六枚目『トラブルメーカー』

 時は少しさかのぼり、ノブナガが害蟲がいちゅうを捕えるための罠をつくり出していた頃。

 チアカ・マーティネーは特にする事もないので、素直にノブナガの指示に従い、避難所までやって来ていた。


「へぇ〜! ひっろいなぁ〜!!」


 避難所は巨大樹に出来た空洞を利用したもので、ペトルトンの住人が一斉に押し掛けても窮屈きゅうくつに感じ無い程に広く、天井や壁に生える淡く緑色に発光する不思議なコケのお陰で、緊急事態であるとはいえ、どこか神秘的な光景がそこには広がっていた。


「…………にしても、お腹空いたなぁ〜。そういや街に興奮しちゃって朝飯あんま食べられなかったしなぁ〜。食べ物、無いかなぁ〜」


 しかしチアカにとっては花より──もとい、コケより団子。

 早い段階で広く、美しいだけの避難所に飽き始め、食べ物を探しに避難してきたばかりの外へ出ようとする──が、


「……ん? おいおい、ちょっと待ちなさい。何してる?」


 当然、そんな危険な事が許されるはずも無く。入口で門番をしていた兵士に散歩を阻止されてしまう。


「いや〜、朝ご飯食べてないからお腹空いちゃって……あっ、食べ物持ってない? 携帯食料的なのでもいいんだけど」

「……ふざけてるのか? 君」


 そう兵士が聞きたくなるのも無理は無いが、残念な事にチアカは本気だった。

 間近で害蟲がいちゅうの恐怖を目撃して尚食欲を優先出来るのは、一周して尊敬出来る──かもしれない。


「大マジ。お腹ペコペコちゃんなんだけど……あっ、そこの君は? 持ってない? 持久戦になるかもしれないのに? マジで? 腹が減っては戦は出来ぬって言葉ってもう廃れて──」

「いい加減にしなさい! 危険だから中に戻るんだ!!」


 ふざけた調子で絡んでくるチアカの言葉をさえぎるようにして、兵士は怒声を上げるが、その声が上がるよりも早い段階で当の本人はとっくにだる絡みを辞め、石柘榴ガーネットの瞳と、褐色の人差し指を兵士の背後へと向ける。


「危険って……アレとか?」


 言われて兵士達が振り返ると、そこには一体のバッタ害蟲が、こちらに向かって接近してくるのが見えた。


「ッ!! 害蟲がいちゅう接近!! アレは……人蟲じんちゅう種!?」


 兵士の一人が発した通り、それは先程チアカが見た害蟲とは姿形が違っていた。

 肉体はバッタと人間の半人半虫と言ったような姿へと変わり、歩行も六足歩行から人間と同じ二足歩行へと変え、堂々と隠れる事無く、兵士達の背後にある避難所を目指して向かってくる。


「クソッ! 蟲狩むしかりめ! 取りこぼしたのか……!? 『黄蝋鉄壁ウィンター・ウォール』を発動しろ! 迎撃げいげきするぞッ!!」

「ウィンナー? さっき聞いたような……って、うわっ!?」


 迫ってくるバッタ人蟲じんちゅうの方を向きながら、一人がそう叫ぶと、チアカがさっき出てきたばかりの出入口が瞬時にによって閉ざされ、兵士達は訓練された統率の取れた動きで短機関銃ライフルを構えると、暴風雨のような弾幕を、たった一体の対象に向けて、集中放火する。銃声に驚いた住人のくぐもった悲鳴が、蝋の壁越しに聞こえてくる。

