第42話 開演

 ヒーローショーが開催される体育館はとても廃校のそれとは思えないほど賢太の記憶にある体育館の姿そのままで、現役と遜色がないものに見えた。てらてらと蛍光灯の光を反射する床や塗装のはがれたバスケットゴールは小学生の頃の記憶を賢太の元へ去来させる。


 できることなら廃校を巡りながら、ノスタルジックに浸っていたいところだが、あいにくそんな時間はない。時刻は午前の7時過ぎで、舞台上ではすでにリハーサルが始まっている。会長はマスク以外をイサギヨライダーの衣装に身を包んだ状態で戦闘シーンの段取りを確認している。敵役であるシオカランの着ぐるみはなんとも動きにくそうにうごめいている。


 還暦近い年齢の会長は体力への不安から、リハーサルは流れの確認だけで本格的なアクションは行わないそうだ。ぶっつけ本番に近い形でのアクションシーンに賢太は不安を隠せないでいた。会長は年齢の割に体つきや威勢は良いが、とはいえ年には勝てないのが人間の運命だ。現役時代の感覚のまま激しい動きを行い、怪我でもされるとイベントが台なしになる恐れがある。ましてや、ネットで同時配信されるのだから、事故映像が未来永劫インターネット上をさまようことになり、目も当てられない。


 賢太は配信映像を撮影するためのビデオカメラを三脚に固定すると、PCに接続する。本当は客席として並べられたパイプ椅子の前面に設置したかったのだが、画角の都合上客席の後ろからの撮影となった。観客の後ろ姿が配信に載ってしまうが、それもまた味ということにして、勝手に納得する。


 音響監督としての仕事のために、賢太もリハーサルに合流する。体育館の舞台袖に入ると、合唱コンクールのことを思いだした。中途半端に経験があるからこそ、体育館の舞台袖という場所には妙な緊張感を抱いた。向かい側の舞台端にはシオカランの着ぐるみの抜け殻が倒れている。シオカランはその図体の大きさから、舞台袖から舞台上へと上がる背の低い階段を通れないことが判明したため、幕で隠された舞台の脇で待機することになった。


 *


 リハーサルは順調に進み、SEを鳴らすタイミングも十分に把握できた。誠司の元サークル仲間も当日に新たな台本を渡されたにも関わらず、与えられた役を適切に演じていた。この場にいる全員がショーの成功に向けてひた走っていた。


 午前8時45分。体育館が開場すると、観客の列が入場してきた。先頭付近には会長の旧友たち、後方付近は家族連れが多く、用意した客席はあっという間に満席となった。その中には、例の黒井さんも含まれている。不織布のマスクと黒を基調としたコーディネートは相変わらずだが、いつものサングラスはかけていないようで不審者らしさは幾分和らいでいた。


 会場が賑やかになるにつれて、心拍数は増加していく。舞台に立つわけでもない賢太でさえこれほど緊張してしまうのに、誠司や会長はどのような心境なのだろうか。掌を揉みながら、舞台袖のスペースへと戻ると会長は入念にストレッチを繰り返しており、誠司は舞台袖から直接外へと繋がる扉を開けて、腕を組みながら心配そうに遠くを見つめている。育たちの到着を待っているのだ。彼女たちは既に付近まで到達しており、あと数分で到着する。


 開演の5分前。衣装ケースを持って全力疾走する育と沢田の姿を捉えた。


「こっちこっち」


 誠司は声を抑えつつ、大きなジェスチャーで手招きをする。


「ライダーの衣装はどっち?」


「わたしの方です」


 育が答える。


「じゃあ、沢田さんは向こう側のドアから渡してきて」


 誠司が指示すると、沢田は切れた息のまま反対側の舞台袖と繋がる裏口へ走り去った。


「間にあって良かった」


 膝に手をついて、肩で息をする育は今にも死にそうな顔色だが、安堵に満ちた表情で言った。


「不備はなさそうか?」


 頭部も含めて、全身を衣装に包んだ会長は様になっていた。しばらく倉庫に眠っていたせいか、所々にほつれや汚れがあるがそれが逆に渋さを醸し出している。ベテランヒーローといった風格だ。


「まだ、分からないけど、あの人たちのことだから大丈夫なはず」


 誠司は、衣装制作会社の面々を信頼しているのかそう答える。


「まあ、わしが時間を稼ぐからゆっくり着替えればいい」


 体はすでに舞台の方へと向いていた。司会役がマイクを片手に舞台上へ姿を現すと会場のざわめきが潮騒のように舞台袖まで響いてきた。


「おう」


 小さく返された誠司の声は、うっすらと会長の耳にも届いただろうが、その声音に含まれる温かさまでは届かなかったかもしれない。会長はこちら側に背を向けたまま静かにストレッチを繰り返すばかりだ。誠司はふっと鼻を鳴らすと衣装の検分を再開した。


 司会役の男は挨拶を済ませると、観客との対話を開始した。いつもの通り「今日はどこから来たのか」だとかそういった話題だ。音響機材であるノートPCの前にスタンバイしたまま、片手間で配信の様子を確認する。同時接続者数は1200人ほど。チャンネル登録者が3000人前後であることを踏まえると上々の結果だろう。


 そのまま数分間、観客とのコミュニケーションを続けた後、合成音声で作成した不協和音を再生する。設定上はくわ助第1形態の鳴き声ということらしい。鳴き声と同時に、舞台脇からシオカランの着ぐるみが姿を現す。


 暴走AIがなぜイカの姿なのかというツッコミは会場からは起こらなかったが、配信のコメント上では盛んに指摘されている。しかし、批判というよりは奇妙さがウケているといった様子だ。


 司会役は腰を抜かす迫真の演技を披露すると大声で助けを呼んだ。舞台袖でスタンバイする会長は最後に掌を組んで伸びをすると、舞台へ続く階段を上っていく。


「頑張ってください」


 育の控えめな声量の応援に、会長は振り向くことなく片手を上げて答える。舞台端の幕で隠れたところから勢いよく舞台上に飛び出すと、会場からは溢れんばかりの拍手が巻き起こった。


「よっ!」


「1号!」


 客席前方からは掛け声のようなものも聞こえる。おそらく、会長の旧友たちだろう。


 入れ替わるように舞台袖へと走り逃げてきた司会役の男は観客から見えない位置まで移動するや否や間髪入れずに振り返った。賢太たちも会長の様子を覗き見る。胸を張りながら数歩踏み出すその姿は、どこか陳腐さを感じさせるもので昔のプロレスラーのようだった。


 しかし、シオカランの着ぐるみと対面し、ファイティングポーズを取った瞬間空気が変わった。両腕を前方へ突き出すポーズは仮面ライダーというよりウルトラマンのそれに近かったが、背骨から指の先まで針金を通したかのようなプロポーションは、会長の肉体が今この瞬間のために形作られたと思ってしまうほどだ。


 そのまま、力の使い方を熟知した戦闘術の達人のごとく、パンチやキックを繰り出していく。賢太はリハーサル通り、動きに合わせてSEを鳴らすが眼前で繰り広げられる躍動とはひどく不釣り合いに感じ、自らの仕事を放棄した方がショーに貢献できるかのような錯覚に陥った。


「誠司さん!」


 横目で確認すると、育が誠司の肩を叩いていた。しかし、誠司はそれに気づくことなくまるで子供のような瞳で父親の舞台をじっと見つめていた。

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