最終回 かけがえのないしがらみ

 突如行われた誠司によるプロポーズは会長を中心とした地域のコミュニティの話題を席巻した。相手が同じ職場の謎めいた事務員であり、かつヒーローショーに頻繁に姿を現す不審者だという点も話題の拡散に拍車をかけた。


 なぜ、渡会が全身黒づくめの変装をしてまでヒーローショーに訪れていたのか。その理由は、観光協会の面々にバレることを防ぐためではなかった。むしろ順番が逆だったのだ。元々、渡会はイサギヨライダーの熱狂的なファンであり、その演者である誠司のことを追いかけて観光協会に就職したというのが正しい順序だった。


 その真相を聞いた時、誠司と渡会を除く観光協会の職員たちは何とも言えないおぞましさを感じ、悲鳴を抑えるのに必死だった。しかし、当の本人たちはそれが運命とでも言わんばかりに惹かれ合っているらしく、職場であえて話さないというのは耐えがたい苦痛であったそうだ。

 しかし、こういった話が好きそうな育ですら、彼らの惚気話には作り笑顔でなんとか場を繋げるしか方策を持たない。会長は人目も憚らず、露骨な心配を息子へ送っており、誠司はそれを日々あしらっている。これが賢太の求めていた光景なのかは分からないが、少なくともネガティブなものではないはずだ。多分。


 さて、ヒーローショーによる宣伝のおかげなのか、廃校活用事業に立候補する企業が現れた。具体的な事業内容はこれから検討していく段階だ。とりあえず事業者が見つかったということで、市役所の観光課は安堵している。


 また、今回のヒーローショーを含めたくわ助プロジェクトの成功が市役所にも認められ、予算の減額は保留となった。あくまで『保留』というのがなんとも世知辛い話だが、ともかく直近の危機は去ったと言えるだろう。全ては観光協会のこれからの働き次第だ。

 

 ちなみに、観光課に勤める育の父親は以前の打ち合わせの際、本当はRPの内容が決まっているにもかかわらずその事実を隠蔽していたとして、娘である育から非難され続けているらしい。とはいえ、彼は誠司の指示に従っただけであるため少し可哀そうだが。


 育は送別会の際に「もう大丈夫」と断言した通り、すっかり回復したように見えた。相変わらず、仕事でのミスは定期的にやらかすが、持ち前の明るさと気力でカバーしている。賢太としてはミスを減らす方向へ頑張ってほしいが、彼女に険のある表情を向けられることを思うと、直接は言えない。


 会長と誠司の関係性も、ヒーローショー前夜の出来事を境に完全に復元された。なんなら誠司の婚約を機に、会長の親バカぶりが露呈しつつある。誠司が結婚もせずにヒーローショーなどという幼稚な仕事を続けている、と一部の地元住民に揶揄されていたのを、会長は気にしていたらしい。結局のところ彼は強面で傲慢だが、息子への不器用な愛情を上手く表現できない、どこにでもいるごく普遍的な父親でしかなかったのだ。


 復職した沢田はまさに百人力であり、賢太の穴をあっという間に埋めた。彼女が元々デジタル全般に強いという点も功を奏したのだろう。くわ助に関する技術的な業務は沢田に引き継がれた。しかし、いくらデジタルに強いといえど、流石にAIに関する知識は持ち合わせていなかったらしく、ここ最近はその勉強に明け暮れている。年配に差し掛かるほどの年齢であるにも関わらず、そういった忙しさに心地よさを感じているらしい彼女はやはり根っからの仕事人間なのだろう。


 潔世観光の起爆剤となったくわ助はいまだに人力で運用されている。しかし、主な返信担当である渡会の負担は日に日に増加する一方であり、通常業務との兼務は厳しくなりつつある。そこで、将来的にはくわ助を正式にAIとしてリリースする計画も進行中だ。

 観光協会内でデジタルに強い人材が沢田しかいないため、くわ助の開発は必然的に沢田が行うこととなる。初学者である彼女がAIbotを開発できるようになるまではかなりの時間を要すると思われる。しかし、それと同時に彼女なら短期間でAI開発の知識を習得してしまうかもしれないという期待もあった。


 そして、そんな賢太はといえば、イベント成功の余韻に1日だけ浸った後、東京へ向かうためJR木浪駅のホームに立っていた。両親は車で送ろうかと提案してくれたが断った。最後くらいは自分の足でこの地を去るべきだ。


 荷物の大半はすでに引っ越し業者によって新居へ搬入されていたため、リュックサック1つでの上京という格好になった。なんとも、心もとないが雰囲気づくりのためだけに、キャリーバッグを引きずるのもばかばかしい。


 今日は休日であるため、駅には両親の他に観光協会の面々までもが見送りに来てくれていた。賢太からすると、両親も観光協会の職員たちもどちらも大切な存在ではあるが、その邂逅はなんだか不自然な気がしていた。例えば、中学時代の友人と大学時代の友人が出会った時のような感じだ。


「東京でも、達者でな」


 会長の大仰な言葉はどこか気恥ずかしい。


「これ、お土産。電車の中で見てね」


 育から紙袋を手渡される。意識して袋の中から目をそらすが、ちらっと潔世せんべいのパッケージが隙間からのぞいていた。ついに一度も食べることのなかったあのせんべいだ。多分、味も普通だろう。特段嬉しい訳ではなかったが


