三枚目『初めての世界』

「すっごぉ〜いッ!!」

「待ってくださいチアカさん。せめてサンダルか何か履いてください」


 船着場に店を停めるなり、テーマパークにやってきた子供のように興奮したチアカさんは、裸足で街へと駆け出していく。


石畳いしだたみだ! ハハハッ、枝なのに!! なんでぇ?」

「人工に施工せこうしたものではなく、石のように硬質な樹皮が石畳のように見えているだけです。平坦なのは、人が何度も通ったからですね」

「これが天然!? へぇ〜……ん? 君の店って……」

「ん? ああ、気付きましたか」


 灯台もと暗し──と言うと、表現がいささか大袈裟な気もするが、暗い夜に、店の入口前で倒れていたチアカさんは、僕の方へと振り向くことで、ようやく店の外観を知る事になる。


「亀だ! 甲羅が店になってるッ!!」

「知っていましたか。旧時代……海があった時代には数多く存在した、ウミガメって生き物をモデルにしたんです。店の名前も、まんま『ソラガメ』」

「いいねぇ! 魚だったら益々バラティエのパクリって言われてたろうし……ああけど、若干飛行形態のガメラに似てるような……」

「何かに似てるって話は辞めませんか?」


 心外である。

 大体、チアカさんの知識の中では比較的最近の作品なのだろうが、とっくに著作権は切れている筈だ。

 ……チキショウ、なんか羨ましいなぁ。


「──なんて場合じゃありませんでした。行きましょうか、チアカさん」

「えっ、あっ、待ってよ〜。行くってどこへ?」

「買い出しです」

「買い出し!? 餅ッ!! 餅買いに行こうッ!!」


 借金している身の癖にまだ食べようとするチアカさんの底無しの食欲に呆れ、僕は溜息をく。

 そもそも借金を返す気があるかすら怪しかった。


「まぁ、チアカさんが在庫全部食べちゃったのでそれも買いますがね。先に貴女あなたの日用品や衣類も手に入れなければ」

「おっ、ショッピング? いいねぇ〜!!」

「あっ、でも記憶喪失なんで医者に診てもらう方が──」

「医者は嫌ッ!!!!」


 子供のわがままのような台詞に黙らされ、やれやれという雰囲気で、道を知らない癖に市場へと走って向かうチアカさんを追い掛けるのだった。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「ここです」

「──わぁ〜っ……」


 辿り着いたのは、僕が贔屓ひいきにしている仕立物屋だった。

 店内の衣桁いこうには服の材料となる色鮮やかな絹織物がずらりと陳列ちんれつされており、初めて見た時はチアカさんのように圧倒されたものである。


「あら、ノブナガちゃんいらっしゃい。今日は何用かな?」


 そんな事を思い返していると、店の奥から僕の名を呼びながら、品の良さそうな中年の女性が顔を出す。

 彼女の名はノエル。

 この仕立物屋の店主であり、美しい肌、ほっそりと引き締まった身体を持ち──礼儀として年齢は秘匿ひとくするが──僕が記憶している年齢より十代は若く見える女性だった。


「お世話様です。女性物の服を何点か仕立てて貰えますか?」

「ハハッ、なんだい、また妹ちゃん達の背が伸びたのかい?」

「ハハハッ、違います」


 そうであってたまるか。


「お願いしたいのは妹のではなくこちらの──」

「チアカ・マーティネー!! 好きな食べ物はきな粉餅だよッ!!」


 僕が紹介するよりも先に、僕の背中を跳び箱のように超え、チアカさんは元気ハツラツな自己紹介と共にノエルさんの手を奪い、強引に握手を交わす。


「おやおや、元気いっぱいな知らない顔の子だ。ノブナガちゃんってば、こういう子が好みだったのだねぇ」

「違います。軽くセクハラですよそれ。ワケあってしばらくの間世話する事になりましてね……まぁ、拾った責任って奴です」

「そうそうお世話になって──って、ちょいちょ〜い!? 人を捨て猫扱いかよ!!」

「猫? その食い意地と落ち着きのなさはどちらかと言うと犬では?」

「おっほぉ〜!! 喧嘩かぁ〜?? 全世界の愛犬家に代わって土下座させてやんぜッ!!」


 ゆらゆらと体を揺らしながらファイティングポーズをとり、野蛮な暴力を僕に振るおうとチアカさんがすると、しばらくやり取りを静観していたノエルさんが、笑ってそれをいさめる。


