十二枚目『いい物は残る』

 ターンテーブルの上に乗せられたLP盤に針が下ろされ、スピーカーから心地の良い演奏が響いてくる。ジョーイ・ディー&ザ・スターライターズの『ペパーミントツイスト』だ。

 胸の蓋を開き、直接愉たのしげな感情を注ぎ込まれたような気分にさせられ、身体を揺らし、音楽の波に身を任せたくなるような──エネルギッシュな曲だった。

 そんな曲が流れれば、周囲にはステップやキックをする人間であふれそうなものだが、そのレコードの周りに居る誰一人として、踊れる者は居なかった。

 踊らないのではなく、

 その場に居る全員が、手を繋いで踊る格好や、机に並べられた食事を皿に盛り付けようとした格好で『凍結』し、ブリキのように動けなくなってしまっていたからだ。


「──ぐるぐる、ぐるぐる、上へ、下へ」


 そんな時がそこだけ止まってしまったような空間で、歌詞を口ずさみながら、死体や食器であるだとかを、軽やかなステップとジャンプで避ける人影が一つ。


「ぐるぐる、ぐるぐる、上へ、下へ──ワンツースリーキック、ワンツースリージャンプ」


 レコードから流れる曲に合わせて、自由に、軽やかに、好きなように踊るその姿は、寒さも、重力というしがらみすらも忘れているように思えた。


「それでは、四十五番街で会いましょう──ペパーミント・ツイスターズが集まる場所──……」


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 周囲が銀世界と化す中で、唯一の黒光りした物体兼生存者と言えるレコードプレーヤーのターンテーブルからLP盤を外し、僕は何気なく、しかし指紋が付けないように注意を払いながら手に取って、回したり、裏っ返したりして状態を確認してみる。


「なんだいそれは?」


 鑑定人の真似事をしている僕に、背後からロスさんが話し掛け、振り返る。


「レコードです」

「レコード?」

「古の時代にあった音楽を聴く為の道具なんです。この円盤とそこのプレーヤーでワンセットの」

「へぇ、これが? 実物は俺も初めて見るなぁ〜……よく残ってたもんだ」

「きっといい物だからでしょう。いい物は残るもんです。実際コイツはこの極寒地獄の中からも生き残った」


 僕はいつかにどこかの映画で聞いたような気がする台詞を、さも自分で思い付いたかのように吐く。題名は覚えてはいないが、僕にこんな台詞が思い付くとは思えない。

 しかし台詞を実際に言ってみたかったという私情を抜きに、千年前大地が失われた際、様々な記録媒体が失われた中で、当時でも既に第一線を退き、化石扱いを受けていたレコードがこうして未来の僕達に音楽を伝えているというのを、僕は奇跡だと思わずを得なかった。


「もしかすると、大地が消えたのは神の意志かも」


 僕は何気なく、心の中で呟いたつもりだったのだが、つい白い息と共に発してしまい、珍しげにレコードを眺めていたロスさんが「なんだって」と顔を上げて僕に聞き返して来る。

 大地が失われたのは、あの悪魔の様な姿をした害蟲がいちゅう達のせいだ。僕は無神論者だから何とも思わなかったが、ロスさんが神を信じている人なら今のは失言だったか、と少し焦りを覚えるが、ロスさんの顔は気に障ったと言うより、僕の発言の意味を純粋に知りたいという風だったので、僕は安心して答える事にした。


「いや、聖書に出てくる大洪水ってあるでしょう? もしかしたら、大地が滅んだのは要らない物を排除して、要る物だけ残そうって言う神の大掃除的なものだったのかも……なんて。人類の逃げ場所が空の上ってのもぽいですし」


