16.(最終話)小役人を続けてよろしいか。

「……。以上が事実の経過です」


 月曜朝の新聞クリッピングをヨシノに任せて、俺は課長にバネッサでの経過をあらためて説明する。

 普段はすぐに移動するために立ったまま課長と会話するのだが、今日は椅子に座らされた。

 

「あらためて大変だったわね。まだ怪我も完治していないみたいだし」


 課長の視線が俺の左足に落とされる。足首には物々しいギブスが装着されている。左手には松葉杖が添えられている。


「少しひびが入っているだけで大げさなんですよ。松葉杖も念のためです」


「そうだとしても、週の頭から出勤してもらって悪いわね。有給を使ってくれても良かったのよ」

 課長は心配そうに左足を見つめたままだ。


「仕事も滞るので大丈夫です」


「そう……。じゃあ仕事の話に戻るけど、監察官としてミカエルの処分はどうする?」


「刑事事件としては警務省と検察に任せるとして、ギルド固有の非違行為としては、受付嬢へのセクハラ、パワハラ、満月草の買い占めのためのギルドの私的利用でしょうか」


 俺は箇条書きのメモを見ながら説明する。一応、ベッドの上で考え方を整理してきた。


「バネッサに来た男性の冒険者、特に新規登録の冒険者を薬の実験台にしたことは、責任に問えないかしら」


「冒険者に対する欺瞞的行為や虚偽の説明に引っ掛けることはできる可能性はありますが、被害者の記憶が混濁していることと、警務省が聴取している影響で、少なくともすぐには証拠が揃わないと思います。あと、新規登録に来た人、つまり未登録の冒険者『志望者』が冒険者の定義に含まれるのか、過去の事例を調べて、官房の法令担当とも解釈を相談しないといけませんね」


 課長の机には「全身毛むくじゃらの男が保護」といった見出しの新聞クリッピングが何枚か置いてある。この男達はミカエルによる人体実験の被害者のようだ。


「そうね。じゃあ取りあえず処分できるところから報告書をあげましょう。ギル庁としても何もしないと、自浄作用がないと新聞や野党から批判されるからね。後始末もちゃんとしないと」

 課長が椅子の背にもたれ掛かりながら、気だるそうに両手を上げる。



「そういえば、ヨシノちゃんとはどうだった? これからも仲良くできそう?」

 課長が毎度いたずらっぽく笑いながら問いかける。


「分かってはいましたが、滅茶苦茶強いですね。結局、バネッサではヨシノさんの力技頼りでしたからね」


 俺は戸惑いながらも当たり障りのない回答を試みる。

 3人とはいえ、今度ヨシノとマカロンを食べに行くなどとは課長に言えない。


「そういうんじゃなくて、出張で何か無かったの? お見舞いにも来たんでしょ? 手足が不自由だから、病室であんなことや、こんなことになっちゃう展開だったんでしょ?」


 課長が更に面白がり、頬杖をついて身を乗り出す。

 発想が妹のアカネと同じレベルだ。


「私がライバルらしいですよ」

 

「ぷっ。元S級剣士のライバルとはアキラくんも出世したわね」

 課長は吹き出しながら呟く。


「キャリアとノンキャリでは比較対象にすらならないですよ」


 エリートと『じゃない方』では、まさに次元が違う。


「アキラくんにしてはつまらないこと言うわね。キャリア、I種なんて、少し難しい試験にたまたま受かっただけよ。人事政策上、有形無形の差別や区別があるのは否定しないけど、一皮向いたらどちらも同じ人間よ。バネッサでの非常事態の時に、ヨシノちゃんの『キャリア』の肩書が助けになった? 奇しくも元冒険者達の戦闘だったけど、最後に物を言ったのは人間性、人格だったでしょ?」


「人格ですか?」


 俺は訝しげな眼差しで課長を見る。


「ヨシノさんの食いしん坊で窮地に陥り、私は鍛錬不足でミカエルに歯も立たずで、自分に泣きたくなりますよ」


 自嘲気味に伝えているが、これは本心だ。


「アキラくんの見方は偏っているし、ほんと陰湿ね。あなたが土壇場で踏みとどまって、最適解を探し続けたから逆転のチャンスが訪れて、ヨシノちゃんの不断の努力があったからこそ最後に打開できたわけでしょ。2人の目指すところや立場、環境は違っても、真摯な姿勢は共通してるわよ。そして、お互いの良いところを認め合って、切磋琢磨するのがライバルってことでしょ?」