 遮蔽しゃへい物もない場所でそんなものを注がれれば、いかに害蟲と言えども避ける術などない──筈だった。


「────」


 そんな暴風雨の中を、バッタ人蟲じんちゅうは怯むことなく、針のように狭い弾丸の間をれ違いながら、蛇行突進で兵士達との距離を詰めてくる。


「なッ……!?」

「ヒッ──」


 そして、その散弾銃ショットガンに匹敵する破壊力を持つ強靭な脚でもって、兵士の頭が粉砕されそうになる刹那──

 チアカは兵士を後ろから足払いする事で、間一髪それを回避させる。


「た、助かった……!!」

「すっげぇ〜……弾丸避けちゃったよ、あの子」


 何故そんな、熟練じゅくれんの武闘家のような芸当が出来たのか、チアカにも分からなかった。

 頭で考えてやった行為では無く、考えるより先に体の方が動いていたからだ。

 名も無き一般人の悲鳴を聞いて、からだ。

 ひょっとしたらこれが、彼女の失った記憶を取り戻すヒントになったのかもしれないが、そんな事を考える余裕は現在進行形で存在しなかった。

 攻撃を避けられたバッタ人蟲じんちゅうは、兵士に九死に一生を与えたチアカに狙いを変え、二発目の蹴りを繰り出す。


「うぉッ──!?」


 チアカは一歩後ろへ下がり、身体を左へと回転させ、蹴りをかわす。躱されたバッタ人蟲は無理矢理勢いを殺してピタリと止まると、今度は踵を斧のようにして、チアカの首に振るう。掠っただけでも致命傷になり得そうな強烈な一撃を、チアカは南半球を描くようにしてまたかわし、その過程で倒れた兵士が落とした短機関銃ライフルを拾い、宙に扇を描くかのように、大きな複眼目掛けて振るう。

 バッタ人蟲じんちゅうから小さな悲鳴が上がり、隙が出来た所で、避難所から一気に距離を取り、振り返る。


「君も腹ぺこって感じぃ? いいぜぇ〜、こっこまーでおいで〜!!」


 そんな挑発を買ったのか、それとも複眼に鉄塊をぶつけられた鬱憤うっぷんを晴らす為か、避難所を完全に無視し、自身のしりをタンバリンの如く叩いて鳴らしながらコケにしてくるチアカに向かって、親玉は地面の破裂音と共に跳躍する。


「アハハッ! キタキタ〜!!」


 飛び交う銃弾を平気で避けるような怪物に追いかけられながらも、チアカは満面の笑みを浮かべ、街の方角へと逃げ去る。


「な、なんなんだ……彼女は、一体……?」


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 ──以上のような経緯を経て、チアカさんはは避難所に居る人達の命を救いつつ、当初の目的である街を出たいという目的をちゃっかり叶えるのだった。


「…………はぁ??」


 しかしそんな経緯があったことなど知る由もない僕は、只々ただただ、目の前に迫り来る光景に困惑していた。

 避難所に向かうだけの簡単なことが、一体どうやったら一番危険な存在を引き連れ、戻って来るなんて結果になるのだろう。

 自分の運の無さが嫌に──否。

 探す手間が省けただけマシとしよう。

 ネガティブな感情は仕事のクオリティを落とす。

 それと、これは先程予想し、後程確信に変わった事なのだが、あのバッタ人蟲じんちゅう最初ハナから僕達蟲狩むしかりを倒す事を諦めていたようなのだ。

 三方向から進軍させる事で囮とし、算段だったようだ。

 『ブルーロック』に出てきそうな究極の自己中心的エゴイスト作戦だが、保険があったとは言えあと一歩の所で、最低でも民を護る兵士の何人かがバッタ人蟲じんちゅうのランチになっていただろうし、この僕が『知性なら、僕だって持っている』とかドヤ顔してた裏でまんまと計画通りにされていたのかと思うと、恥ずかしすぎて自分を蝋人形に変えてしまいたい。

 そう考えれば、チアカさんに対して三つ指を付き、感謝の念を示すべきなのかも──


「あれ? 無視? お〜いノブ〜!! 助け──うぉわぁっ!?」


 と、僕が乱れた心の安寧あんねいを取り戻そうとしていると、チアカさんが段差か何かで転び、僕の視界から消える。


「──ん?」


 瞬間、本来ならチアカさんの背骨を粉砕する為に放たれたであろうバッタ人蟲じんちゅうの飛び蹴りが、チアカさんに代わって僕に迫り、


「オゴフォッ!?!?」


 心臓に見事命中クリティカルヒットするのだった。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 この時、吹き飛ばされながら僕は、

 絶対にチアカさんに感謝なんかしない。

 そう、破裂寸前の心臓に誓うのだった。

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