初遭遇編

一枚目『ゴミを捨てただけなのに』

 レストランの営業時間が終わり、残ったゴミを処理する為に店の外へ出ると、そこには、今にも星が降ってくるような、一つ一つが砂金のように輝き揺れる、圧巻の星空が広がっていた。美しいと感じつつも、本当に砂金が降ってきたらいいのになと考える自分が居て、一人で笑えた。

 、周りには雲一つ、虫の声一つすら無い。

 冷たい風の響きが悲しげに、耳元を走り抜けていくだけの静寂な夜だった。


『ぐぎゅううう〜……!!』


 ……二つ、嘘があった。

 静かでは無かったし、虫の声はあった。

 腹の虫だが。

 僕は音の出処を追って視点を綺麗な夜空から下に下げていくと、そこには一人の少女が倒れていた。


「…………」


 ──月からでも落ちてきたのだろうか。

 少なくとも、かの名作映画では、女の子は空から落ちて来るものだ。

 先程、星が降ってくるようなとたとえたが、実際に月の欠けた部分が落ちて来たのでは無いかと思わせる程に、つややかに煌めく真珠色パールグレーの髪と、傷一つ無いエキゾチックな美しさのある褐色かっしょくの肌を持つ少女だった。


「……お嬢さん? どうされましたか? もし、大丈夫ですか?」


 僕はひざまずき、少女の耳元で木製の床を鳴らして起こそうと試みながら、周囲を見渡した。船は見当たらない。

 考えられる説は三つ。

 一つ目、彼女の保護者かなんかが養えなくなって捨てたくなったけど、教会に行くまでは億劫なので手近なここで済ませた説。

 可能性は低い。見た所少女の年齢は十代後半と言った感じだ。もし僕が我が子を適当に捨てるような親なら、飯代が勿体ないので赤ん坊の段階で育児放棄するだろう。

 二つ目、本当は脚になるものがあって、それに乗って一人でここに来たけど、盗まれて、帰れなくなった説。

 有り得なくは無い。だが──先程髪や肌に見蕩みとれてしまった為に描写不足で申し訳ないが、少女は白いワンピース一枚まとっているだけで、靴すら履いていない。旅行者というより、放浪者という表現がしっくりくる格好だ。

 なら三つ目、本当に月から落ちてきた説。

 個人的にはこれであって欲しい説だ。アニメーションを嗜む身としては、空から女の子が落ちてくるという状況は、面倒だがやぶさかでは無い。

 だが、これは最も可能性が低いだろう。

 空から人が落ちてくるわけが無いという、意味では無い。

 あとほんの少し落ちる場所がズレていたなら、物語が始まる事も、気付かれることもなくこんな場所で、僕の店の前にピンポイントで落ちてくるなど、天文学的確率としか思えなかったからだ。

 幸運だとか不幸だとかいうのを嫌う僕だが、少女の生存は運が良かったと思うしかない。


「うっ……うぅっ……」

「むっ」


 そんな風に考えていると、少女が気が付き、僕は疑問に対する思考を止め、目の前の少女に対してのみ集中力を高める。


「ここ、は……」

「気が付かれましたか? お加減は? お水か何かお持ちして──」

「──……き……く」

「きく? 気持ち悪い? それとも苦しいのですか?」


 余程力が無いのか、少女の声は夜風よりも頼りなく、僕は良く聞き取ろうと耳を彼女の口の方へと傾ける。

 すると、彼女は石柘榴ガーネットの様な瞳を僕に向けながら、今度はハッキリと、聞き違えようのない声量で僕に言った。


「きな粉餅……くださいッ……!!」

「……………………かしこまりました」


 つい神秘的な容姿に見蕩みとれてしまっていた僕だったが。

 そういえば台詞よりも先に盛大な腹の虫を鳴らしていたことを、ここでやっと思い出すのだった。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「いやぁ〜食べた食べた!! あんがとね! 君はいい奴だなぁ!!」

