第13話

 病院に着いた正樹まさきは、暴走列車のスピードでまいの病室に走り続ける。一年も通えば正樹の顔を覚えている看護師も少なくない。何事かと、担当の看護師が正樹の後ろを追いかける。


 扉を開けた正樹は、再生中のテレビを止めた。


 舞の顔を覗き込む正樹。


 眠ったままの舞は、いつも通りにいた。


「まい……」


「……やっと触れられた」


 瘦せて骨ばった手が正樹の頬に触れられる。


 皆既日食が終わっていくように、舞の睫毛がゆっくりと上がっていき、正樹を映した。


「あ、れ、まさ君?」


「…………⁉」


 目の前の光景が信じられず、正樹は口をだらしなく開けていたが。現実を理解してすぐ瞳から涙がこぼれた。舞の被る布団に安堵の滴が染みていく。


「え、えっ⁉ どうしたのまさ君って、私の腕もどうした⁉」


 伸ばした自分の手に驚き、周りの様子を見ようと舞は体を起こそうとしたが、一年間で凝り固まった体は言うことを聞かなかった。だから、顔だけを動かし、現状を把握するしかない。


「見知らぬ天井に、寝心地の良いベッド、テレビに映る白い服を着た髪の長い女性。なるほど、私は少し昏睡状態だったってことかな」


「少しじゃない。一年だ」


「一年⁉ 冷蔵庫のヨーグルト腐ったよね。はっ、ゴールデンウイークの予定もおじゃんだ。だけどね……」


 舞は窓の方を一瞥する。春夏秋冬が一周したため、彼女からしてみれば一年の経過を実感しにくい。春や冬ならすぐに分かるようなものだが。


 正樹は泣きながら、鞄に入れたスマホを取り出そうとした。そこで一緒に収納された銀のスプーンが床に落ち、金属音を響かせる。


 急いでいた正樹は、手元にある物を適当に持って来てしまった結果だ。


 スプーンを拾い上げた正樹の手元を見て、舞は納得したように頷いた。


 正樹を追いかけていた看護師は、舞が目覚めたことを知り、またすぐ部屋を後にする。


「そっか、一年か……。まさ君、一人にしてごめんね」


「十八年も舞と出会ってなかったんだ。一年ぐらい、何でもない」


「うん。私が反対の立場だったら、寂しくて悲しくて。そして、今のまさ君みたいな顔をしていると思うよ。こっち来て」


 正樹は舞の両手で包まれる。一年の間を埋めるように触れ合った。


「長い夢を見てたの」


「夢?」


「そう。引っ越しした部屋に、まさ君そっくりな小学生が座っててさ。どれだけ話しかけても、触れようとしても届かない。幽霊ってこんな気分かって落ち込んだね。幽霊を誰も救えないけど、幽霊だって誰も救えないんだって」


 一カ月半前。正樹と一緒に入浴した日、舞が言った言葉だ。


 正樹にとっては一年一カ月半前の出来事だが、彼の記憶にはしっかりと刻まれている。


「だからって諦めなかったよ。何回も何万回も話しかけて、何度も触れようとした。それでも蜃気楼みたいに手で触れない。部屋はいつの間にかホラーチックに変わって、怖くなった。怖かったから体育座りする少年の横に座った。そこで気づいたの、少年が私の名前が書かれたスプーンを握ってることを。なんで気付かなかったのかな、一緒に選んだ部屋にまさ君がいないのに。そんな夢」


 夢の話を終えた舞は、そっと正樹に抱き付いた手を離した。


 正樹は涙を拭いながら、「どんな夢だよ」と呟く。


「夢に意味はないよ。私が夢見る女の子ってだけ」


「乙女チックだな」


「ロマンチストだよ」


「まだ夢見る気か……」


「正樹と一緒の時は、いつだって夢見心地だからね」


「なら、悪夢を用意するよ。とっても怖いホラーを」


「なに⁉ ってさっきから気になってたんだけど、このテレビはなんだい? 私にはホラー映画に見えるんだけど」


「あ、うん。舞が目覚めるようにずっとホラー映画を流してたんだ」


「あのホラーチックな変貌はまさ君のせいか⁉」


 舞の驚いた声が、正樹だけに響くのだった。



🥄🥄



「やっと戻ってきましたよ、私の城!」


「マンションの名前に、キャッスルって単語は入ってるけどな」


「私達の城!」


 二週間のリハビリをこなし、普段の身体能力を取り戻した舞は、近所迷惑になりそうな声で言った。


 ダイニングに向かう床を、舞が滑って進む。


 後ろで正樹は笑ってため息を付きつつ、舞の後ろを歩く。


「前と全然変わってないね」


「掃除はしっかりやってるからな。一年ぐらいで部屋の雰囲気は変わらんよ」


「変わってるよ。私の匂いが薄くなってる。ちゃんとマーキングしないと」


「犬か!」


 リビングのあちこちで体を広げる、舞。


「そうだ。舞の自室だけ一度も入ってないから、埃が溜まってるかも」


「プライバシー保護だね」


「僕の部屋に、君は普通に入って来るけどね」


「入る前に合言葉決める?」


「結局、入室するつもりじゃん、それ」


 舞の自室に向かう二人。舞に服の袖を掴まれ、正樹も強制的に連れていかれている。


 扉に「まい」と書かれたネームプレートの前。


 彼女が鍵の掛かっていないドアノブを捻った。


 部屋の中はやはり埃が舞うほどだった。


「これは今日一日しっかり掃除しないとね」


「俺も手伝うよ」


「うんうん。この子達は私だけで掃除する」


 正樹はチラッと部屋を一瞥し、口を開く。


「そうだな。みんな舞のこと待っていたんだからな。それじゃあ、俺は昼ご飯でも作っておく。リクエストは?」


「もちろん、オムライス! 中にチーズハンバーグ入りの」


「了解。昼か夜に言われると思ってた」


 リビングに向かうため、正樹は踵を返した。


 その背後から舞が新種の生物を発見したような驚嘆の声を出す。


「どうした⁉」


「まさ君これ! 百円ショップで買った三本入りの最後のスプーンと、油性ペン。私の部屋にあったみたい」


「見つからないわけだ。まあ、二つ油性ペンがあっても、困らないけどさ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

銀スプーンの名前は消させない 菓子ゆうか @Kasiyuuka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