第38話 AI担当大臣ではないけれど

 東京への引っ越しを1週間後に控えた賢太は、朝から自室で荷物の選定を行っていた。大型家電などは向こうで買いそろえることになりそうだが、可能な限り出費は抑えたい。こういう場合、何を持っていくべきなのか。人生で初めての引っ越しであるため、適当に引き出しを開けてみては首をかしげるという行為を繰り返していた。


 映画の入場者特典や、複雑な形をした消しゴム、ボロボロで何も書かれていないメモ帳など存在すら忘れていたガラクタばかりが出土され、荷造りと言いつつむしろ部屋のエントロピーは増大していた。


「意外と持っていくもの少なそうだな」


 部屋を見回しながら独り言ちる。目に入るものの95%くらいは生活に不要なものだ。実家から持っていくものと言えば、服と靴と布団、それくらいではないだろうか。だとすると、そんなに焦る必要もないかもしれない。平日の朝を自室で優雅に過ごすのは約1カ月ぶりのことだった。


 *


 とある日の午前中。忙しさを増した観光協会ではその日も慌ただしく来訪客が往来していた。賢太はお土産コーナーの付近で待機し、くわ助の利用者をサポートしている。くわ助からの返答に白々しく驚いたふりをするのは何とも言えない疲労感がある。回答は全て、事務室にいる渡会がカタカタと入力していることを知っているためだ。と、そんな最中


「お久しぶりです」


 受付窓口を訪れたのはかつて観光協会に勤めていた沢田だった。


「沢田さん! どうしたんですか!」


 窓口対応を担当していた誠司は目を見開いたまま上ずった声を上げた。受付の裏手で何かの資料を整理していた会長はその様子を横目に鼻を鳴らす。この2人の冷戦はいまだに終わる気配を見せていなかった。


「職員はまだ募集中かしら? ずっと家にいても不健康だと思いまして」


 上品な言葉遣いで話す沢田のいたずらっぽく笑う表情は、その言葉遣いが冗談であることを示している。


「もちろん! 最近、めちゃくちゃ急がしくて、助かります!」


 くわ助の件が露呈して以降、誠司は吹っ切れたのかすさまじいほどのリーダーシップで皆を率いており、観光協会はすっかり誠司の組織となりつつあった。


 沢田が再び観光協会の職員として復職することはあまり違和感のあることではないと感じていた。以前、沢田のもとを訪れた際の様子から、彼女が根っからの仕事人間であることは容易に推察できた。


 沢田が新たに加わるとなると、賢太が観光協会を辞められないでいた理由の1つである過剰な仕事量が緩和されることになる。しかも、沢田の手腕なら賢太数人分の労働力となるはずだ。


 引っ越しの予定日が1週間後に迫っていた賢太は、この機を逃すまいとその日のうちにバイトを辞する旨を会長に伝えた。この日がいずれやってくることは分かり切っていたはずなのに、自分の声がかすかに震えているのを感じた。会長は


「おお、もうそんな時期じゃったか。君のおかげで本当に観光協会はなんとかなりそうだ。誠司のやり方は気に入らんがな。東京でも君ならやれる。頑張りたまえ!」


 と激励と共に誠司への文句も忘れずに付け加えると、AI担当大臣の任はあっさりと解かれた。それから、育たちが送別会の約束を取り付けると観光協会での日々はあっけなく幕を閉じた。

 再び訪れることはないであろう観光協会本部を後にする。誠司がリスクを負ってまで計画した廃校でのヒーローショーがどのような結末を迎えるのか、そのことだけが頭をもたげ続けていた。


 *


 夜の9時を過ぎた頃、珍しく母からの呼び出しでリビングへと赴いた。そこには、普段開けられることのない背の低いクローゼットが放たれ、有象無象のガラクタたちが散乱していた。


「賢太が向こうに持っていけそうなものを探してたら色々懐かしいのが出てきてね」


 賢太だけを置いてけぼりにして、父と母はやけに盛り上がっていた。辺りに散らばるガラクタたちはよく見ると、賢太が小学生の頃に作成した工作や絵画だった。


「ほら、これとか」


 母が手にしていたのは“ポイ捨てはやめよう”という汚い文字と共にバランスの悪いごみ箱が描かれた絵だった。絵の具の水気が多すぎるせいで色むらがひどく、画用紙もふやけて反れている。


「これとか結構、出来がいいんじゃないか?」


 父は木製の小物入れを指して言った。所々から木工ボンドがはみ出して半透明の滑らかな異物が飛び出ている。出来がいいとはとてもじゃないが言えない。しかし、父の顔は朗らかで工作物を持つその手は柔らかに表面を撫でていた。


「授業参観も中々行けなくて、申し訳なかったねぇ」


 両親が授業参観に来た記憶はなかった。もしかすると、低学年の頃に一度あったかもしれないが、もしそうなら強く記憶に残っているはずだ。整骨院は両親が個人で経営しているため、仕方のないことだと納得していたが、2人から申し訳ないという言葉を聞いたのは初めてだった。


「寂しくなるなぁ」


 引き出しの奥の方から黄ばんだアルバムを発掘すると、それをペラペラとめくる。1ページ目には賢太が赤ん坊の頃の写真が挟まれている。ページをめくるごとに写真の中の彼は少しずつ成長していく。


 小学校の校門の前で、体を固くしながら背筋を伸ばす姿や修学旅行の最中恥ずかしそうにカメラから目をそらす姿があった。学校関係の写真の他にも、唯一の家族旅行である伊勢旅行の際の写真もあった。賢太はノリの悪い甘やかし甲斐のない少年だったため、旅行先であるにも関わらずぶすっとカメラを睨むようにして立っている。しかし、その両脇に立つ両親は互いにピースをしながら満面の笑みを浮かべていた。


 そんな写真たちをくすぐったく思いながら眺めていると、根拠のない温かさが胸の奥からじわじわと染み入ってきた。その温かさをあえて言語化するなら“大丈夫”という気持ちに近しい。一体何が大丈夫なのかは判然としないが、とにかくそういった類の感情だ。


「ねえ」


 極めて自然に口が開いた。


「なに?」


 アルバムから顔を上げた両親の視線がこちらへと向けられる。


「観光協会で手伝いたいイベントが来週の末にあるんだ。引っ越し業者の予約はもう変えられないから、荷物は先に向こうに運ぶことになるんだけど。その…… イベントが終わるまでこっちにいてもいいかな?」


 温和な微笑みをたたえながら聞いていた2人は、軽く目を見開いた。


「そうねえ。荷物の搬入は立ち合いが必要だけど…… それが終わってからこっちに何日か居るってことならできるんじゃない?」


「うん。来客用の布団もあるし、服も全部持っていく訳じゃないからな」


 思いのほか、あっさりと許可されたため少し呆気にとられる。


「あ、ありがとう」


 ぎこちない笑みを浮かべながら謝意を伝える。その言葉にはここまで自分を育ててくれた両親への感謝も含まれているかもしれない。耳がほんのり熱くなるのを感じる。ずっと、独りではなかった。そんなことに今更思い至った。

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