 課長に自分の内面を肯定され、気恥ずかしい反面、胸が熱くなる。



 仕事に忙殺され、ヨシノの面倒も含めて、押し付けられる仕事をこなすだけの今の自分。


 大学生の時には、冒険者として一旗上げることを夢想して、「自分なら何でもできる、どこまでも行ける」と根拠なき自信に溢れていた。もちろん、当時は自分が公務員になるとは露ほども考えていなかった。


 母の死で運命の歯車は動き、妹の世話のために転勤の少ないギル庁への就職を選んだ。今更後悔はないし、自分の境遇を呪うつもりもない。

 当時はそれが最善の判断だった。


 ただ、なりたかった『何者か』と今の自分とのギャップがあまりにも大きい。


 S級冒険者にまで上り詰め、今もキャリアで我が道を行くヨシノの横にいると、自分の存在が矮小に思える。まさに小役人だ。


 ただ彼我の肩書の差が本質ではない。

 ヨシノの態度と心構えが、お前は限界まで努力したのか、努力し続けてきたのかと、いつも問いかける。

 ヨシノと接するようになってから、更に自分の立ち位置を見失いそうになる。


 日々の業務の中でギル庁の職員や冒険者から感謝されることは皆無ではない。しかし、感謝の相手は、自分という人間ではなく、ギル庁の歯車の一つ、あるいは職責に対してだ。


 課長の言葉は俺の内面を是認してくれた。

 自分自身が認められることで得られる安堵感と満足感。そこから派生する自己肯定感。


 思えば、久しく他人から好意を向けられてこなかった。

 

 課長の心遣いはいつもありがたい。

 だが素直に感謝の気持ちを伝えられるほど、俺は素直でもない。




「しかしヨシノちゃんのライバル宣言はすごいわね。ただ、相手はこのニブチンだし、もっと素直にならないと」


 俺の心を知ってか知らずか、課長が話題を戻してくれる。

 が、『素直』との言葉に、気持ちを見透かされたようで、一瞬鼓動が早まる。



「何のライバルか知ってますか? ツッコミのライバルらしいですよ」


 精一杯取り繕って、軽口を叩く。


「それはまたヨシノちゃんも困難な道を選ぶわね。完全にボケなのに」


 同感だ。


「でも、ライバルってことは、ヨシノちゃんにとって、アキラくんが対等な相手であり、かつ、気になる存在ってことね。私が言ったとおり、相性ぴったりでしょ」


 相性ね。

 ボケとツッコミが固定化しているのは確かだ。

 俺とヨシノが並んで立っていると、年頃の男女であってもお笑いコンビだ。


 ライバルの真意を考えても答えが出ない。


「雨降って地固まるってところかしら。バネッサに降ったのは、火の雨かもしれないけど。建物はほぼ半焼だし」


 燃える建物と佇む剣士の光景は今も目に焼き付いている。

 病院で夕日に照らされたヨシノを見た時もその光景を想起されて、つい見惚れてしまった。

 むしろ俺がライバルとして、対等な立場で、ヨシノの横に立っていたいと感じた。

 


「バネッサのギルドはどうなりますかね」


 自分の煩悩を振り払うように話題を転換する。

 

「支部長が逮捕で更迭間違い無しだから、特定ギルドから直轄ギルドに変更して、人事課が人を送り込むでしょう。どこかに建物を借りて、仮庁舎でまずは物理的にも中身的にも立て直しね。支部協力課から一人くらい応援に出せとか言われそう。まだ各省との調整もあるのに」

 課長が短いため息を吐く。


「予定表には、午後に商務省と警務省との打合せと追加で書いてましたが、この件に関係ありますか?」


「あるある。ミカエルの薬の製造方法に、どうも転生者由来の技術が使われている可能性があるらしいのよ。ミカエル自体は調合系の技術に疎いけど、薬品生成のノウハウを、転生者の技術を闇で売買してる組織から入手したみたいなの。警務省はその調査に協力しろと」