「ありがとう」


 と笑みを交えながら感謝した。


「向こうに着いたら、連絡してよ」


 母が掌を揉みながら心配そうに言う。


「うん、とりあえずLINE送るよ」


 スマートフォンで時刻を確認すると、あと数分で目的の電車がやってくる。そわそわと鼓動の早まりを自覚し、時間の流れが遅く感じた。


「にしても、本当に大丈夫かなぁ」


 この期に及んで、育は心配の言葉を賢太にかける。


「そんな心配しなくても……」


「いいや、心配だね」


 目を合わせてはっきりと言い切る。睨むようにキッとした表情から放たれる心配という言葉はバランスが悪くて不安定だ。


「大丈夫だよ。ちゃんと寂しいから」


 遠くの線路へと目線を移す。


「っま、だったら問題ないかぁ」


 彼女も賢太と同じ方へ目をやると、呑気に言い放つ。


 電車のヘッドライトが小さく見えた。次第にそれは大きさを増していき、ゆっくりとホームへ入線した。ため息を吐くような音と共に、電車は扉を開ける。賢太を遠いところへ運ぶ大きな口だ。乗り込む途中で渡会と目が合う。彼女は小さく会釈をすると、ほんのり口角を上げた。結局、最後まで芯の掴めない人だったが、悪人でないことは確かだ。


「がんばれよ!」


 父親と会長、それから誠司の3人からそのような意味合いの激励を投げかけられる。


「あとは任せてね!」


 沢田が力強く、ガッツポーズをして胸を張る。彼女は案外お茶目な性格なのだ。わずかではあるが、賢太の有するAIに関する知識をまとめた資料も彼女に託した。これからの観光協会の運命は彼女が握っていると言っても過言ではないほどの重圧だが、きっと何とかしてくれるはずだ。


 最後に残った育は、ぐっと唇を引き結んだまま一度俯き、改めて向き直った。


「あんまり、頑張らないでよ!」


 陽光を反射する華麗な瞳がじっと賢太を捉える。賢太は彼女の言葉やしぐさを含む全てに対して、小さな頷きで答える。「おう」だとか「うん」だとか何か一言でも発することは出来たが、そういった言葉を使ってしまうのはひどく勿体なく感じた。


 扉が閉まり、電車は動き出す。映画やドラマのように走って追いかけてくる、なんてことはない。育たちはただゆっくり後方へと流れていく。皆一様に手を振っている。

 同じ車両にいた老婆はその様子を見て、眉毛をふっと持ち上げた。この青年が多くの人に見送られながら、潔世市を去るのであろうことは誰の目から見ても明白だった。賢太は他人のこういった光景を目の当たりにするたび、なぜだか恥ずかしく思っていた。しかし、自身がその立場になると恥ずかしさは微塵も感じなかった。むしろ、誇らしさすらあった。


 空いている座席に腰を下ろして、受け取った紙袋の中身を覗く。案の定、潔世せんべいが一箱入っており、底の方にはシオカランとくわ助のアクリルキーホルダーまでもが丁寧に梱包されていた。いるかいらないかで言えば、いらない寄りだったが、そういう部分も含めて愛らしさを感じる。


 と、そこで想定外のものを発見した。色紙だ。取り出して見ると、観光協会職員たちからの寄せ書きのようだ。とはいっても、人数は会長と誠司、育と沢田と渡会の5人だけであるため、色紙のサイズからして随分と空白が目立って然るはずだ。しかし、その色紙は所狭しと文章が敷き詰められており、白い部分を探す方が困難なほどだった。


 会長と誠司からは、くわ助が観光協会復活の転換点になったことを感謝する旨が長々とつづられていた。そういえば、賢太は父の代わりに出席した会議でご当地AIというアイデアを提案した張本人なのだ。くわ助の技術的な問題にばかり意識が向けられていて、今の瞬間まで忘れていた。


 育からは、彼女が東京から地元へ帰ってきた頃、偶然賢太に出会って救われたというような、とても本人に直接伝えることはないであろう、言葉たちが踊っていた。読んでいるこっちが恥ずかしくなるような文章を苦笑いしながら読み進める。


 沢田からは、くわ助開発に向けた抱負と同時に観光協会への復職を提案してくれたことに対する感謝がつづられていた。以前、沢田宅を訪問した際に育が観光協会に勧誘したことを指しているのだろう。しかし、あれは育の独断による提案であり、賢太自身は沢田の復職なんて微塵も考えていなかった。そのため、この感謝は身に余る思いだ。


 渡会はくわ助の真相を隠蔽し、代わりに返信していたことについての謝罪を書き連ねていた。愛する誠司への協力ではあったにせよ、賢太の努力を無下にしてしまったことを気にかけていたようだ。彼女にも人間らしい心があったのか、と失礼な感想を抱いてしまったが、最後に彼女の心根に触れられた気がした。


 寄せ書きを全て読み終えたところで、電車は既に県庁所在地のある街まで到達していた。普段から、買い物や映画鑑賞などで訪れることが多いはずなのに、その街はいつもと違う表情を見せている。流れていく寂れた街並みを眺めていると、不意にスマートフォンが振動し、LINE上に一件の通知があることを示していた。それは


“生んでくれてありがとうくわっ”


 というくわ助からの餞別のメッセージだった。かすかに手が震え、深呼吸をする。各駅停車の電車は1駅、また1駅と潔世市から離れていく。ロケットは地球から離れるほどに、重力の束縛を逃れていく。しかし、賢太は離れれば離れるほどに強まる重力を全身に受けていた。その重力の中心点は賢太の実家であり、観光協会でもある。


 電車は目的の駅に到着する。この駅で新幹線へと乗り換えるのだ。強い重力に逆らいながら、立ち上がる。


 怖い。


 寂しい。


 黒々とした感情に見えるそれらはじっと観察すると賢太がずっと求めていた、かけがえのないしがらみだった。甘くて温かいしがらみに後ろ髪を引かれる。賢太はそれらを自らの意思で振り払って、一歩を踏み出す。

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ご当地AI『くわ助』は反乱しました。 秋田健次郎 @akitakenzirou

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