十三枚目『混ぜるな危険』

 冷たく、処理された遺体の剥がれた足の皮が、床にへばりつくような凄惨せいさんな現場からの帰り道、打って変わって街の中は実に静かで、穏やかなものだった。

 時計を確認してみると、針は十四時半を刺し示しており、昼食を腹に入れて皆眠くなっているんだろうな、と根拠の無い想像をした。依頼内容についてあれこれ話し合う前に、少し仮眠しようかなと考えながら、自身が営むレストラン『ソラガメ』の扉前に立つ。

 そして、ドアノブに手を掛けようと手を伸ばそうとした途中──こちらに向かって、風切り音が聞こえてくる。


 ──油断した。


 僕のツキの無さなら、こんな事くらい起きると予想して当然の、ベタ過ぎる展開だ。

 僕は自身の身の安全を諦め、観念したように扉を開ける。直後、予想通り幾人もの大男が重なった状態で、僕の眼前に迫るのが見えた。僕は『マトリックス』のネオよろしく体を思いっ切り反らせて彼等を回避しようとし──


「ぐぇええッ!?」


 重力を思い出した彼等によって身体を押し潰され、僕はカエルの様な悲鳴を上げてしまう。全くもって格好悪いが、扉が破壊されなくて何よりだ。


「あらぁ? その品性の欠片も無い呻き声は……兄様ではありませんか?」


 そう思う事にして自身の気を紛らわしていると、店の方から──実の妹に対して使うべき表現かどうかは怪しいが──なまめかしい印象を受ける女性の声が聞こえてくる。


「実の兄に対して気遣いより先にそんな酷い事を言えるってことは、キミエだな?」


 声のした方に視線をやると、そこには二人いる僕の妹のスケベな方を担当するキミエが、高過ぎる身長でもって、愉快そうに僕を見下みくだしていた。


「それで、今回は何があったんだ? この人達は誰なんだ、まぁ酒の匂いもするし、お客様ではあるんだろうが」


 のしかかるお客様達を退かしつつ、僕が聞くと、キミエはわざとらしく首を捻って語り始める。


「そうですわねぇ、何から話したらいいか……先ず、チアカ様が陽気な音楽に合わせておじ様方を引き連れてきたのですけれど」

「もうわかんないんだけど」


 確かにチアカさんの容姿には目を引くものがあると思っていたが、彼女にそんな客寄せの才能があったとは知らなかった。ウェイトレスの才能の無さに絶望していた分、これは嬉しいニュースになるかもしれない。


「陽気な音楽に誘われてやってくるような人達ですから、酒の売上にかなり貢献してくれまして……」

「当てようか? 『けど』が続くんだろう?」


 しかし嬉しいニュースの後には、大抵嬉しい事の倍以上に悪いニュースを聞かされるというのが、この僕だ。

 予想通り、キミエは僕のうんざりとした言い方を一笑してから、『けど』と言葉を続ける。


「元々下心アリでチアカ様に着いてきたのでしょう。酒が進んで気性が荒くなったのか、彼女を賭けて殴り合いの喧嘩に発展致しましたの」

「ほんとか? 全く……猿過ぎないかいくらなんでも」

「まぁ、少々私の方で火を付けた所はありますが……」

「おいコラ少々ってなんだ」


 性欲の絡む争い事はキミエの大好物だ。少々と言ってはいるが、きっとガソリン投下レベルの唆し発言をしたに違いない。なんなら酒が盛り上がった事すら、彼女の手引きなのでは無いかと怪しくなってきた。


「けど、それだけならまだただの殴り合いでしょう?」

「けど? 二度目のけど?」

「チアカ様は自分が景品になる状況が気に入らない性格らしく、『私に勝ってから物申しやがれ』と啖呵たんかを切って喧嘩に参戦してお客様達をボコボコにし始めまして」

「なに?」


 言われて、僕は退かし終えた男達の方を改めて見てみると、見事に皆、試合を終えたボクサーのように顔面を変形させられていた。

 バッタ人蟲じんちゅうから逃げ切れた事から体力と敏捷びんしょう性はある方だとは思っていたが、喧嘩と現場仕事で鍛えたであろう巨漢達を相手にここまでやれる程チアカさんの腕っ節が強いとは──客寄せの件といい、意外な特技ばかり持っている人だ。


