第41話 イカデビル

 風呂や着替えなどを各自の家で済ませたのち、誠司と会長と賢太の3人は観光協会に再集合した。渡会の姿はなかったが、彼女は元々イサギヨライダー関連の業務にはほとんど関わることがなかった。実際、今回のヒーローショーに関しても、誠司から依頼された偽くわ助の返信入力以外は全て通常業務のみを行っている。


 取引先の衣装制作会社は誠司と懇意な関係であったため、ずいぶんと無理を聞いてもらうことができた。結果として、遅れていた衣装の制作を急ピッチで押し進め、人前に出しても引け目がないほどの完成度に至ったのは深夜の2時を過ぎた頃だった。


 育と沢田は適時運転を交代しつつ、かかった時間は片道7時間ほどだったらしい。帰りも同じくらいの時間だと想定すると、こちらに到着するのは午前9時頃。ちょうど、ショーが開演するのと同じ時刻だ。衣装に着替える時間を加味すると、やはり誠司たちは開始時刻に間に合わない。会長に代役を打診していて正解だった。


 新たに組みなおすことになった台本の骨格を、誠司と会長が事務室で話し込んでいる。てっきりお通夜のような雰囲気になると思っていたが、2人はむしろ妙な盛り上がりを見せていた。いわゆる深夜テンションというやつだ。


 賢太は具体的に何をするという訳でもなかったが、音響関連の変更点があるかもしれなかったため、2人と共に観光協会に残っていた。あるいは、それは言い訳で最後に非日常を味わいたかっただけかもしれない。


「敵役はどうする?」


「シオカランの着ぐるみがあったじゃろう、あれを使おう」


「そうすると、設定はどうする?」


「AIがイカの肉体を得たってことにすりゃいい。ショッカーにも、イカデビルってのがいただろ」


 ここ数週間続いていた会長と誠司の冷戦はいつの間にか鳴りを潜めて、時折笑顔すら見える。信頼を失った2人の間にできた大きな溝は、イサギヨライダーという強大な鎖によってあっという間に繋がれた。それほどまでに、イサギヨライダーの存在は彼らの中で太く強靭なのだ。


 ショーの基本的な方向性が決まると、詳細を詰める段階へと移った。と、ここで最も根本的な問題に突き当たった。深刻な人手不足だ。

 ショーの始めは司会役の登壇者が観客と対話をしつつ、そこに悪役が乱入するというのがお決まりの流れだそうだ。しかし、会長と誠司は後々ライダーとして登場することから使えるのは賢太のみとなる。すると、今度は音響機器を操作する人員がいなくなる。


 誠司が招集している元サークル仲間もいるにはいるが、合計で3名であり、うち2人が雑魚敵役、1人がくわ助役を想定している。どうにか、無理やり割り振ることも不可能ではないがどこかを削る必要が出てくる。


 あれこれと唸りながら、なんとか具体的な配役を割り振ることに成功した時点で時刻は深夜の4時を回っていた。雑魚敵戦をカットすることで、雑魚敵役を予定していた2人をそれぞれ司会役とシオカラン(くわ助第1形態)の着ぐるみに割り振る形となった。


 育たちの新衣装が間に合えば、新衣装のイサギヨライダー2号が加勢し、シオカランを打ち倒す。その後、シオカランはくわ助第2形態へと進化するという流れだ。この期に及んでくわ助第2形態とは何なのか、という野暮なツッコミはしないでおいた。


 もし、2着の新衣装が届かなければ1号の舞台のみで終幕となる。誠司の張り切り具合を見てきた賢太としては、衣装が届くことを願うばかりだが、夜通し運転する育たちを考えるとあまり無理をさせる訳にもいかない。そもそも、速度制限という物理的な限界があるのだ。こればかりはどうしようもない。


 翌日の本番でのパフォーマンスに影響があってはいけないため、観光協会に残る3人は仮眠を取ることにした。とはいえ、現場での準備時間を考慮すると2時間程度しか取れないだろう。


