二枚目『新しい人類の故郷』

 僕の店で働く事が決まった記憶喪失の少女、チアカさんを店の床で眠らせるのは気が引けた為、店の二階にある僕の部屋のベッドを使ってもらい、僕は店の床で寝袋を使って眠る事にした。


「では、一泊金貨二枚となりますので、先程の食事代と併せてこの契約書にサインを」

「えぇ〜っ!? お金取んのォ〜?」

「当たり前です。金貨二枚なら民宿として妥当だとうな値段でしょう?」

「そうかぁ……ってか金貨って? ポンドじゃないの?」

「……マジですか」

「大マジ」


 ポンドと言えば、教科書のコラムでしか見ないような大昔の通貨概念だった筈だ。

 数を数えられると言っていたが、記憶喪失の影響で知識に少々混乱があるらしい。

 ──もしくは、記憶喪失に加えて、過去からタイムスリップして来たとか。

 この際、どちらであっても驚きはしない。

 紙幣というのは発行した政府に信用があるからこそ通用する。政府にそこまでの信用が無い現代においては、そのもの自体に価値のある金貨、銀貨、銅貨のみが、通貨として使用出来る。

 彼女の言うスターリング・ポンドの概念で考えるなら、金貨一枚で約二十から二十五ポンド、僕の人種の人達が使っていたとされる日本円なら三千から四千円。

 今回は金貨二枚なので、一泊約五十ポンドということになる。


「ふ〜ん。そういや、君の名前なんてぇの?」

「興味の移り変わり早いですね」


 ツッコみつつも、そういえばしていなかった事に気付き、切り替えるようにせきを一つしてから、改めて僕はチアカさんに名乗った。


「ノブナガです」

「信長!? じゃあ苗字は織田!?」

「いえ、ノブナガが苗字で、名がマサノリです」

「へぇ〜。藤原雅教ふじわらのまさのり? フルネームに偉人の名前が二つもあるんだ! 二倍偉いね!!」

「ポンドの件と言い、歴史が得意なんですか?」


 理系科目は不得意な癖に世界史とかは得意っていうありがちな文系かよ。


「ん〜? そうかも……あっ! 記憶を無くす前は歴史の教師だったのかも!!」

「…………」


 賭けてもいい。

 それだけは、無い。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 というやり取りがあったのが、昨晩のことである。


「……ふぅ」


 時刻は朝六時。

 まだチアカさんは起きていないようなので、起こしに行くより先に厨房へ向かい、二人分の朝食を調理する。

 ソーセージからパチパチと弾けて焼ける音と、香ばしいパンの香りが漂い、暖かい雰囲気をそこに作りあげる。


「うん、銀貨九枚といったところか」


 満足のいく出来に僕が妥当な値段を設定したその時だった。


「──うっぎゃあぁぁあああッ!?!?」


 二階の方から、寝起きとは思えないチアカさんの感嘆符かんたんふだらけな悲鳴が聞こえ、次に彼女の居場所を明確に報せるドタバタという足音が近付いてくる。


「起きましたか、チアカさん。丁度朝食が出来た所ですよ」

「えっ、ほんと!? わ〜い!! ……じゃなくてッ! 大変なんだよノブ!!」

「……記憶喪失で帰る家が無い以上に?」

「……そ、それ言われると痛いけど……と、とにかくこっち来て!!」


 そう言って、チアカさんは興奮した様子で僕の腕を抱き着くような形でしっかりと掴むと、有無を言わさず、強引に僕を窓の近くまで引っ張っていく。


「窓の外見て! 窓の外ッ!!」

「外……? あぁ〜……いい天気ですね?」

「ちっが〜う!! もぉ〜! よく見てよッ!!」


 チアカさんは窓を開け、僕の後頭部を掴んで外をよく観測させようとするが、生憎あいにくと僕には抜けるように澄み切る青空しか見えなかった。

 だが──問題はそこなのだということを、続く彼女の言葉でようやく悟る。


「だーかーらーッ!! 地面がッ! この店、!?」

「──……あぁ〜……」


 そういう事か。と、僕は溜息を吐きながら、心の中で一人納得する。

 エキゾチックな見た目と、英国人っぽい名前をしている割に日本の偉人に詳しいせいで、ポンドに慣れているのも歴史に詳しいからこその弊害だと思っていたが、違う。

 何故か分からないが、彼女の知識は、世界観は、未だポンドを使う事が出来る時間で止まっているのだと、これで面倒がまた一つ増えたのだということを、僕は理解する。


「なぁに? その納得した感じ?」

「ああ、なんでもありません。なんと説明したら良いのか……『カールじいさんの空飛ぶ家』は知ってますか?」

「……? ディズニー映画の? 風船で家が飛ぶヤツ」

「ピクサー映画です。まぁ別に間違いじゃないですけど……僕は冒頭のカールとエリーの出会いと死別までの描写が好きなんですが……とにかく、あの映画みたいに、この世界じゃ家くらい普通に空を飛びます」

「…………アレは映画だよ? 何言ってんの? ノブ」


 いい例えだと思ったのだが、理解力はそこまで高くないらしい。

 チアカさんの境遇を考えれば、無理からぬ事なのかもしれないが、僕があわれむような目線を向けられるのはいささか納得がいかなかった。


「……論より、証拠を見せますよ」


 言いながら、僕はバーカウンターへと向かい、背後に並べてある酒の一つを手前に引く。すると、テーブルがオセロ石のようにひっくり返り、操作盤が露わになる。


「カッケェ〜〜~〜ッ!?!?」


 真っ赤な瞳に綺羅星を宿して興味津々になるチアカさんを放って、僕は店の外に設置された外部カメラの映像を頼りに『目的地』へと店を寄せる。


「チアカさん。三時の方向……僕から見て、右手の窓を見てください」

「え? 窓?」


 彼女は言われるがまま、窓を覗き込み、彼女は──


「なに……あれ……?」


 と発したきり、絶句する。


 そこにあったのは、一本の巨大樹だった。

 メートルではなく、キロで表記すべきような。

 そらへ、そらへ、宇宙そらへと、突き上げるように真っ直ぐ天に伸びた、巨大な樹木。

 世界各地のあらゆる神話において、『世界樹』や『生命樹』と伝承されるそれが、現実として目の前に堂々と存在しているだけでも驚愕に値するが、更に驚くべきなのは、その巨大樹にしがみつくようにして、街が、人の営みが存在していることだった。


「でっかい木に……街……? 一体……」


 夢でも見ているような表情をするチアカさんを見て、心の調子が良くなった僕は、ツアーガイドのような口調で答える。


「ご紹介致します。あれなるは今は無き大地の代わり、新しい人類の故郷の一つ──


飛花ひか都市・ペトルトン』でございます」

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