七枚目『準備運動』

 目覚めて最初に見たのは、土煙でよく見えない、見知らぬ天井だった。

 どうやら胸に衝撃を受けて跳ねた僕の身体は、近くにあった家屋の中へと突っ込んでしまったらしい。

 ただでさえ心臓が破裂するような激痛がすると言うのに、修理費について考えると頭痛がしてきた。


「──カハッ」


 土煙にまみれて倒れながら、肺の中身を吐き出すようにして、僕は忘れていた呼吸を取り戻す。

 どうやら、バッタ人蟲じんちゅうの攻撃を避けられないと回避を諦め、山勘で蝋の鎧を左胸に全集中で構築したのが幸をそうし、ダメージを最小限に抑えられたらしい。

 今の一連を『幸』と呼べるかどうかはさておいて。


「クソッ……それでも肋骨が何本か折れた、か……」

「──お〜い!! ノブ大丈夫〜!? なんかコケたら吹っ飛んでんだけど!?」


 そんな風に、僕が九死に一生を得ていると、先程吹き飛んできた方角から、チアカさんの声が響いてくる。

 後で絶対泣かせる算段を立てながら、恨むような瞳をチアカさんの方へ向けると、彼女の背後で揺れ動く、黒く大きな影が見えた。


「ッ! 後ろッ!!」

「へ?」


 僕の叫びに、慌ててチアカさんは後ろを振り向く──が、振り返った時には既に、バッタ人蟲が、花のように大口を開け、彼女を喰らおうと迫っていた。


「グギャギャギャギャッ!!」

「うぎゃあああ〜ッ!? 死ぬぅ〜ッ!?」


 そのままチアカさんの頭が一口に喰われるより早く、野球ボールに似せて創った蝋の球体を投擲し、バッタ人蟲の口の中へと、吸い込まれるように呑み込ませる。


「ゴガッ!?」

「『黄蝋雪球ウィンター・スロー』──『悪戯者アーチン』ッ!!」


 僕は硬球の中に仕込んでいた種を開花させ、無数の棘によって、バッタ人蟲じんちゅうの頭を串刺しにする。


「うわっ!? 絶対口内炎になる! 痛そ〜……」

「馬鹿言ってないで、今の内にこっち来てください!」


 そのまま、僕が叫ぶと、チアカさんは「はーい」と緊張感の無い返事をしながら、小走りでこちらに向かってくる。


「いや〜助かったよ! ありがとね、ノブ!!」

「いえいえ、借金返済前に死なれると困りますから」

「し、借金返済後も助けてくれたよね?? ねっ!?」

「…………」


 ノーコメント。

 僕は誤魔化しも兼ねて、チアカさんにずっと気になっていた事をたずねる。


「しかし、何故チアカさんはバッタ人蟲と仲良くランニングを……?」

「いやそれがさぁ〜、あの子避難所にたった一匹でやって来てさぁ」

「なんですって!? 避難所に!?」


 やはり最悪の予想は当たっていたようだ。

 いつもこうなのだ。

 僕が困るとか、嫌だと思うような事は必ず起きる。

 そのせいで、僕が買った銘柄は毎度大暴落するし、妹達からは『逆天気予報士』なんて不名誉なあだ名で呼ばれてしまうのだ。


「被害はどれ程ですか? 貴女がここに居るという事は、僕の保険は破られたという事でしょうが……」

「保険? ……ああ、あの壁の事? いやぁ、それは大丈夫。私元々外に出てたし」

「……は? 何故?」

「お腹空いちゃって! 食べ物探そうと外に出た所であの子に追い掛けられたから被害もそんなに無いよ! ……あっ、そうそう、君食べ物持って──イダダダ!? やめへ〜!! なんへほほをひっはるほ〜!?」


『いつか』では無く、今ここで泣かせてやろうかと僕が無言でチアカさんの両頬を引っ張り続けていると、グシャッという肉が破裂する音と、凄まじいバッタ人蟲じんちゅうの断末魔が響いてくる。


「ヴォルシャアァァアアアッ!!」

「おっと、やはり今のでは仕留められませんでしたか……。フフフッ、益々ますます欲しい……人蟲じんちゅう種ッ!!」

「リカちゃんを目の前にした夏油みたいな事言ってる所悪いけど、なんかやっば〜い雰囲気だよ……?」


 チアカさんの言う通り、バッタ人蟲じんちゅうは口内炎だらけにした僕に対して激しい怒りを露わにし、ミサイルの如き速度で突進してくる。


「キタキタキタキターッ!?」

「──『黄蝋流壁ウィンター・ドーム』」


 慌てるチアカさんとは対照的に、僕は慌てる事無く前方に蝋で出来た半ドーム状の壁をつくり出す。

 壁は、表面が溶けた蝋によって加工されており、僕達へもたらされたであろう破壊のエネルギーは、バッタ人蟲じんちゅうの身体ごと後方上部へと受け流していく。


「ギャッ──!?」


 よもや、自身の攻撃が受け流されようとは思いもしなかったのだろう。

 天地がひっくり返りながら吹っ飛んでいくバッタ人蟲じんちゅうに向けて、僕は避けようのない一撃を投擲する。


「『黄蝋穿槍ウィンター・ジャベリン』ッ!!」


 左胸でモロに槍を喰らったバッタ人蟲じんちゅうは、先程の僕よりも一枚多く家屋の壁をぶち抜きながら、僕とはまた別の家屋へと突っ込んでいくのだった。


「はぇ〜、ビビったァ〜……にしても君、やっぱりというか……根に持つタイプなんだね」

「は? 何がです? 全然ですけど? ……って、ああクソ! また壁ぶっ壊してしまった……。でもまぁ、スッキリし──ンッンン!! 狩る為に必要な犠牲でした。うん」

「うわぁ〜……でもまっ! これで安心してご飯を──」

「いいえ、まだです」


 踊るような足取りで懲りずに街へと繰り出そうとするチアカさんに向かって僕はそう言いながら、首根っこを掴み、急ブレーキを掛ける。


「ぐぇ〜ッ!? いきなり何すんのよ! もう!!」

「まだ狩りは終わっていません。離れると危険ですよ」

「へ? 終わってないって……だってあの子心臓を貫かれて──」

……蟲狩むしかりは要らないんですよ」


 すると、そんな僕の言葉に同調するようにして、バッタ人蟲じんちゅうが突っ込んだ家屋が、特撮のミニチュア爆破さながらに吹き飛ぶ。


「嘘!? ほんとに生きてた!?」

「驚くのは、まだ早いと思いますよ」


 そのまま落下するかと思われた家屋の残骸は、突如吹き荒れる風に乗って、たけり狂う竜巻を形成し始める。


「ウ〜ソ〜で〜しょ〜!?」


 結構呑気していたチアカさんも、余波だけで肉体が浮かび上がってしまう程の、回転の圧力に気圧されてしまう。

 対する僕の方はと言うと──


「おやおやおやおやおや♡ 活きがいいですねぇ〜? ……フフフッ、一体どれだけの値打ちが付くのか……ウフフフフフフッ……今から楽しみですねぇ〜?」


 高級食材を目の前にして、頬が裂けるような、紳士らしからぬ下卑た笑みをつい、浮かべてしまうのだった。

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