「そりゃあどうも……お褒め頂きありがとうございます」


 流石に倒れるだけの空腹だったくせして『ご飯』や『水』よりも先に『きな粉餅』と言うだけある。

 店にある在庫を全部食い尽くすことで、ようやく彼女の空腹は収まった。


「……それで、貴方は何故店の前で倒れていたのですか?」


 僕は厨房で皿を洗いながら、未だ意地汚く皿に残ったきな粉を指で掬って舐め続ける銀髪の少女に質問を投げかける。


「さぁ? なんでだろ」

「なんでだろ……?」

「それがさ、憶えてないんだよねぇ〜、全然」


 かなりの重大発表を、へらへらと笑いながら、きな粉を掬う手と共に銀髪の少女は続ける。


「なにもかもってわけじゃあない。名前だって言えるよ? チアカ・マーティネー参上! ってね。あと好物はきな粉餅で、歳は……わかんないけど、高校生くらい? 学力テストしたらそれくらいなら割と解けそう。それ以上は……あっ、君身長いくつ?」

「……? 百六十八で──」


 泡の付いた皿を水で洗い流しながら僕が答えると、言い切るより早く銀髪の少女──チアカさんは、さっききな粉を舐めとっていた指先をにゅっとこちらに伸ばすと、僕の胸倉を掴み、彼女の持つ石柘榴ガーネットの瞳に映る僕の呆気に取られた表情を、細部まで確認出来る程に接近する。

 掛かる鼻息のこそばゆさと、自分自身の呼吸を僕が我慢していると、彼女は掴んでいない方のてのひらを僕の頭頂部に押し当て、満足そうににやりと笑ってから僕を解放する。


「私の方がちょ〜っと高いね。五ォ〜……足す二センチくらい? これで身長も分かったね!」

「……そうですね」


 きな粉以外のいい匂いしたなぁ……。

 ………………じゃない、間違えた。

 どうやら、見た目こそ月から落ちてきたのかと見紛う程の神秘系美少女ではあるが、中身の方はだいぶ幼稚な残念系美少女なようだ。

 普通の低身長をコンプレックスにしている男性なら、ここで胸倉を掴み返し、


『背が高いのがそんなに自慢か!? アァ!? ならもっと高い高いしてやらァ!!』


 ──と、言い返してやる所だろうが、僕の慈悲深さは秋の夜長よりも深い。

 それに加え、家庭の事情で身長弄りには慣れているため、例え胸倉をきな粉と唾液の付いた不潔な指で掴まれようが、頭から酒を掛けられようが、腹を立てたりはしない──が、ある一点。慈悲ゆえに見て見ぬふりをした一つの問題に対しては、少々厳しく突っ込む必要があった。


「さて、食べて貰った所でチアカさん。お代の方なのですが……」

「ああ、お金? えっとね〜……ニャハハッ、無いッ!」

「という事はきな粉餅のお代も……?」

「払えないねッ! なんなら宿代も無いッ! いや〜、どうしよ!!」


 何ヘラヘラしてやがんだ、とツッコミを入れたいところであったが、こういう返答をされる事は予想済みであった為、僕はツッコむ代わりに自身の頬へと戒めに強めの平手打ちを当て、ガックリと肩を落とす。

 紳士ゆえにボディチェックはしなかったが、そんな事をしなくとも、靴すら履いていない時点で払える事は期待していなかった。しかし、目の前で餓死されても目覚めが悪いので、敢えてその点には触れずに食事を提供したのだ。

 だが僕は、『証拠がねぇ』と言って食器やらを海へと投げ捨てるような、ぐるぐる眉毛を持つコックとは違う。

 身長蔑視は許せても、無銭飲食は許せなかった。


「…………そんな貴女に良いニュースがあります」


 記憶も、金も、住む家も無いチアカさんであったが。

 働く場所と借金は手に入れたようだ。

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