「仲がよろしくて何よりだけどね、店で暴れるのはよしておくれ。さて、服の方だがね、ランチタイムが終わったら取りに来るって事でいいかい?」

「ええ、お願いします。これから他にも買う物があるので」

「んっ、りょーかい。精々デートを楽しんでくるんだよ」

「買い出しですし、そういうんじゃありませんて……じゃあ頼みましたよ」

「……え? え? ちょっ、ちょっと待ってよ!」


 注文を終え、僕が店から立ち去ろうとするのを、チアカさんは顔に『意味不明』の四文字を浮かび上がらせながら、僕の手首を掴んで止める。


「なんです? まだ何か?」

「いやいや、行っちゃっていいの? 測定とかしなくて……」

「ああ、大丈夫大丈夫。えっと……チアカちゃんだっけ? 問題ないよ。大体見ればわかるからね。不安なら確認の為にスリーサイズを今ここで──」

「わぁ〜!? わかったわかった!! みなまで言わんでいいからねぇ〜!!」


 ノエルさんがデリカシー無視のストレートセクハラ発言をする前に、チアカさんは僕の背中を押して店の外へと逃げる。


「ふぅ〜、危なかったぁ……。危うく乙女の秘密が暴かれる所だったぜ」

「まぁ、ノエルさんの発言は当然問題ですが、チアカさんもそういうことを気にするとは……少し意外ですね」


 自分の指だって平気で舐めるくせに。

 チアカさんの中の境界線はだいぶ歪らしい。


「あっ、そういえばあの人『妹ちゃん達』って……ノブって、妹が居るの?」

「ん? ええ、妹が二人……って、僕の部屋で寝たなら家族写真あったでしょう?」

「あれ? そうだっけ? すぐベッドに潜っちゃったからわかんなかったや。達ってことは一人じゃないよね? 何人? 可愛い系? 美人系? ってかどこに居んの?」

「…………」


 別に隠していた訳じゃなかったが──ここまで質問攻めに遭うならそうするべきだったか。


「双子です。系統……見た目は美人だと思います。今は仕事を頼んでいて出張を」

「へぇ〜! 兄妹で働いてるんだ! それってなんだか素敵ッ!!」

「──……そうですね」


 僕がチアカさんの言葉に、微笑み、首肯した時だった。


「ッ!!」


 突然、街に設置された拡声器が音を立てた。一つでは無い、街中に設置された全てから、金属を引っ掻いたような警報が大音量で鳴り響く。


害蟲がいちゅうだ!! 害蟲がいちゅうが来るぞォッ!!」

「避難所へ逃げなきゃッ!!」


 そんな悲鳴が街中で上がり、街の住人達は一斉に巨大樹のある方へ、一目散に走っていく。


「な、なに? ガイチュウ……?」

「どうやら──貴女あなた以上に面倒なのが来たようだ」


 僕は言って、人々が逃げる逆方向へと視線を向ける。

 名に『蟲』と入る通り、長い顔の先に付いた短い触覚、長く発達した後脚を持つそれは、トノサマバッタ──それも、集団の中で生きる内に餌が無くなり、飛翔力と凶暴性を得た『群生相』と呼ばれる姿によく似ていた。

 だがしかし、その体格は足元を飛び跳ねて移動するちっぽけなものではない。人間大の巨体を持つ怪物であった。

 しかも、一体や二体ではない。

 百を優に超える群れとなって飛翔し、『ヨハネの黙示録』にすら描かれた大災害──蝗害こうがいとなって、

 ぶう──……んという地鳴りと共に、迫り来るのだった。

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