九枚目『最後に見たもの』

 ノブナガによる渾身の一撃を喰らったバッタ人蟲は、さながら強風に吹かれたタンポポの様に、ペトルトン上空を、為す術もなく横断していた。


「ギャッ……パッ……ォォッ! オオオオッ……!?」


 バッタ人蟲じんちゅうは思う。

 これ程屈辱的な事があるのだろうか、と。

 群れを統率し、人間を出し抜き、風を意のままに操り、自由なる蹂躙者である自分が、蟲狩むしかり相手とはいえ、たった一人の人間の小僧に手も足も出ずにやられてしまった事実に、貫かれたはらわたが煮えくり返りそうだった。

 正確に言えば、はらわたは貫かれていない。

 その内臓にも値打ちがつく為に、ノブナガが敢えて避けたのだ。

 しかしそんな事、バッタ人蟲じんちゅうが知る由もない上、知った所でどうしようも無いこと。

 ただ手加減し、もてあそばれただけという風にしか思えず、バッタ人蟲じんちゅうは更に、憤怒ふんぬの炎を燃え上がらせ──そもそもあの蟲狩むしかりとは、最初ハナから戦う予定ではなかったのだということを思い出す。

 本来なら自分は避難所に居る人間達を殺戮し、喰らい尽くし、より強大な力を得ていた筈なのだ。

 戦うにしても、その後だったなら、展開は変わっていたかもしれない。

 否、そうに違いない。

 そうなると憎むべきは、あの蝶のように身軽な人間の小娘だ。

 あの小娘を見た瞬間に何故か去来きょらいした、という本能から来る使命感のせいだ──と、確信に近い形でバッタ人蟲は思い、復讐を心に強く決意する。


「グッ……ギッ……!!」


 決意した所で、バッタ人蟲じんちゅうは首を曲げ、自身の落下地点を目視で探る。

 このまま行けば街の端、群れを引き連れ現れた、巨大な生き物の上に家があるという妙な建物がある場所へと落下するようだ。

 ふりだしに戻されるような形で尚更腹が立つバッタ人蟲だったが、段々と地面に近付くにつれて、そこに二つの人影があることを複眼で捉える。

 ツイていると思った。

 もし表情筋があったなら、きっとバッタ人蟲は高笑いをしていたことだろう。

 傷は深いが、愚かにも小僧が手加減をしたお陰で、人間を二人も喰らえば十分に回復出来る程度のものだ。

 着地と同時にあの人影を喰らい、十全の状態で小僧と小娘を嬲り殺しにしてやろう。なんなら、喰らった骸を持ってきて、これはお前の傲慢が招いた犠牲なのだと教えてやるのも一興だろう。


「ギギギガァッ!!」


 獲得した知性でそんな妄想をし、愉悦に浸りながら、落下地点に居る二人へと牙を向くのだった。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 投手も打者も出来るという、偉人の大谷翔平さながらの二刀流を披露した僕は、今からどれだけの利益を得られるかを想像しながら、愉快な気分で飛んで行ったバッタ人蟲を追い掛ける。狙い通りなら、今頃は店の前に落下し、作動した『黄蝋蟲籠ウィンター・ケージ』によって、身動きが取れなくなっていることだろう。

 野球選手じゃなければ、プロゴルファーになるのも悪くないかもしれない。


「……ねぇ、ノブ? 楽しそうな所水差すようで悪いんだけどさ」

「ん?」


 楽しそうと指摘され、目に見えて気が緩んでいたのかと、僕は気持ちを少し真面目な調子にしてから、呼び掛けたチアカさんの方を振り返る。


「どうかしましたか、チアカさん」

「どうかしましたかも何もさ……なんで私は君からこんな扱いを受けているんだっけ?」


 言いながら、チアカさんは蝋で出来た手錠によって、僕の左腕と繋がっている右手を眉をしかめて見せてくる。


「そういう趣味があるというわけではないよね?」

「当然です。もしそんな趣味があるなら、今頃は手錠ではなく、赤ちゃんハーネスとか首輪とかですよ。そうじゃないだけ、感謝して欲しいです」

「もう勝手な行動しないから許してよぉ……そこん所の信頼関係って大事だと思うなぁ〜、私」

「…………はぁ、反省してくださいよ? 人蟲種に追いかけられて生きていたなんて、運が良かっただけなんですからね。店に着いたら今朝食べなかったご飯があるので、今は我慢を──」

「なぁ〜んだご飯があるなら先にそう言ってよぉ!! だったらノロノロ歩き過ぎだよ! ほらほらテンポアップテンポアップ! ハリーハリーポッター!!」

「──食欲に正直しょうじき……いや、正喰しょうじきな人ですね。全く」


 僕は腕を引かれながら、呆れて苦笑する。とは言え、僕自身、手に入れた獲物を早く確認したいと逸る気持ちがあったので、チアカさんに無理矢理引っ張られる振りをして、歩む速度を加速させる。

 そして、あともう少し、路地を曲がればもうすぐそこに目的地が現れるというところで──


「グギャアァァアアアアッ!?!?」


 というバッタ人蟲の耳を劈く断末魔と、それを上回る程の凄まじい爆発音が響き渡る。


「ホワァッ!? な、なになに!?」


 もうすぐ空腹を満たせると張り切っていたチアカさんも、流石の轟音に驚き、曲がり角に差し掛かった所で、踵による急ブレーキを掛ける。

 急ブレーキなのだから、当然僕に対して何の配慮もなく急にやったのだが、僕はそれで前のめりになってつんのめる様なことはしなかった。

 それよりも先に、僕は歩く速度を緩めていたからだ。

 どれくらい先かと言うと、『ドカーン』の『ド』の時点で、僕は歩く速度も、笑顔も、生気も落としていた。

 音を聞いた時点で、嫌な予感がしてしまったからだ。

 この街で、あんな音を出せるヤツを、僕は一人しか知らない。

 そして、僕の嫌な予感はよく当たった。


「ねぇノブ今の──え? 死んでる?」


 音の事について僕に聞こうとしたであろうチアカさんにも、そう言われるくらいなのだから、僕の顔面の青白あおじろさは、鏡を見るより明らかだった。

 そして、そんな立ってるだけの死体と化した僕に追い打ちをかけるように、上からヒューッと風を切って、ドサッと目の前に何かが落ちてくる。

 その何かは、本当の死体と化したバッタ人蟲の、千切れ飛んだ頭だった。


「「ギャアアァァアアアアッ!?」」


 僕とチアカさんの絶叫が重なる。

 但しチアカさんが叫ぶ理由と、僕の理由は違うだろう。

 近くで見たバッタの顔付きは髑髏どくろによく似ていて、尚更に生首がよく似合っていた。

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