 僕は宗教に熱心では無いが、『創世記』によれば主はもう全ての生物を絶滅させてしまうような大洪水を決して起こさないと誓ったらしい。

 だとすれば、害蟲は洪水の代わりで、巨大樹や僕達蟲狩むしかりの能力は方舟の反省なのかもしれない。大洪水よりかは良心的だが、迷惑この上ないのは変わらなかった。


「なるほど。とすると、ここは天国か」

「って事になりますかね」

「素敵だね。それに面白い……けどそれじゃあ、それ以外は天国に必要ない、不要な物だと神様は思ったのかな?」


 中々痛い所をロスさんに揶揄からかうような笑いと共に突かれたが、そもそも僕もそれほど強い意志を持った発言では無かったので、


「そもそも僕が神なら人間なんて持ち込みません。犬や猫にします」


 と冗談めかした返しを、同じく笑いながら言って、雲母きららを浮かしたような薄氷が張った床に片膝を着き、指を這わせてみる。

 氷像のようになってしまった犠牲者が撤去されてかなり時間が経過している筈なのだが、依然として鋭い冷たさを保っていた。


「それで、の仕業だと思う? 害蟲か、それとも──」

「『蟲喰むしくい』か……ですか?」


 蟲喰むしくい──いつ誰がそう呼び始めたのかは知らないが、自身に宿したその能力を、人々の守護の為に行使するのが蟲狩むしかりだとすれば、その真逆の行為、即ち自身の欲望や快楽追求のために一般人に力を行使する者達も少なからず存在する。軍ではそういった者達の事を蟲喰むしくいと総称し、警戒している。

 そういった彼等に対抗すべく、僕のようなフリーの蟲狩むしかりにも協力の声が掛かるのだ。


「後者の可能性が高いでしょうね。先程遺体を確認させて貰いましたが、誰も自分が死ぬなんて予想もしてない感じでした。恐らく参加者として紛れ込んでの犯行でしょう。そんな事、余程人に近い姿をした人蟲種でもなきゃ無理でしょう。それに、こういう要人主催のパーティーを狙うってのも、汚い金の匂いがどうしてもしますよね」


 この程度のこと、ロスさんも既に気付いているだろうなとは思いつつ、自身の推理を述べると、やはりロスさんはそう言うと思ったと言う風に、首肯する。


「うん、そうだね。今の所何も追跡の手掛かりになるものは見つかってないけど、君の言う通り、亡くなった要人が死んだ事で利益を産む人間を調べてる所だ。他の都市でも似た手口の犯行が行われているという報告もあるし、活動範囲もかなり広そうだ」

「手口……毎回一人殺すのに皆殺しってわけですか……残酷ですね」


 同時に、賢いとも思った。

 一人殺したら後の者は生かしておいても目撃者になるだけだ。それに大勢殺せば殺すほど、事件を起こせば起こすほど、裁判が長引いて、長生きできる。単に、うちの妹みたいに派手なのが好きなだけかもしれないが。

 しかしそんな事を目の前のロスさんに言っても面倒なだけなので、これもやはり言わずに思うだけにした。


「まぁ、何かあったら報告するよ。暫くはペトルトンに?」

「そうですね……けど数日程営業したらまた発つつもりです」

「そっか。まぁさっきも言ったけど活動範囲の広い奴だからここに留まる必要も無いし……君の事だから、案外行った先で知らない内に接客してそうだし」

「やめてください、本当に」

「ハハッごめんごめん──えっ、怖っ……思った百倍怖い顔してた……ほんとにごめん」

「……いえ、ロスさんが悪いという訳ではないのですが……僕の場合、想像した悪いことは大体起きるので」

「それは……まぁ……なんかごめんね?」

 

 ロスさんの優しいフォローで逆に心を痛めつつ、調査を開始する為にも一旦『ソラガメ』に帰ろうとし、二、三歩だけ歩いた所で、思い出したようにレコードプレーヤーの方を振り返る。


「…………」


 ひょっとしたら、あのレコードプレーヤーは偶然生き残ったのではなく、アレだけは凍結しないように、態々わざわざ規模を調整したのかもしれない。

 大量殺人を行うような奴が、音楽をいつくしむ心だけは捨てられなかったのかと思うと、初めて、レコードに人間の体温が宿っているように感じ取れた。

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