 緊急時のためのちょっとした掛け布団などがないだろうかと倉庫部屋を漁っていると、なぜか寝袋が発見されたため、3人はそれを使うことにした。室内は暖房のおかげでそれなりに温かいが、寝袋の布越しに床の冷たさが背中を刺す。少しでも冷たさが軽減されそうな場所を探していると、ロビーの床を発見した。すべり止め材のおかげか冷たさが幾分ましであったのだ。3人は誰もいない薄暗いロビーで川の字になって寝転ぶ。傍から見れば、ずいぶんシュールな光景だろう。


 ガラス扉からわずかにさす月光のおかげで、ロビーの天井がうっすらと視認できる。これがキャンプならば、満天の星空でも見えたのだろうが、眼前に広がるのはクリーム色で所々に染みがあるくすんだ壁材だ。旧型の暖房の唸り声と両隣からの呼吸だけが聞こえる。瞼は次第に重くなっていき、意識が重力の底に落ちる。


 *


 早朝の6時ちょうど、スマートフォンの目覚まし時計で目が覚める。合わせて他の2人ももぞもぞと起き上がると、トイレの洗面台で順番に身なりを整えていく。この3人は全員が素顔のまま舞台に立つことはないが、とはいえ人としての体面がある。


 身支度を済ませると、必要な機材等を社用車へと運搬する作業を開始した。音響機材や衣装、その他諸々の道具が詰められた段ボールや衣装ケースを社用車に積み込んでいく。パイプ椅子は前日までに廃校の方へと搬入され、すでに設営済みだ。したがって、当日に運搬する道具の量はさほど多くない。賢太たちを乗せた車は昂揚感と共に観光協会をあとにした。賢太にとっては、これが観光協会での最後の仕事だ。


 *


 校門前には午前7時という時間にも関わらず既に数人の観客が並んでいた。しかし、その年齢層は普段のショーとは異なりかなり高い。還暦近い老人たちがヒーローショーに興味があるとは思えないが。すると、会長は校門付近で車を停め、待機中の老人たちに合流した。誠司と賢太もその後を追う。


「よっ、主役の登場だ」


「ヤンボーに幸子まで。随分と大所帯じゃないか」


 並んでいた人たちはいずれも会長の知り合いであり、親し気な口調で会話を続ける。その多くが観光協会の常連であるため、賢太も半分顔見知りのような状況だった。

 

 しかし、幸子と呼ばれた老年の女性は以前一度会話したきりだ。彼女は賢太が観光協会で働き始めた頃、くわ助からイサギヨライダー批判を引き出すと、それを嬉々として嘲笑っていた人物だ。てっきり、イサギヨライダーアンチなのかと思っていたが、会長と話す彼女はなぜか朗らかな笑みをたたえている。かと思えば、その視線が誠司の方へと向けられた瞬間、優しそうな目尻がきっと吊り上がる。そこには明らかな敵意が含まれていた。


「誠司さん、あの人に嫌われてるんですか?」


「さ、さあ」


 困惑気味に耳を触る誠司は首を傾げる。少し会話を続けた後、会長が車へと戻ったため、賢太たちも乗車する。


「なんだったんです?」


「わしの舞台を冷やかしに来たんだろう」


「幸子さん? でしたっけ、誠司さんのことをすごい睨んでましたけど」


「ああ、あいつが変わったやつというだけだ。イサギヨライダーは初代しか認めないなんてことをずっと言い続けとる」


「はあ、そういう」


 どうやら、先代のイサギヨライダーは初代原理主義者が生まれるほど熱狂的に愛されていたそうだ。あの時、イサギヨライダーを批判していたのは誠司が演じる2号のことを認められないが故のものだったのだろう。それにしても、あの年齢層の人間を強火の厄介オタクにしてしまうとは。賢太は、それほどまでにカルト的な人気を博しているらしいイサギヨライダーというコンテンツに軽い恐怖をおぼえつつあった。

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