「それは大変ですね」

 そんな組織犯罪はギル庁の所掌に関係しないが、商務省と警務省とはデマケと利害が対立する。


「一方で、商務省の医薬局は転生者由来の技術の資料の引渡しを要求してきてる」


「あの局は理屈が通じないから大変ですよね」


 その上、あの薬の効果自体は画期的だから筋が悪い。

 副作用さえ制御できれば、筋力の増大も発毛もビジネスチャンスが満載だ。


「全くだわ。こんな仕事ばっかでごめんね。あー嫌になるわ」


 課長が顔を左右に振り払うと、カールのかかった髪がなびく。その勢いで甘い香りが漂ってくる。

 バネッサでの戦闘後、しばらく右手に残っていたアロマオイルの香りだ。


 バネッサへの出張を指示したあの時、課長はどこまで見通していたのだろうか。



−−−−−−−−−−−−−−−−


『失礼します。午前中に言われたとおり、再度来ました。お守りがあるんでしたっけ』


『何度もごめんね。これがお守り。さっき大臣までの決裁を回しておいたから』

 課長が1枚の紙を手渡してくれる。


『アキラくんを1級監察官に併任する辞令ね。併任期間は1か月。別に捜査令状みたいに見せる必要はないけど』


『大臣の決裁だと面倒だったんじゃないですか?」

 しかも相当の短時間で決裁を取っているようだ。


『大臣の秘書官にはこれまでも、貸しがあるからちょっとお願いしただけよ。かわいい部下のためですから』

 課長は茶化して言うが、秘書官に顔が効くのは並のことではない。


『1級なんですね』

 ノンキャリの自分が1級監察官になるとは思いもしなかった。


『そう。監察部に言って枠を一人開けてもらったの。これで何かあっても魔法でズドンとできるわ』


『就職してから全然鍛錬していないので無理ですよ』

 謙遜ではない。


『今から復習するのもいいと思うけどね。後は1級だったら、何かあった時に即座に捜索と押収もできるし』


『ヨシノさんも1級なんで、彼女がいればいいんじゃないですか?』


『お守りとは、不測の事態に備えるためのものよ』


『それって事件が起こるフラグなんじゃないですか? 勘弁してくださいよ』

 俺は苦笑いをしながら返答する。


『大丈夫よ。ヨシノちゃんもいるし。ヨシノちゃんこそがあなたのお守りであり、切り札となるカードよ』

 課長が意外に真剣な目をしている。


『オマモリではなくて子供のオモリじゃないんですか』


『まあまあ。そう言わないの』

 課長が宥めると、俺が子供じみているように見える。


『ついでに備品のレーザーアーマーも着て行ってね。ヨシノちゃんは自前の鎧があるだろうけど』


『そこまで必要ですかね。重いし動きにくいし』

 俺は露骨に嫌な顔をする。

 

『アキラくんに何かあったとき、妹さんに顔向けできないから、お願い』

 課長に真剣な目でそこまで言われると断れない。


『あとこれも持って行って』

 課長が机の上の小瓶を手渡してくれる。


『これなんですか?』


『私の愛用のアロマオイルよ。あいつの体臭がくさいから、ハンカチとかに垂らしておいてマスク代わりに使うといいわ。残りは受付嬢にプレゼントして、話を切り出すのきっかけにでもしてみて』


 瓶の蓋を開けると課長と同じ香りがする。課長室に入る時も、この甘い香りを感じる。



 『こんなに持ち物をあげてばっかりだと、私が田舎のおばちゃんみたいね。この飴ちゃんもついでに持ってく? って誰がおばちゃんよ!』



−−−−−−−−−−−−−−−−




「課長の言うとおり、レザーアーマーを着ていって大分助かりました」


 出張前の準備では、レザーアーマーに活躍の機会があるとは微塵も想像もしていなかった。


「でしょ、おばちゃんの言うことは聞いとくもんなのよ。って誰がおばちゃんよ、私はまだアラサーよ。セクハラでアキラくんを監察官に訴えるわ」


「なんでやねん! 完全な自爆テロやろ」

 あと俺も監察官なんだが。


「ヨシノちゃーん、アキラくんが私のことをおばちゃんって言うのよ」

 課長が扉を開き、執務室で新聞クリッピング中のヨシノに泣きつきに行く。


「大丈夫です。課長がおばちゃんなら、アキラ殿もおじちゃんです」


「そういうんじゃなくて、私が若くて、かわいいみたいなフォローがほしいの」


「ええ、課長は若くて、かわいいおばちゃんですよ」


 ヨシノには、突っ込むよりも自然に煽る才能があるんちゃうか。

 目の離せないライバルだ。


「えーん、ちがーう」

 

 課長とヨシノの掛け合いが続く。

 楽しい職場で涙が出そうだ。 



 

 ギル庁の内部には獅子身中の虫が蠢き、他省庁も虎視眈々と権益を狙っている。まさに内患外憂。

 仕事では賽の河原に石を積むような作業も多い。

 深夜残業は若さと時間の切り売りでしかない。


 上を見たら切りがない。下を見ても仕方がない。

 それでも、制約条件の中で自分の最善を尽くすだけだ。

 小役人として。


(完)


これで一段落です。

応援してくれた方(特に「まさぽんた」さん)、フォローしていただいた方、読んでいただいた方、本当にありがとうございました。

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【伺い】ブラックギルドのノンキャリ小役人がキャリア女剣士を激詰めしてよろしいか。 秋穂藍 @aio_ai

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