「で、こうやって客を全滅させたのまではまぁ、よかったって思うでしょう?」

「よくはねぇよ」


 ……けど確かに、多少食器や椅子を破壊された所で、僕の異能ならまた作り直せばいいだけであるし、店の中で殴り合いをするような迷惑な客の片付けを済ませてラッキーくらいに思ったのは事実だ。

 そして、そんな風に思えた瞬間が今まで一度だって訪れた事が無いのもまた、悲しい事に事実だった。


「騒ぎを聞き付けて、店の奥で寝てたミチカが起きちゃいまして」

「あっ……」


『ミチカが起きた』。

 僕にとってみれば、この台詞を聞いた時点で面倒な展開がほぼ確定したようなものだったが、その展開をより確固たるものとするように、何故今まで聞こえなかったのか不思議なくらいの、騒がしく争う二人の声が聞こえ、視線をキミエから店の方へと向ける。


「ハーハッハッハッ!! 遅い遅〜い! 遅杉田玄白ぅ!! 解体バラしちゃうよ〜ん?!」

「解体されるのは、ミチカの拳を喰らうチアカの顔面の方だ──よ!!」


 店の備品を破壊し、店の客を全滅させたというのに、素面シラフで酔っ払いに匹敵する程に荒れた二人の気性は収まるところを知らないのか、そこには破壊し尽くされた店の中をリングに行われるタイマンの決勝戦が、僕の目の前で繰り広げられていた。


「チアカ様は本当にお強いのですわねぇ? あのミチカを前にしてまだ立っている上、挑発をする余裕があるとは……見物ですね」

「『見物ですね』じゃあねぇ。本当に見物料取るぞ」

「まぁまぁ、兎に角、私はこの通りか弱いので、兄様がアレ止めてくださいよ」

「しょっちゅう僕を押し倒してる奴が何言ってんだ。ったく……」


 とは言え、このまま放置していたらそろそろ洒落にならない被害を出しかねない。多少の怪我を覚悟して、店の中へ入り──


「……ん?」


 そこでようやく、壁際の死角に残っていた席に座って、二人の喧嘩を観戦している客が一人残っている事に、僕は気付く。

 オーケストラ会場の演奏者が着るような黒の燕尾服に身に纏ったその客は、先程殴り倒されたいかにも荒くれ者と言った印象の大男達とは違い、肩まで渦巻状に伸びたこけ色の髪を持つ、紳士然とした雰囲気の男性だった。


「えっと……すいません、あなたは──」


 誰ですか。そう聞こうと僕がした時、演奏者風の紳士は二人の喧嘩から視線を外さずに、僕の発言を遮るように口を開く。


「吾輩は暴力が嫌いだ。排除すべきものだと思っている……だが、エンターテインメントとしての暴力は許容出来てしまうこのジレンマ……厄介であるな」

「……はぁ、まぁ……そうですか」


 突然記者会見を受けてる時のジャッキー・チェンみたいな事を言われ、すっかり出鼻をくじかれた僕は、そんな曖昧な返事をするので精一杯になり、自分が何をすべきなのかを数秒間だけ忘却してしまう。

 そして、不幸の女神というのは、そんな僕の数秒の油断を許さない。


「あっ、兄様、前」

「へ?」


 キミエの言葉で我に返り、前を向いた時には時既に遅し。

 チアカさんの顔面を狙って放たれたミチカ渾身の右ストレートが避けられた事によって空を切り、ボケっと突っ立っていた僕の鼻っ柱へと見事に吸い込まれ、二人の「あっ、やべっ」という台詞が聞こえたのを最後に、僕は意識を手放し、奇しくも当初の願望通りに、昼寝を強いられる事になってしまうのだった。

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