四枚目『天敵同士』
目を
文字通り、チアカは目の前の光景より、記憶を失くした自分の目の方にこそ異常が起きているのだと思った。
だが、耳をつんざく人々の悲鳴、足元から全身へと
五感全てを通して、嘘では無いと伝えてくる。
チアカは正気だ。
正気じゃないのは世界の方だった。
「なにあれ……」
答えを求めない問いが、自然とチアカの口から漏れる。
バッタの姿をした人間大の怪物が、晴天を
ノブナガの空飛ぶ店や、巨大樹を見た時とは別ベクトルの高鳴りが、胸に響く。
チアカは何をどうすべきかわからず、その場に動けないでいると、
「チアカさん。避難してください。場所は逃げる人達が教えてくれますから」
背後から、チアカがこの世界で最初に聞いた声が、名を呼ぶ。
振り返ると、そこには癖があるせいかオールバックになり切れてない黒髪、黒い
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「ノブ! 避難って……てかアレ何!? でっかい虫の化け物ッ!!」
自分の記憶が無くなっても特に狼狽える事の無かったチアカさんでも、流石に
「名前は周りが言っている通り、
「天敵って……ん? 『避難して』って、ノブは? 一緒に逃げないの?」
「僕は行きません。稼ぎ時なので」
言いながら、僕は視線をチアカからバッタ
「ちょっ、どこ行くの!? 稼ぎ時って、この状況じゃ店にお客さん一人も来ないんじゃないのォ!?」
「レストランじゃありません。後で説明しますから、
振り返ることも、立ち止まる事も無くチアカさんにそう言いながら、僕は鼓動を確かめるように、左手を自身の左胸に当て、内部に意識を集中する。
普段と変わらぬトクトクという鼓動が、正常に血流が働いてる事を僕に教えてくれる。
すると、僕に気付いたらしい天空の暗雲がざわざわと動き始め、その内の威力偵察役であろう三体が群れを離れると、こちらに向かってミサイルの如く降下してくる。
「何して──逃げてッ!!」
危機を知らせるチアカさんの声を、実際の所僕は聞こえていなかった。
声だけでは無い。ボリュームつまみを操作するように、意識的に外部の音を遮断する。
そして、三体のバッタ害蟲が目と鼻の先まで接近すると同時に──唱える。
「
刹那、僕の左手には一本の黄色い槍が出現し、それを迫り来る内の一体の脳天へと、熟練の看護師が患者の血管に注射針を刺すような
「『
更にそのまま、バッタ
槍から柄の長い棍棒へと変化したそれを横薙ぎに振り回すことで、僕は残る二体の脳天をその棘で貫き、粉砕する事で
「──よし、討伐数二……頭部以外は外傷も少ないですし、これなら良い値段で──」
「い、今のって……」
三体分のバッタ
「おや、まだ居たのですか。見ての通りここは危険ですよ」
「やっ、それもそうなんだけど、君その胸とか肌のそれは……」
そう言ってチアカさんが指差す僕の左胸には、一輪の
「ああ、これは──」
「すんげぇかっけぇ〜ッ!! 今のどうやったの!? なんかブルンッとかウィンナーなんちゃらって技名みたいなのも言って……そんなスーパーパワー持ってたんなら言ってよねぇ〜!!」
……てっきり
やはり感性が子供なのだ──それも男児寄りの。
「別に……これも隠してたわけじゃないんですがね。記憶喪失の人に一から説明するには、必然と話が長くなってしまうので中々タイミングが……」
「なにそれ授業? 私授業嫌いなんだよね」
「勉強出来ない世界線の五条悟みたいなこと言わないでください」
と言うか、授業どころか、こんな漫才をしている場合でもないのだ。
僕は気を取り直し、先程三発のバッタミサイルを発射した暗雲の方へと向き直ると、暗雲は僕を危険度の高い敵と見定めたのか、一塊だった群れを三つに分離させ、それぞれを別のペトルトンの端の方へと、ゆっくり降下させていく。
「三方向からの同時進軍か……面倒な事しますねぇ……」
「陣形を組んだってこと? へぇ〜! 頭いいんだなぁ〜虫なのに。……ん? それって普通にヤバくない?」
「はい。実はヤバいです」
「ノブ以外に戦える人居んの?」
「居ませんね。一応兵士は居ますが、バッタの害蟲は一体が猟銃を持ったプロの狩人が10人がかりでやっと仕留められるレベルの強さはあるので」
「『トリコ』の捕獲レベル一くらいはあるのか、ヤバいね」
おぉ、伝わった。
今時の同い歳は、ワンピースもトリコも古典の部類故に理解者が少ない為、こうやってボケを拾って貰えるのは何気に嬉しかった。
そんな場合では無いというのは百も承知しているが。
そんな時だった。
僕の腕時計に二件の通知が入る。
「ん? どした? 何見てんの? アップルウォッチ? こんな世界でもアイフォンとか続いてんの? スティーブ・ジョブズ凄いねぇ〜」
「……良いニュースと悪いニュースです。良いニュースは、左右に別れた二つの群れについてはなんとかなりそうです」
「ほんと!? やった! けどあんま嬉しそうな顔じゃないね? そんなに悪いニュースが控えてんの?」
チアカさんの指摘通り、今の僕の表情と心の中は、ご機嫌と言える状態では無かった。
そして、僕が悪いニュースの『わ』の字を発音するよりも早く、それは起こった。
左右に降下した二つの群れの方から、激しい爆炎と爆発音が右から、街の土台たる巨大樹程では無いが、家一つは超える大きさをした桜の木々が咲いては散るという光景が左から、繰り出される。
「──早速始まってしまったようですね」
「始まってしまったって……アレが群れを何とかしてくれる良いニュース!?」
「同時に悪いニュースでもありますがね……さて、急いで働かなくては。今日の稼ぎ分が消えてしまう」
「稼ぎ……てっきりノブはレストランの料理人かなんかだと思ってたよ」
「そっちは副業でこっちが本業ですよ」
「本業? 一体ノブは何者なの……?」
説明不足の詫びという訳では無いが、それくらいは答えてやろうと、僕は向かう前にチアカさんに一言、
「僕は
そう言い残すのだった。
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