第43話 終幕と驚愕

「誠司さん! 時間が!」


 育が肩を強く揺さぶり、ようやく気が付いた。


「あっと、ごめんごめん」


 我に返ったように、素早く着替えを再開する。舞台上では、台本通りシオカランを相手に苦戦が続いていた。向かい側の舞台袖では、すでに衣装を身に着けたくわ助第2形態役の男性がスタンバイしている。


「ったく、いい年して」


 マスクを被りながら呟いた誠司は苦笑しながら息を吐いた。それは年を重ねてもなお質の高い演技を行う父親に対する言葉か、あるいはこの年になって父親の舞台を夢中になって見入ってしまった自分に対する言葉か。いずれにせよ、彼からは穢れのない純真さが溢れ出ており、ヒーローという存在を身をもって証明するようだった。


 イサギヨライダー2号の新衣装は、旧衣装が深緑ベースだったのに対して白と赤を基調とした現代的なデザインとなっていた。いわゆる平成ライダーというやつに近いのだろうか。何も知らない観客からすれば、全く新しいライダーとしか思えない。

 一応、設定上はイサギヨライダー2号の強化フォルムということらしい。あまり、その道に詳しくないが昨夜の会議では会長と誠司が変に盛り上がっていた記憶があるため、こういった要素には男心をくすぐられる何かがあるのだろう。


 舞台上では、イサギヨライダー1号が力尽きたように膝をついていた。ここが勝機だとばかりに、シオカランがじりじりと近づいてくる。と、そこで誠司扮するイサギヨライダー2号(強化フォルム)が舞台脇から飛び出す。同時に、大逆転勝利が約束されたBGMを再生する。

 初お披露目の新しいスーツを目の前に、会場がどっと沸き立つ。しかし、今回は老年たちの掛け声は聞こえず、むしろ子供たちの歓声の方が大きい。1号は古株に人気で、2号は子供たちに人気という風に住み分けがされていたりするのだろうか。


 新旧揃った2人のイサギヨライダーは協力して波状攻撃を行う。シオカランは次第に追い詰められていき、ついには打ち倒された。会場が再度盛り上がるのもつかの間、前日に収録したばかりの音声を再生する。


“これで終わりだと思うなよ、我の本当の力を思い知らせてやろう”


 昨夜、誠司の元サークル仲間にスマートフォンで録音してもらったセリフを加工したものだ。ステージの上では困惑したように2人のライダーが辺りを見回している。シオカランがそっと舞台脇へ捌けていくと入れ替わるように、くわ助第2形態が姿を見せた。


 イカの着ぐるみから歯車やパイプなどの装飾が施された禍々しい人型の化け物へ変化するのだから、その変貌ぶりはどこかシュールですらある。しかし、客席はそんな違和感に引っかかる様子もなく沸き立っている。明らかに予算のかかった新衣装のおかげかもしれない。配信のコメント欄でも、多少のツッコミは見られたがそのスーツのクオリティへの賞賛が大半だ。


 2人のイサギヨライダーは気圧されたように半歩後ずさるが、すぐに体勢を立て直す。コンマ1秒までぴったりと揃ったファイティングポーズを決めると、強大な敵に向かって飛び掛かった。賢太には、その様子がスローモーションに見えた。イサギヨライダーというコンテンツが潔世市という狭い狭い地域の中で積み重ねてきた歴史の最先端が今、目の前に広がっている。そして、この先はまだ誰も知らないのだ。


 *


 直前のトラブルにより一時はどうなることかと思われたヒーローショーは大盛況のうちに幕を閉じた。YouTubeの最大同時接続者数は2000人ほどまで達し、コメントも終始盛り上がりを見せていた。その中には、客席の反応に対するコメントも多く見られた。全国的にはまるで知名度のないご当地ヒーローが地方では一大コンテンツとして受け入れられているのが好評だったようだ。


 大歓声の中、舞台を降りてきた会長と誠司の2人は勢いよくマスクを外す。すると、水でも被ったかのように髪が張り付いた顔面が露わになった。全身から熱気を発し、舞台袖の室温が上がったように感じた。


「2人ともすごかったです!」


 育が目を輝かせながら賞賛し、賢太もそれに同意する。


「あぁ、ありがとう」


 汗だくな一方で、息を切らせた様子のない誠司がはにかみながら答える。体に鞭打って演技していたはずの会長でさえ、息がほとんど上がっていない。2人の無尽蔵にも思える体力は、長年ショーに立ち続けたからこそ得られたものだ。


 司会役の男が再び壇上に上がると、ショーの終了を宣言した。係員の案内により、ぞろぞろと会場を後にする観客たちの足音が薄く聞こえてくる。強い熱量で準備に取り組んできたイベントも終幕はあっけないものだ。


 会長が着替え始めようとするのを察知した育は、それを止めて舞台袖から去ろうとする。そんな傍ら、誠司は落ち着かない様子で待機スペースの片隅に放置されたおそらく私物であろう手提げかばんをごそごそと漁っていた。不思議に思い、問おうとした瞬間、舞台袖の扉が開かれた。振り返ると、見覚えのある怪しい恰好の女性が立っていた。黒井さんだ。


「ちょ、ちょっと。関係者以外はダメですよ」


 ちょうど、扉の近くにいた育が慌てて体を盾にするように黒井さんの行く手を阻む。賢太は想定外の来客に体がこわばる。瞬時に黒井さんの手元を確認するが凶器などは持っていないようだ。


「あ、いえ。そうではなくて」


 素早い手のジェスチャーを交えながら、伏し目がちにその場にとどまる。その声はどこかで聞き覚えのある質感をしていた。一体どこで。


「待って、俺が呼んだんだ」


 いつの間にか立ち上がって、こちらに向きなおっていた誠司は真剣なまなざしをしている。誠司と黒井さんの間に関係があったのか、と呆気にとられる間もなく誠司は黒井さんの目の前へと踏み込み、膝をついた。そのまま、手を突き出すと持っていた小さな箱を開いた。


「結婚してください」


 その場にいた全員が例外なく目を丸くして言葉を失っていた。誠司がよくヒーローショーに訪れる不審者に対してプロポーズをしたのだ。一体何が起きている。


「よ、よろしくお願いします……」


 口元を手で塞ぎ、震える声のまま答えた黒井さんは思い出したようにマスクを外した。長い前髪の向こうにのぞく切れ長のまつ毛と冷涼な雰囲気をたたえた唇。現れた素顔を見た瞬間、その正体に思い至った。渡会だ。


「えっー!」


 育も同じタイミングで気づいたのか、大きく目を見開きながら声を上げた。賢太も同じようなリアクションを取りたかったがあまりに衝撃が強く、乾いた吐息がのどを通る音を自分の耳で感知したのみだった。


「な……」


 会長は口をあんぐりと開けたまま、氷のように固まって動かない。誠司はほっとしたように立ち上がると結婚指輪を渡会にはめた。渡会は感涙を流しながら微笑んでいる。育は賢太と目が合うと、ひきつった笑顔で呟いた。


「なにこれ?」

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