ側の方が向いてねぇか……? 生きるか死ぬかって状況で金勘定まで気ぃ回んねぇよ、普通」

「失礼ですね……妹達と同類にしないでくださいよ」

「お前の妹、空賊と同類にされるより恥なの? ……まっ、これで一件落着ってことで──」


 言い切るより早く、赤髭は拳銃を逆さに握ると、僕の額を狙って台尻を振り抜く。対して、どうせそんな事だろうと思っていた僕は、開脚によってそれを避けると、こんな事もあろうかと種籾袋から抜き取っておいた種を、赤髭に向かって親指で弾く。


「『黄蝋手錠ウィンター・ハンドカフ』」


 弾かれた種は空中で手錠の形に変化し、赤髭の右手首に繋がると、そのまま壁に接着し、あっと言う間に赤髭は身動きが取れなくなる。


「チィッ!? マジかよォ……!!」

「はーい、暴れないで、観念してくださいねぇ〜。……そうそう、高値で思い出したんですけど、貴方、懸賞首ですよねぇ? 名前は確か、ラウール・ペイナド。予知能力を持っているせいで、捕縛が困難だとかなんとか」


 蟲喰むしくいの懸賞額は毎回チェックするようにしているし、予知能力が死ぬ程羨ましかったから、余計に覚えていた。

 そんな能力を持っていたら、僕の不運な事故も少しはマシになるだろうに。


「そこまで知ってんのかよチキショウ……そんな、身の危険が迫ったら泣いて命乞いするインテリエリートの坊ちゃんみたいな見た目でちゃんと強いしよぉ……」

「やけに具体的に失礼なイメージ持たないでくださいよ。誰のファッションが嚙ませ犬ですか」


 しかし──被害と言えば、店の天井の風通しが良くなったくらいで、人蟲じんちゅう蟲喰むしくいを生け捕りに出来たのはかなり美味しい。不謹慎だが、チアカさんと妹達が落下してくれた事を幸運と捉えてもいいくらいだった。

 正直言って、この時の僕は、一石で二鳥を当てた気分になって、油断しきっていた。

 幸運なんて言葉が、自分にとってどれ程手の届かない、価値のあるものか、僕は一瞬、忘れてしまったのだ。


「キャアッ! キャアッ! ──キャアァァアアアアアアアアッ!!!!」


 僕が愉悦に浸っていると、拘束から抜け出そうと藻掻もがいていた人蟲じんちゅうが、突然こちらの本能的な恐怖心を呼び覚ますような、つんざく悲鳴を上げる。


「くっ!? 今更何を──……ッ!?」


 どうせ何も出来まいと油断したまま振り返った僕は、蛾の人蟲がラウールを脱出させる時にそうしたように、複眼を赤色に光らせているのを目撃する。

 何故、花粉も無いのに──

 そんな疑問が嫌な汗と一緒に頭の中で噴出するが、そんな疑問を処理する暇も与えず、蛾の人蟲は僕に向かって、赤色の熱線レーザーを容赦なく放出するのだった。

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